QQCCMMVVGGTT
2293 別項でも中華民国国府軍について質問させていただいていますが
艦船関係ですのでこちらに質問させていただきたく存じます。

中華民国海軍の寧海級軽巡洋艦についての質問です。
寧海は(日本名は五百島)日本の播磨造船所で作られた軍艦だと聞きました。
2番艦の平海(日本名は八十島)上海江南造船渠で作られましたが
日本による技術援助があったと聞きます。
早くから両国の関係は険悪であったにも関わらず
何ゆえ日本の造船所や技術が使われたのでしょうか
イスラエル初期の兵器収集のように造船所が工作員に騙されて作らされたのでしょうか
誰かよろしければご教示いただけないでしょうか
カナコ・ハインケル

  1. 工作員に騙された、と考えるよりも、たとえば軍縮条約下での海軍力の対米比率を少しでも高める方策として日中同盟海軍という構想があり得たのではないか、と想像してみては如何でしょうか。
    BUN

  2.  後に敵対したからといって、それを工作員云々などと考えるのは穿ち過ぎでしょう。調べれば後の交戦国同士が祖の前年まで結構色んなものを売っているんですのが分かります。

     例えば第二次大戦前にソ連海軍の水上艦艇や潜水艦建造に技術協力したのはドイツやイタリアですし、英独間でもHe70やケストレルエンジンが輸出入されてますよね?
    偽師匠R

  3. A.寧海建造について
     日露戦争後、急速に促進された日清間の交流の結果、日本式の教育を受けた人材が多数中国にはいました。また日本ブランドに対する一定の信頼も小型艦艇の発注を通じて確立していました。当時の中国のテクノクラートにとって日本の艦船は比較的扱い易いと考えられていたのです。
     また当時の中国では内戦の影響でインフラ整備が停滞していました。確か平海は兵装の艤装は播磨造船所で行っていたはずです。こういった整備を委託できそうな隣国といえば日本かソ連しかありませんが、当時のソ連は日本以上に中国から敵視されていた状況がありますし、そもそもソ連海軍そのものが中国海軍と大差ない弱体ぶり(河川艦隊は別ですが)であったという事情もあります。

    B.寧海級は脅威か?
     軽巡洋艦という呼称の為、しばしば誤解を生みがちですが、寧海級は強武装であるものの外洋航行性に乏しく、巡洋艦というよりは北欧諸国の海防艦に近い性格を持っている艦艇です。
     中国海軍最良の水上艦艇であり、日中有事の場合最大の標的になったことも間違いないですが、日本にとり脅威となりうる戦力ではありません。水上艦を無力化することは日本海軍のお家芸であり、対米戦用に整備した戦力のごく一部を割くことで対応可能です。
     ちなみに脅威度だけでいえば日本海軍にとり以下の物のほうがよほど高いでしょう。
     急速整備されつつあった中国空軍に対抗するには海軍航空隊主力の投入が必要で対米戦に支障が生じます。
     ドイツ軍事顧問団が推進していた漸減作戦構想(要塞化された砲陣地と魚雷艇、機雷の有機的な迎撃網で対抗しつつ、米英の支援を期待)、ドイツから供給される予定であった小型Uボートに対しては画期的な対抗兵器が無い為、圧倒的大兵力の投入で叩き潰すほかありません。

    C.中国海軍はなぜ寧海級を建造したか?
     ここからは完全に私の持論になってしまいますが、あれは中央海軍による地方軍閥への抑止力として建造された艦だと判断しております。当時の中国に存在していたいかなる水上艦も寧海級に対抗不能です。
     中国中央海軍の仮想敵は地方軍閥でしたから、寧海を中国海軍の統一の象徴として完成させようとしていたものと考えられます。

    D.では中国海軍は対日戦を考えてなかったか?
     中央海軍は蒋介石の直接コントロールが効く組織では無く、むしろ軍閥の一つして考えるべき存在です。この為、第一次上海事変の際など中国軍陣地に砲撃を行っている日本海軍の艦の横を中国海軍の艦船が平時の答礼を交えながらすれ違うという奇妙な風景も発生しています。
     蒋介石はこの為中央海軍とは別の海軍を創設しようとします。魚雷艇乗りを育成した電雷学校です。学校とありますが小型の独立海軍といったほうが性格で、先に触れたドイツ軍事顧問団の構想を実現する政府直属の組織です。
     この学校が組織した魚雷艇部隊が日華事変当初に支那派遣艦隊の旗艦出雲への雷撃を行ったことは向こうではそれなりに有名らしいです。
     さかのぼれば大正時代、日本の八八艦隊に対抗して高速戦艦22隻保有案が飛び出したこともあります。

    E.>1
     日中同盟海軍という構想は一部の海軍軍人にあった模様ですが、むしろ南シナ海での作戦時に中国海軍を敵対させないことが優先されたようです。

    F.>2
     あと播磨造船所の特異な営業努力もあったようです。
     国内大手や海外の有力な競合相手に勝利したのはどうにも当時の播磨造船所がかなり「頑張った」のが当時の資料や社史から邪推できなくもありません(笑)

     長文投稿すいませんでした。
    じょーぢ

  4. 皆様投稿ありがとうございました。
    じょーぢ様長文御苦労様でした。
    大変わかりやすかったです。

    ありがとうございました。
    カナコ・ハインケル


Back