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2423 戦没商船のリストに挑戦中です
北方海域、特にキスカ方面での損害が非常に気になりました。
爆撃被害も多い。 潜水艦被害も多いです 他海域からは異常?
「キスカ・アッツ」の戦端経緯はそれなりに承知している積りですが・・
私にはアメリカ本土(ごくごく一部)の直接占領の効果表示のみ??の理解しか・・
このページでの設問で無いかも知れませんが、ご存知の方が有れば?宜しく
甲標的

  1.  で、何をお尋ねになっているのでしょうか?
    SUDO

  2. 設問の主旨が、「このページでの質問としてマッチしていない」なら、読み捨て下さい
    キスカ・アッツ方面にそんなに輸送船を送る目的が有ったのか?と言うのが疑問の発端です。 事故や海難は平時でも非常に多い
     アメリカも相当にムキになっている? 虎の子の砕氷仕様(?)の船を殆ど此処の海域で失ったのではないでしょうか・・
    甲標的

  3.  いや、設問の趣旨云々じゃなくて、此処は質問と解答の場なんです。
     何を尋ねているのかを明確に記していただけないと、誰も何も答えられません。

     で、アッツ・キスカ方面に輸送船を送る必要があったのかという事に関してはイエスです。
     上陸しないと占領できませんし、上陸した人には継続的な補給が必要です>アッツ戦で米軍が多くの凍傷者を出したように非常に厳しい気象環境ですので、両島あわせて数千名の生存に必要な補給も非常に大きなものが計算されます。
     さらに米軍の報告によるとアッツは入念かつ強固に建設された陣地が設置されていました。
     キスカに至っては、多数の自動車、無数の鉄条網、電話網、発電所、水上機基地等が置かれていたのです。中々の充実振りです。
     しかも陣地は強固かつ念入りな上、常に拡大と強化工事が行われていたようです(コンクリのトーチカも多数設置されていました)
     これらの資材にも多数の補給を必要としたでしょう。
     兵員一人あたりに必要な物資量は10〜20キロ/日と言われますが、かような過酷な条件下で陣地や基地の設営も行った場合はもっと増えるでしょう。
     恐らくアッツ・キスカへあの期間で送りたかった物資量は10万トン以上に達するでしょう。そして、それは別に極端な数字でもないですし、あの戦況と求められる輸送量から見て、あの程度の消耗が出るのも、また納得です。
     そんなに不思議な数字でしょうか?
    http://www.jsu.or.jp/siryo/map/aryusyan/aryusyan.html
    SUDO

  4. #甲標的さん
    >1.に書かれていることは、「このページでの質問としてマッチしていない」ではなく、質問文があなたの雑感でしかなく、疑問点が簡潔に示されてない旨を指しているだけと思います。
     私達としても、「船舶損害の絶対数が多い」のか、「投入船舶に比して損害が多い」のか、それとも、「支戦線のアリューシャン戦線に必要以上の船舶を投入したのか?」くらいに明示していただけないと、お手伝いもままならないので、時に苦言を呈する事をご了承下さい。

     本論に戻ります。
     アリューシャン・千島方面は島伝いの進軍が容易に思え、同時に南方主戦線に比較して防備が手薄な分、奇襲的攻撃がなされる可能性は、日米双方が理解していたとされています。
     そして、現地には、アッツ・キスカ両守備隊に北千島守備隊を加えた、1個師団相当の部隊が展開しておりますので、月に1船団(1万総d)のペースですから、特に船舶を投入している様子もありませんし、損失数も他方面に比べて多いとも思えません(キスカ撤退まで中千島以北の損失船舶は8隻?)
     むしろ、敵制空権下にあり、入泊時間が3〜6時間に制約されている事を勘案すれば、船腹のやりくりに苦労しております。

     また、昭和19年以降に千島方面での損失増加は、米国潜水艦の隻数増加による余力が北方に振り向けられたものとみれば、これも特別視するほどの事では無いと思います。
    油槽スキー

  5. 早速のご回答とご指導、有難うございます
    キスカ・アッツ戦と後半の北洋反攻そしてロシア参戦に連なる訳ですか・・
    私も疑問を直接に投稿してしまい反省しています。
    北方戦史サイトを読み整理の上で、改めて質問させて下さい。
    甲標的

  6. >2.
    戦略的にはアリューシャン列島攻略および占領の必要性は殆ど無かったと言ってもいいんじゃないでしょうか。もともと陸軍の主張でミッドウェー攻略のオマケ的に立案されたものですし、ソ連の対日参戦を含めて戦局の帰趨に影響与えてるとは思えません。兵力分散の反面教材としてのみ意義有るものと考えられます。
    駄レス国務長官

  7.  戦没商船リストは、年月日-位置別に網羅的なもの(戦没船記録集、米公刊戦史)、海運会社別に網羅的なもの(日本郵船戦時戦史ほか)、建造所別に網羅的なもの(各造船会社社史)といくつかありますが、航路別、作戦(目的)史別に扱ったものはないと思います。それゆえに疑問も出るし、答えられる人もいないという気がします。「アリューシャン・千島輸送戦史1942-1945」というような本があれば私もぜひ読みたいです。御調査、頑張ってください。
    (「トラック・サイパン航路攻防戦」、「ラバウル航路盛衰史」、「ソロモン・ニューギニア海上輸送戦」、「南方原油環送作戦史」などのテーマの本もないなあ、と思っています。) 
    IWA

  8. 改て書込みします。 元は皆様に教えて頂いた米公刊戦史と戦没商船記録をEXCELベースへの置換上の疑問でした。
    個人的には北方の2小島の維持のに、それだけの出血を伴うほどの補給が必要だったか(不謹慎な発言をお許し下さい)? 又、アッツ・キスカ 戦以降でも北方方面の被害記録が続いている。ということが気になったものです。
    SUDO様、油槽スキー様のご教授により大体の状況が推測出来ました。
    同じボカチンでも、海に投げ出されると同時に凍死では、やり切れない気持ちがします。 

    甲標的

  9. >8
     アリューシャンの2島以外の北方戦線での商船被害は千島列島のですから、作戦行動以前に国内輸送があるという事です。
     またアリューシャンで喪失した輸送船でほぼ全員戦死のような事例は数例でして、大半は沿岸座礁放棄等で海に投げ出されて全員凍死というようなものでもありません。
     こういう言い方は悪いですが、たかが8隻の消耗で半年も米領の占領維持が出来たのだと思えば、妥当な消耗ではないでしょうか。
     この17年6月〜18年2月の商船の喪失数は385隻で、そのうちアリューシャンは8隻でしかないんですよ。千島樺太方面も終戦までに約40隻で、商船の総喪失が3000隻を超える事を思えば、全然何も驚く事ではないでしょう。
    SUDO

  10. >4,9 1942.06-1943.02 の中千島以北の損失船舶8隻を米公刊戦史と駒宮本から拾ってみました。

    1.【日産丸 日産汽船 6,536総トン】 (1942.06.18) USAAF B-17s, B-24s, and an LB-30 (11th Air Force) bomb Japanese shipping in Kiska harbor, sinking fleet tanker Nissan Maru, 51°58'N, 177°40'E.  船員1名戦死。

    2.【第七播州丸 西大洋漁業 5,490総トン】(1943.07.02) Submarine S-35 (SS-140) sinks Japanese merchant cargo ship (crab-catcher) No.7 Banshu Maru off the west coast of the Kamchatka peninsula, Aleutians, 52°30'N, 156°12'E. 警戒隊1名戦死。

    3. 【鹿野丸 国際汽船 6,940総トン】(1942.07.31) Submarine Grunion (SS-216) torpedoes Japanese transport Kashima[SIC Kano] Maru, but is sunk by gunfire from her quarry,

    4.【野島丸 日本郵船 7,190総トン】(1942.09.14) USAAF planes (13 B-24s and 1 B-17 take part in the raid) sink Japanese ammunition ship Nojima Maru off Kiska, Aleutians;
    (1943.04.20) USAAF planes sink Japanese ship Nojima Maru north of Kiska.

    5.【チェリボン丸 南洋海運 4,016総トン】 (1942.11.26) USAAF B-26s damage Japanese merchant cargo ship Cheribon Maru off Attu, Aleutians.  便乗者4名、船砲隊6名、船員5名戦死。

    6.【もんとりゐる丸 川崎汽船 6,577総トン】(1943.01.06) PBY sinks Japanese merchant cargo ship Montreal Maru near Kiska, Aleutians, 53°28'N, 177°52'E. 独立歩兵三○ニ大隊216名、独立工兵76名、野戦病院23名、船砲隊64名、船員93名 全員戦死。

    7.【琴平丸 内外汽船 6,100総トン】 (1943.01.06) USAAF B-24s sink Japanese merchant cargo ship Kotohira Maru off Holtz Bay, Attu, 53°00'N, 173°10'E.  便乗者2名、船砲隊54名、船員64名戦死。生存者1名。

    8.【あかがね丸 日本海運 3,121総トン】 (1943.02.19) Heavy cruiser Indianapolis (CA 35) and destroyers Coghlan (DD-606) and Gillespie (DD-609) (TU 8.6.2), intercept Japanese army cargo ship Aragane[SIC Akagane] Maru bound for the Aleutians and engage her northwest of Attu, Aleutians.  便乗者38名、船砲隊36名、船員66名全員戦死。

    − 餓島戦と同時期ですから、その消耗と比べれば牽制の効果あり、のようですが...、それにしても経緯度に絶句してしまいます。
    IWA


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