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2006 大戦中の軍艦というのは、竣工してからだいたいどれくらいの期間で実戦参加が可能なのでしょうか? 例えば、s19、8,10完成の天城は、搭載機と燃料の手配さえつけば、レイテ戦に参加できたのでしょうか?
Sマイン

  1. えーと、軍艦というものは竣工してからも、公試とそれに伴う初期不良の根絶、乗員の練成等と多くのプロセスをこなさねばならず、一般に実戦参加が可能になるのは竣工してから4ヶ月以上経過してからです。
    また強力な海軍を保有する国ほど練成期間は短くて済みます。
    代表例としてはビスマルク追撃戦における戦艦ビスマルクとプリンス・オブ・ウェールズが挙げられます。
    ドイツ海軍のビスマルクは前年9月に竣工して以来6ヶ月にわたる長期の訓練を行いましたが、練度・士気共に低く巡戦フッド撃沈以降は一度も主砲が命中していません。
    逆に英軍のウェールズは竣工してから僅か3ヶ月で戦闘に駆り出されましたが中破しながらも多数の命中弾を敵に与えています。

    この差は両者の所属する海軍の質の違いを物語っており、大英帝国海軍の兵員層の厚さと平均練度の高さがもろに出た結果です。
    話がずれましたが、天城は竣工後間も無いために実戦への参加は不可能です。
    また、燃料や搭載機の手配がついても当時の日本海軍にはそれを飛ばす搭乗員は殆ど残っていませんし、レイテ戦における日本空母部隊の役割と最期はご存知の通りです・・・
    全滅すると分かりきっている作戦に貴重な新鋭空母を投入するのは愚策、ましてや練度不充分の天城などは論外。
    それが軍上層部の考えだったのでしょう。
    筑波

  2. たとえば瑞鶴は16年9月25日に竣工、11月18日には搭載機を収容して大分出港、11月26日に単冠湾を出ています。
    19年8月25日竣工の天城が19年10月20日にレイテ沖に向け出撃できなかったとは言い切れません。と言うよりも出撃可能と見られていたと考えられます。搭載する航空隊である六〇一空もほぼ健在なのですから搭乗員が居ない訳でもありません。そして現に海戦後の11月初めには第一航空戦隊に対して出撃準備の命令が下されています。連合艦隊司令部にとって天城は出撃可能と考えられていたのです。
    BUN

  3. >1
    アメリカ戦艦BB-55ノース・カロライナなんて竣工から実戦参加まで1年以上かかってますが、この事実と貴殿が言うビスマルクの実績から、アメリカよりドイツのほうが海軍が強力で兵員層が厚く、かつ平均練度が高いと判断して差し支えないのでしょうか?
    枚方太郎

  4. >3
    そんな揚げ足をとるようなレスをしなくても・・・
    仮にノースがそうだとしても、ノースの一例をもってアメリカ海軍全体のことは言えないと思いますが
    未明2

  5.  ある艦を戦力化するに、いちばん簡単なのは、その同型艦から人員を持ってくることです。次に、そういう経験を積んだ人員から報告等を受け取って参考にすることで、まったくの新型ですと大変に手間取ります。
     更に、武器や装備が新型ですと、これもまた手間取ります。新型艦と新造艦ではこのあたりでかなり変わってきますね。
     ウェールズの事例では、主砲の故障で戦線離脱を余儀なくされましたが、KGV級が満足な戦闘を行えるようになるには、まだ数年必要だった事を思うと、この時点のウェールズはまともな状態だったとは言えませんが、それは新造だからであるだけでは無く、新型であったからです。
     勿論ノースカロライナやビスマルクの事例でも同様のことが言えます。
     ノースカロライナは平時ですので、じっくりとテストして一つずつ調整していったのでしょうね>その結果同武装をしたサウスダコタ級は比較的早期に戦力化できてるわけです。
     ビスマルクの場合は人員プールの少なさに加えて、冬季に訓練を行う事が出来なかったという問題もあり、となると竣工後の期間ではなく、実質訓練期間を見るべきかも知れません。
     ビスマルクの練度が低かったのかどうかは、はっきりとしたことは判りません。ですがフッドを撃沈し、ダメコンも相応にこなしていたのですから、極端に低いという事も無いでしょう。

    SUDO

  6. 大口径の主砲で遠距離砲戦を戦う戦艦と質問の天城のような中型空母を同列に論じるのはそもそも変ですよね。軍艦は竣工後何ヶ月で戦闘参加可能、といった話は一言で言い切れる問題ではないという事でしょうし、実際の事例を数多く検討することも大切なのではないでしょうか。
    BUN

  7. 酔っぱらって発言するとダメですね。反省します。
    >6
    同感です。私の発言の趣旨はビスとPOWの事例だけで海軍力が図れるのなら、NCで
    米国の海軍力が図れるということになるがそれでいいのか?という問題提起のつも
    りでした。(ダメダメな書き方ですが)
    >5でSUDO氏が述べておられますが、SD以降の米戦艦でも竣工から実戦投入まで
    6ヶ月程度かかっています。識者の方々には釈迦に説法ですが、これは米海軍の場合
    引渡し後慣熟訓練と残工事を同時に行うため比較的時間がかかるわけであり、竣工
    から実戦投入までの期間で海軍力が図れるなんてことは一概に言えず、当時の状況
    やシステムの相違なんかも勘案すべきだろうと思います。
    枚方太郎

  8. 古い話&軽巡洋艦で申し訳ありませんが。

     第一次大戦初期、イギリスの軽巡洋艦アレシューザは、1914年8月に竣工して8月14日の作戦に参加しています。就役日がはっきりしないのですが、一説によると作戦の前々日だとか。
     これはこの型の一番艦で、備砲も新型です。で、作戦中にそこらじゅうを壊しまくった結果、あわや戦闘不能となり、最後には航行不能の状態になりました。戦果も挙げましたし、沈まなかったのでまあヨシだったのですが、小型艦ではこういうこともあったようです。
     英国海軍ならではと考えるか、はたまた・・・
    志郎

  9. >それが軍上層部の考えだったのでしょう

    上層部って普通は、かしこいって感じですよね。何処の海軍でも。
    でも、この場合頗る皮肉に感じますね。



    ちよっとこれ

  10. みなさん有難う御座います。

    疑問の発端は、雲龍と天城は、台湾沖航空戦などで機体、搭乗員が消耗せず、両艦に積める燃料があったら、レイテに行けたのかなと思ったからです。エンガノ沖での小沢艦隊に史実の戦力に加えて一航戦の空母、及びの他各空母に定数の搭載機が在ったら、という思考実験(妄想?)の過程での疑問でした。

    まぁマリアナの結末からすると損害が増えるだけで海戦の流れ自体は変わらないと思いますが。
    Sマイン

  11.  昭和十九年九月十日に第一機動艦隊司令部が「機動部隊の作戦に関連機動艦隊編制軍隊区分に対する所見」を出しています。それによると出撃可能の見込みとしては三航戦が十月中旬、四航戦が十一月中旬、そして問題の一航戦は空母二隻とすれば十二月中旬に出撃が可能である、というものでした(記憶)。
     六〇一空の戦力のうち台湾沖航空戦に投入されたのは、天山隊の攻撃二六二ですが、攻撃二六二は十月十日に七六二空(T部隊)の指揮下に入っています。これはもともとのことであり台湾沖航空戦が始まったからではないものですので、六〇一空に対しては台湾沖航空戦の影響はあまりない、とも言えます。

     ということで、「天城」の捷号作戦参加は可能性的にほとんどない、と思います。
    川崎まなぶ

  12. 川崎さん、それは「一航戦」の航空隊の話ですね。即ち搭載機の都合が付けはあり得たと言う事でもありますね。
    BUN

  13. 「丸エキスラ戦史と旅 No.34」に雲龍の乗組員だった方(森野廣氏)の手記が掲載されています。
     それによると昭和19年12月のマニラへの緊急輸送時、当初天城が予定されていたが、錬度が高い雲龍を使用したほうが良いという天城の艦長の意見で、天城から雲龍に変更になった旨が書かれております。天城が10月末のレイテ戦に参加するのは難しかったのではないかと想像します
    きりさめ

  14. 大鳳は3月7日に竣工して4月4日には既にシンガポールに入港しています。そして翌5月16日にはタウイタウイに入ってしまうのですからこと艦としての訓練の見地からは天城よりも厳しいものがあったかもしれません。
    史実の状況はどうであれ、天城がレイテに出撃出来なかったとはとても断言できません。雲龍に比較して錬度が低いというのも当然でしょうが、竣工後2ヶ月の中型空母はレイテのような決戦局面で、もし仮に作戦上必要となれば結局投入されてしまったであろうと思います。
    BUN

  15.  米特設空母のスワニー(ACV-27)は1942/9/24の就役直後、1942/11/8に実施された北アフリカ上陸作戦に参加してますね(この際には8月中旬〜9月中旬に就役した同型艦3隻も参加)。
     イラストリアス級に属する英空母も、就役後1〜2ヶ月以内に作戦参加している例は珍しくありません。例えばヴィクトリアスは就役後2ヶ月に満たない時期に急遽艦隊に編入、そのままビスマルク追撃戦に参加しております(因みに同艦が全力機関公試を実施したのは艦隊編入の5日前であり、また初の発着艦作業を実施したのは艦隊編入の3日前でした)。フォーミダブルは10/31に就役後、1ヶ月の公試終了直後に北大西洋においてシェーアの捜索任務に従事しております。

     上記の例から見て、完成後まもない空母であっても艦載機の当てが付いて、作戦上必要があれば、BUN師匠の言う通り作戦投入されてしまう可能性は高いと思います。
    大塚好古

  16. >それは「一航戦」の航空隊の話

    あれ、そう書いてありましたか。失礼いたしました。


     しつこく続けますが、2カ月で空母が投入出来るのか云々はケースバイケースでしょうね。「天城」の場合は十月二十三日に艦長が交代するあたり(これから出撃って時に艦長が代わるってのはない、と思う)かなり怪しいと思うんですけど。本当に「天城」は航空作戦可の状態なんでしょうか。それだけの人員が艦に配属されていたんでしょうか。この辺を明らかに出来れば面白いと思います。

     六〇一空の練度を心配する意見がありましたが、六〇一空(戦闘161、162、攻撃161,262、偵察61)はマリアナ沖海戦の生存者(戦闘機、艦爆は六五二空の生存者を中心に、艦攻、偵察は六〇一空)を中核とした部隊ですので、飛行機をもらえれば充分十月までに再建可能(戦爆を使用する戦闘162は無理かも)、であろうと思います。(ゆえに空母二隻分であれば飛行機隊が原因で十二月になるとはちょっと考えにくかった)

     「大鳳」は十九年二月三日に神戸を離れ、公試などを実施しています。

    川崎まなぶ

  17. やはりケースバイケースといったところなのでしょうね。要は、運用する側にその意思があり、乗員、燃料(空母の場合搭載機と搭乗員)があれば作戦参加は可能であるという事でよろしいのでしょうか。
    天城の場合は、恐らくそのどれかが欠けていたということで、大鳳、瑞鶴の場合は欠けていなかったと。



    Sマイン

  18. 川崎さんにしては推論が多いかな・・・。
    BUN


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