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2174 三笠等、40口径12吋砲搭載艦について教えてください。
下記warships1.comの日本45口径12吋砲のページに、"The Mikasa class were later upgraded to these guns"という記述があるのですが、日本語の本で三笠の主砲を長砲身化したという記述を私は見た事がありません。

http://www.warships1.com/Weapons/WNJAP_12-45_m1904.htm

●こんな事実はあるのでしょうか?
日露戦争後、弾室を改造して45口径砲用の砲弾を発射できるようにしたらしい(下記根拠1)のですが、warships1.com(とその典拠の外国資料)はこのことを誤解しているということはないでしょうか?

<根拠1>
・「四十口径(改)十二吋砲(四十五口径十二吋砲弾ヲ装填スルモノ)」
 :『海軍制度沿革・巻九』「砲熕ニ関スル名称中改正ノ件」明治四十二年六月二十四日(内令兵二〇)
・「富士、敷島ノ如ク弾室改鑚ヲ経タルモノハ四十五口径砲通常弾及四十口径(改)導環ニ改造シタル徹甲弾ヲ使用ス」
 :『海軍制度沿革・巻九』「各種砲用弾丸ノ種類名称及色別」大正七年十一月十四日(内令兵十七)

●また「45口径12吋砲用砲弾」と「40口径12吋砲用砲弾」は、重量・装薬量等具体的に何が異なるのでしょうか?

●弾室を改造して45口径砲用の砲弾を発射できるようにした艦は上記富士、敷島以外にはどの艦でしょうか? どうも改造を施されなかった艦もあるようなのですが(下記根拠2)。

<根拠2>
『海軍制度沿革・巻十四』「大正七年砲員検定実施規定(内令四六)」に、「換装室ヲ有スル四十口径」12吋砲に対する規定と、それ「以外ノ四十口径」12吋砲に対する規定が別々に存在していること。なお、この規定では日露戦利艦は「露式」として別の扱いになっています。

MZ

  1. どなたもお答えにならないようなので、確信はないのですが。

    >三笠の主砲を長砲身化
     出所が同じかどうかの確認はできませんが、不確実な情報として聞いたことはあります。しかし私としては否定的です。
     戦艦の砲塔はごついものですが、それなりデリケートでもあり、砲身の仕様がまったく異なるような砲に積み替えるのはかなり困難です。砲身重量の増大、発砲反動の増加も根本的な改修を要求しますが、なによりも俯仰軸周りのバランスが取れなくなります。

     砲身が長くなれば、一般に俯仰軸より後ろも長くなります。当然、砲尾の位置が後退しますので、装填装置が収まらなくなってしまいます。むりやり砲尾付近に重りを積むなどしなければなりません。この場合、長くなった5口径1.5メートルは、すべて砲塔の外へ突き出すわけですから、一目でそれとわかるはずです。
     砲塔全体の重量も増えますから、旋回部を支える構造も強化しなければなりません。旋回軸周りのバランスも狂うので、砲室後部にカウンターウエイトを積む必要があるでしょう。実際に他では、砲塔そのものに大きな改修を加えず、砲身のみをより大きなものに交換した事例は知りません。

     ただ、一例としては、香取、鹿島が12インチ45口径を積み、そのタイプシップであるキングエドワード7世が40口径を積んでいます。
     砲塔の形式的にはほぼ同じものですから、そのつもりで造れば不可能ということでもないようです。これは途中改造ではありませんので、ご質問のようなこととは異なりますが。
     
    >「45口径12吋砲用砲弾」と「40口径12吋砲用砲弾」
     まったくの推測ですが、砲弾の形状の差ではないでしょうか。砲弾の「肩の丸み」が、このころにより緩やかになり、空気抵抗の小さい、長い砲弾になっていますので、このことを言っているのではないかと思います。
     砲弾の全長が増し、重量も増えますから、なにかしか改造しなければ使えないでしょう。これは、砲身の長さとは直接関係しないので、まったく的外れかもしれません。ちなみにこの頃のイギリスの12インチ砲弾では、35口径から50口径まで、砲弾重量は変わっていません。
     もちろん、直径の増え方が緩やかになっても、全長を変えずに造ることは可能です。長くなれば、装填装置に収まらなくなるかもしれません。

    >換装室
     少なくとも敷島の砲塔には換装室はありません。三笠にはあったようです。装填関係はこの頃に大きく進歩していますので、艦によって取り扱いはかなり異なります。もちろん、ロシア式も異なるでしょう。
    志郎

  2. 志郎様>
    ありがとうございました。

    MZ

  3.  今更ですみませんが、コンウェイの三笠の項で、1905年の港内爆沈の復旧工事の時に主砲副砲共に新型砲に換装したという記述を見つけました。この時は後部弾薬庫が吹き飛ぶ大事故でしたから、ついでに前部主砲も新しい砲塔に載せかえた可能性はないでしょうか。
    (なお、同書によれば富士も1910年に主砲を国産砲に換装しているそうです。ですがこの換装がどれだけの規模の物だったのか私にはわかりません)
    摂津

  4. 摂津様、ありがとうございます。
    三笠が主砲換装・長砲身化をやったとすると、爆沈時に行ったと考えるのが一番自然ですよね。
    ただ、warships1.comの記述は"Mikasa class"となっているので、少なくとも2隻以上が改造されたことを意味すると考えたのです。が、志郎様のおっしゃるようにかなり大規模な工事となる長砲身化を(爆沈した三笠はともかく他の艦まで)行ったとは考えにくいと思います。
    富士については、単に砲身の命数が尽きて口径を変えずに換装したということも考えられますね。
    コンウェイが典拠とした資料が分かればよいのですが・・・。
    にしても、三笠にしろ富士にしろ、なんで外国文献に書いてあることが日本の文献に載ってないんだろ?(私の調べ方が足りないだけだとは思いますが)。

    MZ

  5.  今更返答をするのもなんなのですが、某所に貸していた戦艦関連の資料が昨日返ってきましたので一応書き込ませて戴きます(笑)。

     海外の日本艦艇研究書のバイブルである「Warships of the Imperial Japanese Navy,1869-1945」によれば、三笠は1906-7年の爆沈後の損傷復旧時に、石見の改装と同様に主砲を換装する(12in/45口径砲x4)事が計画されたが、この計画は中止された、とされています。私的には、ConwayやWarship1の三笠に関する主砲換装の記載は、三笠と石見の話を混ぜて誤解釈した結果ではないかと思います(多分両者の典拠はBreyerのアレだろう…)。
     富士に関しては、同書にも1910年に汽罐の宮原缶への換装と41式12in40口径砲への換装を行った旨の記載がありますね。なお、同様の主砲換装は1917年に朝日も行ったという記載があります。
    大塚好古

  6. ↑追記。因みに石見も主砲換装は実際にはやってません(笑)。様は計画があったけど実施されなかったのが、誤って伝えられた結果なんでしょうね。
    大塚好古

  7. 大塚好古様、ありがとうございました。レスが遅れて申し訳ありません(まさかこんな後になってまでご回答くださるとは思っておりませんでしたので)。
    おかげさまで納得できました。
    MZ


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