QQCCMMVVGGTT
1882 シェアーやシュペーらは巡洋戦艦と言えるのでしょうか?「砲力は戦艦なみ、速力は早く代償として防御を犠牲」という条件には一応あてはまってるようなんですが。(正式類別では装甲艦との事ですが。)
ど独逸

  1.  28センチ6門では、戦艦並とはいいがたいかも知れませんね。
     それと、ドイッチュラント級の速力は速いでしょうか? 26ノットでは普通の戦艦と大してかわりないです。
     巡洋戦艦どころか、ミニ戦艦というべき船だと思います。
     あ、だからポケット戦艦なのか・・・・・・。
    居眠り将軍

  2. ドイッチェランド級の武装は28cmL52砲×6、15cm×8(片舷指向4)、50cm魚雷発射管2基8射線(片舷4射線)、と戦艦としては確かに弱体ですが、その排水量がWWIの前ド級戦艦群とさして変わらない(11700t)ことを考えると、比較的に重武装の傾向にあると考えます(1902年完成のヴィッテルスバッハ11774tは24cmL40砲×4、15砲×片舷指向9、45cm魚雷発射管×6)。
    副砲も防御面で不利な防循形式に甘んじ、しかも甲板上に配置するなど、ディーゼル機関の搭載も含めて、構造面で無駄な重量を喰わまいとする方針を窺える気がします。
    艦尾にある魚雷発射管も、比較的軽量に搭載できる、なおかつ大破壊力の兵器としての意味があります(片舷4射線で当たればですが)。
    紛れもない火力重視の設計だと思いますが、どうでしょうか?

    勿論これはWWI前の戦艦との比較なのですが、1930年代でもそれとさして変わりない能力の艦艇があります。
    北欧の海防戦艦がそうです。
    装甲には侮れない物がありますが、火力と装甲で勝っていれば幾らでも戦いようがあります。

    バルト海の最強艦、USSRのガングート級には火力で劣りますが甲板装甲は76mm、28cmでも抜けない厚みではありません(最後の手段に魚雷)。

    ただ、戦艦としてあまりにも最低限の能力しかなかった本級は、その後新型戦艦と巡洋艦が続々と完成するに及び相対価値は低下、間もなく戦艦としてはかえりみられない存在になっていきました。
    烈風天駆

  3.  烈風さんが述べられたように、火力に注力した艦ではありますが、その直接的脅威となるであろう周辺諸国の戦艦と比較した場合、仏・ソ連・北欧の戦艦級は押しなべて低速(20ノット前後)であることにも注意すべきでしょう。
     ドイッチュラント級の26ノットの速度は、これらの戦艦に対して数段高速であり、それは作戦運用面で相当な利をドイツ側に齎すでしょう。
     基本的にこの装甲艦は、往時の装甲巡洋艦や初期巡洋戦艦の担った役割に相当する艦艇であり、戦艦では無いと考えます。
     貧弱な防御性能は、この艦が、ある意味インヴィンシブル級等の後継的な位置を持っており、巡洋艦程度に対処することしか考えていない事を示しているようにも感じます。
     つまりドイッチュラント級は、火力に注力したのではなく、必要最低限の火力を持ち、当時の技術と排水量制限の中で、最大限の機動力を付与された艦なのではないかと考えます。そして、それは当然ですが真っ当な戦艦では無いと考えます。
    SUDO

  4. >往時の装甲巡洋艦や初期巡洋戦艦の担った役割に相当する艦艇であり、戦艦では無い

    (脱線しますが)
    日露戦争時のペレスウェート級戦艦もほぼ同様の役割を狙った存在でしたが、
    ロシア海軍は同級を戦艦として運用し、戦艦相手に叩き潰されました。
    ドイッチェランド級も戦艦として運用し、バルト海の外の戦艦と遣り合えばまず同様の運命を辿るでしょう。

    シュペーは確かに沈みましたが、自艦のおよそ二倍以上の排水量の敵艦を引き付けています。
    他に自分より強い味方がいて、それに後事を託せるのなら、ドイッチェランド級は装甲巡洋艦で済む存在でした。
    そしてドイツにはそれが無く、ドイッチェランド級は最低性能の「戦艦」という重い看板を背負い続けるしかなかったのだと思います。
    烈風天駆

  5. 訂正です。

    2、の13行目。
    >火力と装甲で勝っていれば

    火力と速度で勝っていれば、です。
    烈風天駆

  6.  ドイッチュランド級は元来仏戦艦と交戦できる能力を持たせるため、より重兵装・重防御、かつ低速の
    純粋な小型戦艦として計画されています。しかし列強海軍において重巡洋艦が出現したことにより、
    巡洋艦同士の戦闘において自国の軽巡部隊が劣勢に立たされる事が予想された結果、軽巡部隊を
    支援して共同作戦を行う必要があると考えられた結果、高速力が付与される一方で砲力と防御力を
    低下させる設計を受け入れざるを得なくなります。

     ドイツ海軍の元来の目的は「小型戦艦の整備」でしたが、出来上がったものは装甲巡洋艦の
    延長線上にある戦艦より砲力が劣り、巡洋艦から逃げることが出来ない中途半端な艦でした。
     しかしこの艦の主目的はあくまで戦艦に対抗することであり、そういう意味でもやはり「小型戦艦」と呼ぶべきでしょう。

     なお、後に重巡に艦種変更されたのはある程度戦艦兵力の整備が進んでからですが、これは
    装甲艦を戦艦として作戦させる必要がなくなった事も影響していると思います。
    大塚好古

  7. >4
     ペレスウェートが果たして、ドイッチュラント近似の思想を持った艦なのでしょうか?
     彼女の速度は18〜19ノットで、当時の一線級戦艦と比較して(ボロジノ、ツェザレビッチ、レトウィザン、そして日本の戦艦群)事実上速度差は無いのです。
     また英国スウィフトシュア(元はチリ)やイタリアの二等戦艦のように、ほぼ同様の艦が存在するという事にも注意が必要です。これらの艦は簡易型・安物『戦艦』であって、つまりは二級戦艦で、装甲巡洋艦ではありません。
     1ノット程度の速度優位は使い方次第では戦術面で利がありますが、それはあくまでも真っ当に戦うという場合に意味を持ってくる速度であり、端から戦う気が無い場合、この程度の速度差は決して安心出来るものではありません(整備コンディションや積載条件で簡単に覆りかねない)つまり、ペレスウェートのような、少しだけ速い戦艦モドキは、あくまでも戦艦として使う場合にその速度優位が生きてくるのであり、またご指摘のように、他の戦艦との共闘が考えられるなら、より一層の効力を発揮するという側面があるのです。
     翻ってドイッチュラントを見てみましょう。彼女は対航艦である周辺諸国の旧式戦艦よりも2〜3割速いのです。これは戦艦との交戦を最初から想定していない事を意味します。
     これに比較的似た性格とするならば、日露戦争前後でしたら仏装甲巡洋艦とその亜種であるロシア装甲巡洋艦が上げられるでしょう。彼女たちは20〜22ノットを発揮し、その攻防性能は戦艦に比して大幅に劣ります。
     そしてこのような種類の艦が真っ当に行動するとどうなるかは、日露戦争や第一次大戦の独極東艦隊を見れば理解できるでしょう。
     この種の艦艇への対抗処置の基本は、対抗出来る戦力(しかも外洋に散ってるので数倍の戦力)をばら撒く事になり、その結果として、別方面に大穴を空けさせ、作戦全般を支援するという方向になるかと思いますが、ペレスウェート級はそこまで行く艦とは言い切れないでしょう。
     勿論、敵戦力の主体が16ノット程度の戦艦で構成されてるなら、彼女は装甲巡洋艦としての運用が可能ですが、日本の戦艦が18ノットである以上、その効力は大して大きくは無いのです(下手して外洋で戦艦にであったらオシマイですから)よってロシア艦隊が戦艦戦力の補填としてペレスウェート級を運用したのは正しい方策であったと言えるでしょう(高速外洋通商破壊艦・遊撃運用艦は別途高速な巡洋艦が居たのですから)
     敵との相対的戦力・性能で使用条件は変ってきて然るべきものなのです。
     ポケット戦艦はバルトでなら、敵戦力を引っ掻き回せるし、それによって生じるであろう敵の兵力構成の綻びを別の沿岸戦力や航空兵力で突く事が成立します。見事な遊撃戦力といえるでしょう。

     また、そうやって敵戦力を誘引・拘置する任務は「戦艦」の仕事ではありません。
     ドイツはポケット戦艦を扱くまっとうな巡洋艦として用い、グラフ・シュペーは装甲巡洋艦らしく行動した高い沈んだのです。そこには何処にも「戦艦」という看板はありません。
    SUDO

  8. ↑>6を修正…。

    軽巡部隊を支援して共同作戦を行う必要があると考えられた結果

    軽巡部隊支援のため共同作戦を行う必要があると判断されたため、

     酔っ払いながら書いたとはいえ、日本語がおかしくてスミマセン(汗)
    大塚好古

  9. >4
    2倍どころではありません。
    開戦直後、連合軍が対ポケット戦艦用に編成した戦闘群は計8個。

    北米、アンティル諸島:ベルウィック、ヨーク
          南米沿岸:カンバーランド、エクセター、エイジャックス、アキリーズ
           喜望峰:サセックス、シュロップシャー
          セイロン:コーンウォール、ドーセットシャー、イーグル
        ペルナンブコ:レナウン、アーク・ロイヤル
          ブレスト:ダンケルク、ベアルン、仏駆逐3
          ダカール:仏重巡2
       アンティル諸島:ストラスブール、エルメス

    戦艦3、空母2、そして多数の重巡を含む大艦隊が大西洋からインド洋にかけて展開しました。
    勝井

  10. ↑勝井さーん、ストラスブールと組んだのは英空母のハーミズだよー(笑)。参考にした資料のせいだとは
    思うけど、エルメスは読み違えだよー。
    通りすがりワッショイ

  11. 後にポケット戦艦の発展系としてP1級装甲艦が建造されますが、その中にビスマルクと同じ38cm連装砲塔に換装する計画があったそうです。
    日本の筑波級装甲巡洋艦よろしくこっちを作ったらポケット戦艦やP1級よりマシだったんでしょうか?
    ニルス曹長

  12. >9 勝井さん

    全部リストアップして下さってありがとうございます。

    >4では南米沿岸の4隻だけを指して、「二倍以上」と言ったつもりでしたが
    上記全部で一体何倍になるのやら…
    烈風天駆

  13. >10
    サンクスです。
    僕も書いてて「エルメスって何?」だったんですよ。
    すっきりしました。

    >12
    ええ、開戦直後はまだ仮装巡洋艦群は動き出していませんでしたから、
    この大艦隊はドイッチュラントとA・G・シュペー、たった2隻のポケット戦艦を狩り出すためだけに編成されたことになりますね。
    勝井

  14. >13
     エムデンとか、独極東艦隊の騒ぎを見れば、別に驚くに値しないでしょ?

     外洋に戦闘艦が消えちゃったら、このぐらい出しても不思議じゃないし、この程度しか出さなかったとも言えます。
     もし独のビスマルク級2隻がこの時点で活動可能状態になったとしたら、果たして英国は此処まで出したでしょうか?また、独にシャルンホルスト級2隻が居なかったら、もっと出したかもしれません。
     言い換えると、あの時点で欧州や地中海から引っ張り出せる「仕事の無い艦」がこんだけあっただけの事
     ポケット戦艦が2万トン艦であっても、たぶん英仏は同程度の戦力しか出さなかったでしょうし、出せなかったでしょう。事象の一局面だけを見て何かを語るのは危険でしょうね(それは私にもいえるんだが)
    SUDO

  15. 質問者です。短期間の間で数々のご教示ありがとうございます。
    総合いたしますと、「巡洋戦艦は戦艦と同規模で考える」というのを念頭に置くべきですね。シェアー等は厳しい制限下で生まれた小型の、しかも特殊な立場の「戦艦」であって、「真っ当な戦艦」とは違うというのが分かりました。

    むしろ、「数々の事情で戦艦に準ずる火砲を搭載し、代償として装甲防御を大きく犠牲にした巡洋艦」と考えるべきなのか、大塚氏の仰る「小型戦艦」という立場なのかは自分は結論は出しかねますが、いずれにしても「巡洋戦艦では無い」という皆様の結論は納得できます。

    そして、本艦だけのスペックだけでなく、他国のポケット戦艦への対応事情や類似の性格を持った艦艇まで羅列していただき誠にありがとうございます。勉強になりました。
    ど独逸


Back