QQCCMMVVGGTT
2472 空母の艦橋が右にあるのも、アングルドデッキが左に傾いているのも、プロペラの回転方向に基づくものだ。と聞いたのですがこれはどういう意味ですか?
んがぽこ

  1. 空母の艦橋がすべて右舷にあるとは限りません。
    よく調査されてからご質問なさることをお勧め致します。
    蒼空

  2.  プロペラがパイロットから見て時計回りの場合、+の迎角でパワーを増すと機体には左へ傾こうとする力(トルク反作用)と左へ首を振ろうとする力(プロペラ不均衡流)が発生し、右ラダーの踏みが足りないと左に流れます。特に軽量な機体に大きなエンジン・プロペラを付けたプロペラ戦闘機ではこの傾向が顕著です。

     しかし、肝心の英国製レシプロ艦載機はプロペラが「パイロットから見て反時計回り」のものが多数を占めます。時計回りなのはマーリンを積んだフルマーやシーファイヤくらいのもので、シーグラジエイターもソードフィッシュもアルバコアも後期シーファイヤもファイヤフライもシーフューリーもプロペラは反時計回りです。但しアメリカ供与のマートレットやターポンやコルセアは時計回りですが。

     空母の艦橋やアングルドデッキの位置と、プロペラ回転方向に「直接の」関係はないと思います。
    ささき

  3. バラクーダを忘れてた(^^;)。バラクーダは Mk.V 以降が反時計回りのグリフォン、それ以前は時計回りのマーリン搭載ですね。

    空母の艦橋については、場周旋回を左旋回で行う慣習から来たものではないかと思います。これは並列複座機の機長席が左側であることとも附合します。しかし、「なぜ左なのか」はハッキリ言ってよくわかりません
    ささき

  4. 勉強になりました。どもです〜
    んがぽこ

  5. 特別な理由がはっきりとある2、3の空母を除き、全ての空母の艦橋が右舷にあるのは飛行機の発着よりも操艦上の都合や慣習による所が大きいのではないでしょうか。飛行機の発着に関して左舷の艦橋が致命的に不都合という事は無く、艦橋を左舷に配置した例外的なごく僅かの艦も重大なクレーム無しに過ごしています。
    BUN

  6. 参考過去ログ
    http://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000106.html
    http://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000380.html
    http://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000637.html
    http://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000841.html
    http://www.warbirds.jp/ansq/21/B2001162.html
    http://www.warbirds.jp/ansq/21/B2001163.html
    Ans.Qの表紙(http://www.warbirds.jp/ansqn/)
    にあるAnsQ過去ログ検索窓に「左舷 艦橋」と打
    ち込んで出てきた中から、関連しそうなものを抜
    き出して見ました。
     
    本間

  7. 日本艦が右舷に艦橋を設けた理由は煙突との関係で格納庫容積が稼げるかもしれないという可能性と発艦と着艦、そして戦時の逆着艦を考慮して「今後の母艦は艦橋を左舷中央に配置する」と航空本部によって決定され赤城、飛龍、翔鶴、瑞鶴、大鳳はこの為に左舷中央に艦橋を設置する計画になっています。しかし発艦より着艦を優先する必要があるとの判断と格納庫容積への影響が殆ど無いこと、操艦上の問題、戦時逆着艦は現実的でないとの見通しから再び右舷前方に変更され、翔鶴型以降の艦橋配置が計画変更を受けています。
    気流問題はさほど重要視されていません。

    このように左舷中央配置がもたらすデメリットは明確なのですが、では何故左舷前方配置ではいけないのか、右舷でなければならないのか、という理由は単純に操艦上の都合ではないかと推定できる程度で日本海軍に限って言えば明確な記録は残されていないようです。
    BUN

  8.  仮説ですが、島型空母の艦橋がほとんど右舷にある理由は、煙突が右舷に設けられたためであり、煙突が右舷に設けられた理由は、飛行場の周回飛行が左旋回(反時計回り)だったためであると思います。

     空母の煙突は両舷に振り分けられた例はありますが(新造時の加賀,CV-4レンジャー)、左舷に設けた例はありません。これら2つの例外を除けば、空母の煙突は全て右舷側に設けられています。日本の空母は、舷側煙突を採ったため煙突と艦橋の位置を分離できたけれども、英米の空母は、オーソドックスな直立煙突だったため艦橋と煙突を離隔できませんでした。つまり煙突の位置が、艦橋の位置も規定してしまった訳です。
     直立煙突の場合、艦橋および煙突で分けられた飛行甲板の前半部と後半部の間の交通性を確保するにも、艦橋からの視界を阻害しないためにも、艦橋の直後に煙突を設け、艦橋と煙突を共に片舷に寄せなければなりません。英海軍は、試行段階のフューリアスで、飛行甲板の前後の交通性について教訓を得たはずであり、艦橋と煙突を共に片舷に寄せるデザインは必然だったと言えるでしょう。

     飛行場の周回飛行が左回りになった理由は、おそらく伝統的な交通ルールに由来するのでしょう。昔のイギリスの街路では、交差点はロータリーになっていて左回りでした(信号機がなく、警官も交通整理をしない時代)。だからこそ“左方優先”で、その慣習が現代日本の道交法にも継承されている訳です(w。飛行機の黎明期、飛行場上空で周回する際のルールなど未だ決まっておりません。その頃、パイロットが当時の称び方で言えばアビエーターが、飛行場上空に達して着陸しようと高度を下げる際、地上の交通慣習に従って特に考える事もなしに左旋回を選んだのではないでしょうか。そして何時の間にか、それが陸上機のルールになり、艦上機の着艦にも援用されたという事なのでしょう。
     周回飛行が左旋回と決まれば、煙突は右舷側の方が都合が良い。なぜなら黒煙が発生した場合(その昔は石炭と石油の混焼缶が主流)、煙突が右舷側に在った方が、左旋回する飛行機から飛行甲板が見えやすい、という事だったのでしょう。

     つまり、左旋回>>>右舷煙突>>>右舷艦橋という順で、島型艦橋の位置が決まったのではないでしょうか?。

     なお改装後の赤城と飛龍が左舷艦橋となった理由は、艦橋を左舷側に寄せる事に意味があったのではなく、飛行甲板の中央に艦橋を持ってくるためだったと考えられます。日本の空母は舷側煙突を採ったため、煙突の直上に艦橋を設ける事は不都合であり、しかし主機区画の配置によって煙突の位置が艦の中央に(したがって飛行甲板の中央に)ほぼ限定されていました。それゆえ艦橋を飛行甲板の中央に設けたければ、左舷側に持って行かざるを得なかったのでしょう。また煙突の張り出しと艦橋の張り出しとが相殺し合うので、艦の設計上も合理的であると考えられたと言われています。
     艦橋を飛行甲板の中央に設けた目的は、逆着艦を考慮したためであり、両舷とも障害物がない着艦区域を必要な長さ確保しなければならないからです。飛行甲板の中心線を保持する事は、やはり発艦時よりも着艦時が随分と難しい。であればこそ着艦バリア(制止網)の位置が、加賀(改装後),蒼龍,翔鶴型,雲龍型では艦橋の直後にあり、隼鷹型でも予備的?な着艦バリアが同じ場所にあり、赤城でさえ最初の着艦バリアが艦橋の後方にある。
     大鳳と信濃では、艦橋の後端よりも着艦バリアが前に位置していましたが、飛行甲板の幅が広かった上に艦橋が舷外に張り出していて、着艦の邪魔になり難かったためでしょう。飛龍の着艦バリアは艦橋の直前にありましたが、これは逆着艦の際の安全確保のためではないか?と思われます。飛龍では、制動ワイアの数が艦橋後方に6本,前方に3本であり、逆着艦の場合、ワイアを引っかけ損なう危険度が高いと考えられたのでしょう。そして赤城も、艦橋直前に2列の着艦バリアを備えていました(艦尾方向から2番目と3番目)。
     結局、逆着艦は否決されましたが、赤城と飛龍で通常の着艦に特に大きな支障を生じませんでした。思うにその理由は、赤城は飛行甲板の幅が比較的広かったため、飛龍もまた飛行甲板の幅が最も広くなる位置に艦橋が設けられたため、天山や彗星に比べて着艦距離が短い97艦攻や99艦爆では問題が顕在化しなかったという事なのでしょう。しかし、蒼龍に二式艦偵(彗星の偵察機仕様)が試験的に配備され、飛龍には配備されませんでした。これは、両艦の着艦に利用できる長さの違いが理由だったと考えられます。やはり発艦よりも着艦が難しいから、それを考慮する必要が大きかったという事なのでしょう。
    河童

  9. 左回り仮説は一見もっともに見えますけれど、賛同しかねます。アプローチの方法が確立する以前にその方向が見出されるからです。

    また逆着艦も過大に評価し過ぎです。逆着艦は戦時、着艦設備の損傷時に万が一行われる可能性がある、と一時期だけ考慮されたもので、逆着艦を意識して装備された固定設備は第一横索だけです。
    艦橋の位置も逆着艦を第一に意識したものではなく、着艦時と同じく発艦時にも障害とならないことが左舷中央部に艦橋を配置する際の利点に挙げられています。
    ですから逆着艦は翔鶴以降の艦では考慮されていません。
    着艦区域が前部リフトを含むか、その手前に設置されるかは、運用上の問題と搭乗員の技量による(その為に雲龍型から着艦区域が延長されている)のです。
    こうした事情については文書で明確に述べたものがあります。
    手持ちの御本にも書いてあります。

    BUN

  10.  ご指摘の通り、
    >なお改装後の赤城と飛龍が左舷艦橋となった理由は、艦橋を左舷側に寄せる事に意味があったのではなく、飛行甲板の中央に艦橋を持ってくるためだったと考えられます。>>8
    は正しくありませんでした。
    「<前略> 追而本件赤城の大改装及び飛龍以後の新艦に適用することと致し度。
       記 艦橋と煙突とはこれを両舷に分置し煙突は可及的後方に艦橋は中央部付近とす <後略>」
    とある通り、艦橋と煙突の両舷分置という航空本部の方針が理由でしたので、訂正いたします。

     さりながら、
    >アプローチの方法が確立する以前にその方向が見出されるからです。>>9
    とは、どのような意味でありましょうか?。不勉強ゆえ、更なるご教示を賜れば有り難いと存知ます。
     思うに、煙突の位置と周回の向きは不可分です。もしイーグルや鳳翔が右舷煙突を採った理由が偶然に過ぎなかったにせよ、それが否決されずに空母の普遍的なデザインになった以上、周回飛行の左旋回と関連付けて考えざるを得ないのではないでしょうか?
    河童

  11. 8>飛行場の周回飛行が左回りになった理由は、おそらく伝統的な交通ルールに由来するのでしょう。

    海軍の飛行場の「誘導コース」は左回りだけでなく、右回りもありました。
    館山基地の陸上機は風向にかかわらす、常に南側の山の上を飛びました。
    私のHPをご一読ください。  http://www.warbirds.jp/senri/
    蒼空

  12. 河童殿
    推定を述べるだけならば御自身のHPで願います。
    BUN

  13.  英海軍が空母の上部構造物を右側に寄せることにした理由については、

    http://www.warbirds.jp/truth/ukcv/ukcv.html

     中の「基本形の確立」のところで記載しています。またそこでもかいてますが、米仏の空母が右舷配置を取ったのは、英より貰ったイーグルの発着艦公試の結果を含む情報に基づき、その配置に倣ったというのが一般的な見方です。

     なお、イーグルやハーミズの計画時、英海軍が左舷配置を考慮していたことがあるのは当時の風洞模型の写真で確認出来ます。
    大塚好古

  14. >13

     上の恥ずかしいミスの修正。

     「またそこでもかいてますが」→「またそこでも書いてますが」

     「当時の風洞模型」→「当時の風洞実験用模型」

    …です。失礼しました。
    大塚好古

  15. >8 細かい話ですが、イギリスのロータリー(ラウンドアバウト)は右回り(時計回り)で、右側優先ですから、道路交通仮説は成立しがたいと思います。(ただしロータリーでない交差点では左側優先です。)
    カンタニャック

  16. >13 便乗質問で大変申し訳ないのですが、大塚先生の解説で英米仏3カ国の艦橋配置については理解できましたが、それ以外の欧州諸国空母の艦橋配置はどのようにして決定されたのでしょう?
     一応ソ連については先生の「世界の戦艦」に記述されておりました米国からの航空戦艦売り込み辺りを元にしたのではないかと漠然と考えたりしているのですが、(特に)独の場合はツェッペリン以降オーソドックスな右舷島型艦橋を採用し続けていたのに、大戦半ばも過ぎた頃の大西洋作戦型航空巡洋艦では突然左舷艦橋左舷煙突の計画が立案されているようにみえ、「世界の戦艦」刊行後ずっと理解に苦しんでおります。
    ヴェトミン

  17. >16

     ドイツに関しては、「ツェッペリン」の設計の際には「カレイジャス」と「レキシントン」の艦上配置を参考にした、と設計にあたった担当者が述べています。以後右側配置で改装空母の計画も進みますが、1943年以降検討が行われた大西洋作戦型航空巡洋艦を始めとする試案は、上部構造物の配置に関しては「どれが最適なのでしょう?」と考えていたらしく色々な配置案があるので、特に根拠があって上部構造物の配置を左にしたということはないと思います(同時期に右配置の軽空母案がありますし、また大西洋作戦型航空巡洋艦には上構中心線配備の案もあります)。

     ソ連に関しては1927年に計画された空母案は左配置だったりしますが、以後の計画案で右に切り替わったのは、恐らく時期的に見て英米空母の情報が入った結果だと推測されてますが、今のところ確証はありません。

     イタリアに関しても英米及び独空母の配置を参考にしたことによる影響だろう、との推測は出来ますが、これは個人的推論であり、確証はありません。
    大塚好古

  18. >17
     大塚先生、愚問への回答有り難うございます・・・。m(__)m 各国とも英米空母の影響を受けつつ艦橋や煙突配置は試行錯誤を続けていたのですね。(それにしても大西洋作戦型航空巡洋艦、上構中央配置案も検討されていたとは・・・なんだかカレイジァスよりフューリアスの影響でも受けたのでしょうか??)
     尚、便乗質問UP後自前でも検索を続けてみたのですが、ドイツの場合第1次大戦末期にイタリア客船アウサニアを改造して空母化を検討したとの記述を見つけました。この時には右舷艦橋直立煙突形式を採用しているようですが、ツェッペリンの建造時には、この時の計画案が何某かの影響を与えることは無かったのでしょうか?
    ヴェトミン

  19. >18

     アウサニアの改装案はツェッペリンの設計に影響を与えた可能性はありますが、あの設計案自体が予備試案で留まっていたこともあり、余り参考にならなかったのではないかと思います。

     実際、ドイツ人の書いたツェッペリンの設計に関する文章でも、「カレイジャスの配置を云々」というのは書かれても、アウサニア改装案に触れられることはまずありませんから、影響があったとは些か考え難い面があります。

    >大西洋作戦型航空巡洋艦

     中心線配備案は、フュリアスというより航空巡洋艦最上や3/4番砲塔を撤去した伊勢型を想像したほうがモノとしては近いです…。多分砲戦指揮の都合等で大型の上構を中心線に残したかったんでしょう。

     因みに大西洋作戦型航空巡洋艦の多くの案は舷側部から機関の排気を出すようになっています(「世界の戦艦」に掲載したAIIIは数少ない煙突が上に出ている案です)。これはもしかしたら図面を渡した赤城の影響があったのでは、とも思えます。
     その一方で日本とは逆に煙路を左舷に導いており、更に日本空母より排気口の位置が低いので、左舷に傾斜したらかなりマズイ事になりそうな配置になっているという差異がありますが。
    大塚好古


Back