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2189 日本軍の駆逐艦がちょくちょくソロモン水域で触雷して沈んでますが、日本軍が敷設した機雷の戦果はあまり聞きません。場所を問わず、潜水艦以外の連合軍艦船で日本軍が敷設した機雷が原因で沈んだものがあれば教えて下さい。

かめ

  1.  島嶼防御戦の水際地雷以外の戦果は事実上ありません。
     連合軍が合計25,000個ほど敷設したのに対して、日本側の攻勢機雷戦は1,000個ほどで(しかもその半数弱が潮流の関係で数ヶ月持たないスリガオ海峡への開戦時敷設)触雷は一例しか無いみたいです(撃沈には至らず)
    SUDO

  2. 1945年3月25日夜半、慶良間列島東方海上で爆発沈没した米駆逐艦ハリガン(フレッチャー級。艦番号DD−584)の沈没原因を機雷とする説があります。
    これは米公式文書の見解であり
    http://warships1.com/
    でもその説によるものか「mine」による沈没としています。

    しかし、ハリガンの沈没については特攻潜水艇「蛟龍」の戦果とする本も目にしており、私からはこれ以上の判断は申し上げられません。
    烈風天駆

  3. ハリガンについてはここ↓に写真つきで紹介されております。

    http://www.navsource.org/archives/05/584.htm

    状況を見る限り、船体は完全に破壊されているものの、完全な沈没ではなく着底に近いようです。
    烈風天駆

  4. >2 特攻潜水艇「蛟龍」

    勇み足勇み足。「蛟龍」は特攻潜水艇とは呼べませんよね(汗
    烈風天駆

  5. >2〜4
     うーん、沖縄海域に敷設されたものは20年1月末の18戦隊の180個だけなんですよね。
     これは対潜機雷礁ですので、果たして米駆逐艦がそんな海域を通るのか少し疑問です。また3/19に宮古島、3/25に石垣島に240個ずつが敷設されてますので、もしかしたらそれらが流出したのかもしれません。
     なお3/25夜間には蛟龍209号と特殊潜航艇丙型67号が出撃し、丙型67号は生還し戦艦に2本命中を報告、209号は未帰還でした。67号の攻撃した艦がハリガンである可能性も否定は出来ないでしょうし、消息不明な209号の戦果かもしれません。丙型67号・蛟龍209号のどちらの戦果にせよ、存在すら怪しい該海域の機雷よりは可能性として高いと個人的には考えます。
    SUDO

  6. もはや果てしなくどうでもよい例で、しかも「連合軍艦船」に当てはまるのかも定かではありませんが
    木俣滋郎氏の「欧州海戦記2」の記述をそのまま鵜呑みするなら
    元英国海軍水上機母艦でWW1のジュットランド海戦で敵発見を報じた「エンガーダイン」ことフィリピン客船「コレヒドール」が、1941年12月17日夜半にマニラ湾で沈没した件を指して、日本潜水艦伊124の敷設した機雷によるものとしています。
    伊124潜は7日にマニラ湾外海に八八式機雷39個を敷設したらしく、同書によれば、その機雷により1月にはパナマ船「デイライト」(1976t)も沈没したとしています。

    なお、その後のくだりに「アメリカ資料の中にも『コレヒドール』の沈没をアメリカ軍の機雷によるものとしたものがある」という趣旨のことが述べられているのですが、その「アメリカ資料」とはなんなのか?という問題に関して、同書ではその具体的な名前を挙げておりません。
    烈風天駆

  7.  Corregidor(ex-HMS Engadine)の沈没については、http://www.time.com/time/sampler/printout/0,8816,128081,00.htmlに若干の記述はありますが、アメリカ軍の機雷によるものかどうかは分かりません。
    hush

  8.  米側は「コレヒドール」の喪失理由を、コレヒドール沖に敷設されていた陸軍の機雷に触雷したことによる、としてますね。
    大塚好古

  9.  The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II(http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/USN-Chron/USN-Chron-1941.html)には、そのように記されておりますね。見落としておりました。検索にばかり頼っていて、基本資料の確認を忘れていた結果です。お手数をかけました。
     同船の鉄道連絡船時代の写真がhttp://website.lineone.net/~tom_lee/engadineimg.htmに掲載されております。
     なお、駆逐艦(DD584)Halliganの沈没原因についてはDictionary of American Naval Fighting Ships(http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/ships/dafs/DD/dd584.html)でも蝕雷としております。なお、同艦の船体は1957年に沖縄に寄贈されています。

    hush

  10. 五月雨式回答
     http://www.try-net.or.jp/~prey/zatugaku/engan.htmlに、機雷により被害を受けたアメリカ軍艦艇が載っています。
     またThe Official Chronology of the U.S. Navy in World War II(http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/USN-Chron.html)内でmineを検索すると
    1945年1月5日に父島沖で駆逐艦(DD551)David W. Taylorが蝕雷により損傷等が出てきます。
     一度、お調べになられたらと思います。

    hush

  11. 皆様ありがとうございます。「戦果をあまり聞かない」というか「戦果が殆ど無い」ということなんですね。地中海では連合軍も独伊軍も機雷による被害を少なからず受けてたと思いますが、日本軍は機雷戦を重視していなかったんでしょうか。(最も狭い地中海とだだっ広い太平洋ではいささか状況が異なるとは思いますが)

    かめ

  12.  一号機雷のように、そのために艦首形状を変更すると言うようなことまでしているぐらいですから、88艦隊の頃は軽視していないと思います。大和がバルバス・バウを採用していると言うことは、その頃には使用を諦めていると言うことでしょうが、専用の機雷敷設艦も建造しておりますので、それなりに重視していたと思います。もっとも、艦砲射撃ほどには重視しなかったのもまた事実であります。また、接近するアメリカ艦隊を迎え撃つはずだったのが、こちらが出かけて行ってになったわけですので、機雷敷設も異なった用法が必要になったとは思います。
     なお、日本海軍の機雷戦のハイライトは日露戦争時の戦艦ペトロパヴロフスクの撃沈でしょう(えっ、聞いていない?ま、いいじゃないですか)。

    hush

  13.  日本軍の機雷戦は非常に活発でした。
     太平洋戦争で米国が敷設した機雷は約23000個(日本軍領域へ)に達しましたが、日本軍はその数倍の数を敷設しています。
     開戦時の保有数が約32,000個、戦時中の生産が52,000個に水際地雷が約70,000個。全てが敷設された訳ではありませんが。決して少ない数ではありません(例えば日本沿岸を封鎖してしまったB-29の機雷敷設は約10,000個です)
     機雷は戦前から戦時量産・未熟練者でも取り扱い容易を前提として準備されてきた兵器で、真面目に戦争するつもりの装備でした。

     日本軍の機雷戦は、強行艦による敵港湾への強行敷設と、味方重要港湾防備用の敷設というのが二本柱だったのですが(一号機雷は特性面から見ても攻撃水雷の亜種であり敷設水雷の範疇とは少し違いますね)
     この強行敷設は巡洋艦や駆逐艦・水雷艇等による旅順戦で花開きましたが、同時に防備強固な敵港湾への敷設は非常に困難であることが確認され、第一次大戦では敵艦の反撃で敷設艦が撃沈される羽目になってます。
     こうした結果から日本軍は強行敷設に適応した所謂敷設巡洋艦を建造しようと画策するのですが、予算問題と条約の制限から、満足の行く高速強行敷設艦を得ることが出来ないまま第二次大戦に突入してしまいました。
     英国では極めて高速な敷設巡洋艦を建造しましたし、ドイツ巡洋艦は大概敷設機能を持ちますので、そういった工夫は日本でも出来たと思いますが、結局果たせなかったのですね(搭載機雷の誘爆を恐れたのかもしれません)
     結局この時点で日本軍は水上艦による強行敷設作戦を事実上諦めたのです(太平洋の条件では中々難しい事でもあったのですね)実際ソロモン戦などでは敵の泊地に敷設するぐらいは出来そうでしたが、そんな搭載余力は全部輸送に回されてしまったんです(敷設艦が輸送に参加してるという事実からもわかります)
     ここで問題になるのは、各国とも第一次大戦中から潜水艦による機雷敷設を行っており、第二次大戦では航空機による敷設も始まりました。この両方とも日本軍が立ち遅れていた技術です。
     潜水艦は僅か数隻の機雷敷設対応艦以外は敷設能力を持たず(各国は魚雷発射管から打ち出せる機雷を開発しましたが、日本がその開発に着手するのは開戦後に米国潜水艦が敷設して流出した物を拾ってからです)航空機雷の開発も結局間に合いませんでした。
     更にこれに加えて、欧米で用いられた磁気機雷や音響機雷といった対処の難しい機雷の開発にも出遅れており、技術レベルで20年ほどは確実に遅れていたのが実情です。
     結果的に敵が来たら困る場所に防御用として旧式機雷を設置するのが関の山で、積極的に敵が居そうな場所にばら撒くという手段を事実上持たなかったというのが日本の機雷敷設の問題だったと言えるでしょう。
    SUDO

  14. hush様、SUDO様 魚雷に続き機雷に関する質問への丁寧な回答 感謝です。
    ペトロパヴロフスクの撃沈はハイライトですが、日本軍も戦艦「初瀬」「八島」駆逐艦「暁」通報艦「宮古」等を失ってますね(涙)。収支決算ではマイナスになりそうです。
    磁気機雷や音響機雷の開発の遅れは機雷に限らずまさに国力そのものが追いついていなかったということですね。
    また、烈風天駆様・大塚様、「ハリガン」「コレヒドール」についての情報 有難うございます。これに限らずこうやって破壊されて座礁している艦艇の写真って凄くもの悲しい雰囲気がありますね。
    真珠湾攻撃の際に、特殊潜航艇など使う位だったら機雷敷設のできる潜水艦でもって真珠湾口付近に機雷をばらまいておいたほうが後々役にたったのではないかと妄想しているのですがどんなもんでしょうか。
    かめ

  15. >14
     日本軍が保有していた敷設潜水艦「機潜型」伊21(後に121に改名)型は4隻しかなかったんです。
     この潜水艦は第一次大戦でドイツが多用した機雷敷設型Uボートの国産版でした(つまり第二次大戦では旧式潜水艦)
     そして機潜型潜水艦は航続力が、ハワイ作戦に参加した潜水艦の半分以下と行動力も貧弱でした。
     通常の潜水艦で敷設できるタイプの機雷があったならば、幾つかの作戦では有効な働きをしたと思えますが、こういう兵器への着目が遅れていたのが日本軍の問題だったと言えるでしょう。
     また機雷敷設潜水艦が旧式艦のままだったのは、当時求められていた高速長距離作戦に対応した潜水艦を作るには、巨大な大出力エンジンと大きな燃料タンクが必要で、つまり機雷を積んだらそれらが達成できなかったのです。
     予想決戦海域に到達できないと駄目な訳ですから、機雷敷設潜水艦に日本軍が着目するのも遅れてしまったんでしょうね。
    SUDO

  16.  ああ、ちょっと追加。
     敵港湾等に敷設する「攻勢機雷戦」は一時的にしか効果を発揮せず、また戦果も流動的なものです。
     なぜなら、誰かが触雷した時点で、そこは通行禁止になるのです。よって戦果は連続しません。そして掃海部隊がやってきて数週間後には安全な航行ルートが形成されてしまうのです。
     その数週間が致命的な影響を齎す事は勿論有ります(港に雪隠詰になった船団がその後の空襲で一網打尽になった例とか・・・)日露戦争の旅順戦のように、敵が出てこれなくなればそれで良いという場合なんかもあります。
     よって攻勢機雷戦は、その他の全般状況によって意味が変わってくるものです。
    SUDO


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