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2225 特型以降の駆逐艦主砲は後部砲の方が門数が多い分強力で、これは「雷撃後、退避の際の攻撃力を大きくする為」というのを聞いたことがあります(機銃増備後は後部砲1基を取り外したケースが多いですが…)。
一方、米駆逐艦はフレッチャー級までは砲位置から見ても前後ほぼ同等、サムナー級、ギアリング級では前部砲の方が強力に見えますが、これはどういう意図でしょうか?
私の予想では「戦況が有利になってきたので“追う立場”の方が多くなったから」と考えているのですが…
かけだし

  1.  サムナー級で前部火力重視の形になったのは、雷撃時の襲撃運動の際に目標への投射火力を大きく出来る事と、急降下爆撃機の脅威に対して艦首中心線上の火力を増大させる事を狙ったものです。サムナー級の基本計画は1941年に行われていますから、「戦況が有利になった」からではありません。
     
    大塚好古

  2. 大塚様、ご回答ありがとうございます。一番艦のアレン・M・サムナーでも44年竣工なので42年末頃には計画がまとまっていたと思っておりました(なにせ工業力のアメリカですから)。
    便乗質問ですが、「雷撃時の襲撃運動の際に目標への投射火力を大きく出来る事」というのは日本海軍にもあてはまりそうですが、初期の初春型以外は大体が前1基、後2基装備なのは日米の考え方の違いでしょうか?
    かけだし

  3. ↑まあ正確に言うと1941年中にほぼ内容が確定してますが、その後更に内容が各部門で検討されて承認を受けた最終案が海軍長官に提出されたのが1942年4月24日、海軍長官の認可が出たのが1942年5月11日ですので、1942年に計画確定と言っても良いのです(汗)。

     なお、日本駆逐艦の主砲配置は夜襲時の被発見率を低下させるための前部のシルエット減少(前部に背負配置にすると艦橋の背が高くなりますよね?)と、前部に砲塔を集中すると艦首が重くなり、凌波性が悪くなることがあるのが嫌われたことの相乗効果だと思いますが、詳しいことは日本艦研究者の皆様にお任せいたします(大汗)。
    大塚好古

  4.  日米の駆逐艦は、ともに前後に2門を配備し、あと2門を何処に置くかで分かれましたが、サムナー級でも砲塔の防水で苦労したように前方配置は駆逐艦には色々と厳しく、条約時代では解決できない問題だったのです(初春で3門配備にしたように、日本側も前方火力は増やしたがってます)
     また、駆逐艦の主砲とは昼間戦闘でものを言う装備です。
     夜間襲撃の場合は、見つからずに接近して、雷撃した後に主砲発砲というのが日本側の多用した戦術です(これは後に米軍も用いました)日本軍の駆逐艦が夜戦重視であることは言うまでもないことで、優先順位は魚雷・見つかりにくい背の低さ・突進時の凌波性等が前方主砲より上位だったと言っても良いでしょう。
     よって、夜襲艦として整備されてきた夕雲までの駆逐艦では、無理して前に主砲を置く必要性は無かったのです(置く事で他の性能が悪くなるのを嫌っただけで置けるなら置きたいですが、条約や予算の制限もあって難しい)
    SUDO

  5. 日本駆逐艦の場合は、単に復元性能の問題ではないでしょうか?!
    初春・子日で前部2砲塔を採用してますが、旋回時の傾斜が著しく、前部1砲塔に改装してるのは周知と思います。
    乙型(秋月型)になりますと、軽巡夕張とほぼ同等の大きさですし、目的も防空主体、水雷戦副次的で他クラスとは異なります。
    あと艦橋構造物の大きさだけなら、前部2砲塔の初春型や秋月型よりも、前部1砲塔の暁型のほうが大きいですよね。暁型の艦橋構造物縮小も、復元性能改善が主眼だったと承知しています。
    志郎家の番頭

  6.  連装砲塔の場合、日本、ドイツ、イタリアの駆逐艦は艦首に1基と言うのが多いですが、イギリスやフランスの場合、2基です。これは水雷兵器と砲煩兵器のどちらを優先するかという考え方の相違に起因するものと思われます。アメリカの場合、水平甲板型と言うことも搭載に当たっては有利であったとは思いますが、砲撃力の方を優先した結果かと思います。

    hush

  7. ↑アメリカもイギリスも駆逐艦は水雷兵装が優先です。英海軍の場合砲兵装を優先したトライバル級の様な例外はありますが、英海軍がこれを追加建造せず、K級以降の魚雷兵装を重視した艦の建造に移行したのはその現れです(良くトライバル級は艦としての評価は良かったが、建造単価が高いためK級以降の艦に移行したとされますが、実際にはK級(及びその後継艦)の方が建造単価は高いのです)。
     なお、サムナーに関しては「駆逐艦は水雷兵装が主兵装である」と要求時にしっかりと書かれてます。
    大塚好古

  8.  軍縮時代から開戦までの英海軍駆逐艦取得の流れ
     1927〜34年度 A〜H級 1400トン 単装砲・前2後2 4連装発射管x2
     1935年度 I級 1400トン 単装砲・前2後2 5連装発射管x2
     1935〜36年度 トライバル級 1900トン 連装砲・前2後2 4連装発射管x1
     1936〜1937年度 J&K級 1700トン 連装砲・前2後1 5連装発射管x2
     1937年度 L級 1900トン 連装砲・前2後1 高角砲1 4連装発射管x1
     1937年度 L級 1900トン 連装高角砲・前2中1後1 4連装発射管x2
     1939年度 M級 1900トン 連装砲・前2後1 高角砲1 4連装発射管x1
     1939年度 N級 1700トン 連装砲・前2後1 高角砲1 5連装発射管x1
     高角砲を追加した結果として発射管を減らした艦が出てきてますが、基本的に雷装の充実度はかなりのものだと思われます。
     実際L級で備砲を全て高角砲にした場合では発射管数が多く、そして戦時建造駆逐艦は多種多様な武装ですが、その殆どが発射管を2基備えており、水雷兵装を軽視しているとは思えませんね。
    SUDO

  9. と言うことは、番頭様の仰られるのが正解かな(もう、艦名以外は手を出さないでおこうと、何度目かの誓いを立てるhushであった)。
    hush

  10. 「背を低くする」と「復元性能」の両方が日本駆逐艦のあの砲配置の理由だったのですね。ありがとうございました。
    かけだし


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