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1997  先日、図書館にて「戦艦武蔵戦闘航海記」(八重岳書房/細谷四郎著/2,200円/
1988年11月10日初版発行)という本を読みました。
 著者は、武蔵の戦闘航海日誌の作成及び、信号指揮を担当した、重要な戦闘
配置の責任下士官であり、栗田艦隊の僚艦との関係を掌握して生き残った、
信号部の長とのことです。さて、この本の104、105ページに「戦艦武蔵・大和
は二重の要目」との見出しで、戦艦大和型の全長は279m、鐘楼の高さは46mと
書かれています。眉唾ものとも考えたのですが、著者の主張には一定の裏付け
があり、あながち嘘とも言い切れないところがあります。主張としては、

・レイテ出撃を前に、大和武蔵の乗組員をシンガポールへ半舷上陸させたさ
 い、長門が横付けされた。著者は、高等科教程の見張術の中で、大和型赤本
 により、艦船識別及び目測距離識別測定法を取得している
・著者は武蔵の信号甲板左舷側から、約3キロの距離で、長門が大和の左舷に
 横付けしようとする様子を観察していた。
・長門は大和の左舷に右舷側を横付けさせようと、大和の左舷後方から、35度
 ぐらいの角度で近づいた。やがて大和の後檣に近づく長門の高さ40mの前檣
 が、頭部を出して重なった。そして、大和の煙突に接近するが、長門の前檣
 だけが、大和の煙突の上に3mぐらい出た形で進んで行った(長門の艦体
 は大和に隠れて見えない)。
・そして、長門と大和の前檣が重なった時、比較にならない大和の前檣の高さ
 に目を見張った。部内では檣樓の高さは、喫水線より大和型39m、長門型
 40mとなっているはずなので、驚いた。見張術による目測距離測定では、
 大和型の檣樓の高さは、喫水線より46mと教えられていたが、間違って
 いないと確信を得た。
・続いて、長門が武蔵に横付けしたときに確認したが、長門の露天甲板は武蔵
 のそれより約3.5m低く、檣樓の高さは、長門の最上部が武蔵の第一艦橋の
 天井付近であり、その上にある主砲射撃塔、15m測距儀、方位測距儀、電探
 などを加えると、優に6mは差があった。
・艦体の長さは、両艦がほぼ中央に横付けしていたので、比較が容易であっ
 た。長門の艦首先端は、武蔵の錨甲板より3mほど出た位置にあり、長門
 の艦尾は武蔵の後部カタパルトの回転軸の位置にあった。このことから、
 大和型の長さは、長門と比較して正しく279mであることを確認できた。
 
 という主張です。半信半疑で、世界の艦船増刊の「日本戦艦史」143ページ
にある武蔵の正横の写真から、縦横比を図ってみたのですが、私が図った
限りは、長さ279×高さ46m説をでたらめと言い切れない結果が出ました。
 136ページの航空写真を見ても、長さ263m×幅38.9mよりはスマートに
見えてしまいます。どなたか真偽をご存じの方、おられますか?

 また、同書で、「栗田艦隊主力艦の各艦は、主砲弾の保有数に限度が
るため『つとめて主砲弾を温存する』という申し合わせをしており、
栗田艦隊に対する第一次、第二次空襲のさいに、旗艦からの命令で、
艦隊は主砲三式弾を撃たなかった。武蔵の越野砲術長は、敵機来襲の
都度、三式弾の砲撃を要請していたが、艦長は『つとめて主砲弾を
温存せよ』との長官命令があるので、我慢してくれ」と言っていた。
 そういったやりとりをしている内に、方位盤をやられてしまい、
砲撃命令が下りた時には、各砲単位の威嚇射撃しか行えなかった。
 もし、栗田艦隊の各戦艦が、それぞれの射撃方位を担当し、三式弾
を一斉射撃していれば、敵機の速度が毎分6キロだとして、三式弾
の信管弾着が30キロだとすれば、敵機は戦艦の一斉砲撃による三式弾
の爆発範囲(著者によれば、大和武蔵で直径400m、爆発弾滑空距離は
600mに達し、この爆発した空間内では、敵編隊は機体重量と、爆風を
受けて操縦不能となる、とのこと)から逃れられなかった、と主張して
いますが、どの程度の蓋然性があるものでしょうか。
 どなたかご存じであれば、教えて頂けると幸いです。
高村 駿明

  1. >一つ目の質問について真偽の程はわかりませんが、可能性としては建造してみたら長くなったとゆう可能性はあります。
    >船舶を造る際には必ず誤差が出ますからありえない話しではないかと・・・。

    >あと二つ目の質問ですが、私の記憶が正しければ、ブルネイ泊地にその栗田主力艦隊がいるときに実際に長距離で三式弾が撃たれたことがありまして、その時は一回の全艦斉射で来襲機40機強位ともいますが、その内30機位を撃墜し見事に敵を追い払ったとどこかでよんだことがあったような気がします・・・。
    麗樹

  2. レイテ海戦時の戦闘詳報、戦時日誌の中には零式通常弾と三式通常弾の特性の違いと三式通常弾の不発の多さ、両対空弾の今後の搭載数増加の必要は述べられていたとは思いますが、主砲弾を節約していたとする記述は読んだ記憶がありません。
    またレイテ湾突入時には敵船団に対して零式弾を使用するという命令は第二戦隊等で確認できますが、その為に零式弾を節約したとの記述はありません。
    個人的な感想ではありますが、零式弾の方が若干評価が高いようなニュアンスを感じます。
    BUN

  3. 戦艦の主砲(いわゆる平射砲)の場合、測的兵器が対空用には出来ていませんから遠距離の敵機近くまで砲弾を運ぶのが困難だったみたいですね。ちなみに海軍の研究によれば、巡洋艦以上の艦において主砲を対空射撃に用いるのは高角砲などの射撃を邪魔するため不適当と考えられていたようです。
    tackow

  4. 三式弾については砲校の文書中で「実際に使った例が少ないから何ともいえないけど、威力は零式弾と同じ位じゃないだろうか」という報告もありますね。
    tackow

  5. 12.7cm高角砲のサイズはだいたい分かる訳ですから試しにそこの辺りから写真で割り出して見ては如何でしょうか>サイズの正しいところ。
    ooi

  6. 私もこの本を所有しており、細谷四郎さんの鋭い感性と洞察力や記憶力は十分信頼に足るものであることを確信しています。しかしながら、武蔵の全長については、細谷さんは長門の全長を赤本からの記憶として245メートルとされ、これと比較して279メートルと推定されています。長門の資料によると長門の実際の全長は1936年の大改装後225メートルとなっており、この20メートルの誤差により武蔵の全長を実際より長く見積もられたと私は判断しています。実際は設計図通り263メートルであったことは間違いないでしょう。

    Tomas

  7. >6.
    細谷氏の本では、長門の全長が245mと記載されてますが、喫水線長は220mと
    記載されてます。多分全長245mの方が誤記だと思います。
    大和の全長に付いてですが、細谷氏の証言通り、図面で長門と比較してみました。

    「武蔵の錨甲板より3mほど出た位置」から「武蔵の後部カタパルトの回転軸の
    位置」。ここまでを長門全長の「225m」として、図面から武蔵の全長を逆算してみる。
    すると確かに大和型戦艦の全長は「279m」との結論になりました。一般に出回っている
    大和型の図面の縮尺が「意図的にずらされている?」との印象を受けました。
    ISHI

  8. →7.
    ISHIさんの考察は的確なものと思います。長門の全長245メートルは誤記でしょう。

    しかし、大和、武蔵の全長263メートルについては多くの資料から検証されていると思います。

    長門、武蔵の直接比較ではありませんが、手持ちの資料のなかでは写真集日本の戦艦(光人社)の168、169ページに、昭和20年3月19日に米偵察機が撮った呉軍港の空撮が載っています。ほぼ真下に大和、日向、海鷹が移っています。もちろんかなり上空からの写真であり、正確には測定できませんが、写真上の長さの比較では大和はほぼ正確に24ミリ、日向は20ミリと判定できます。日向の当時の全長219.62メートルとこの割合で計算すると大和の全長は263メートル強となり、公称値とほぼ一致します。

    ちなみに同資料では長門の正確な全長は224.94メートルとなっています。
    Tomas


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