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2478 接舷移乗白兵戦について質問です

1.歴史上最後に接舷移乗白兵戦が行われた海戦はいつでしょうか?
2.海軍における接舷移乗(もしくは単に艦上での)白兵戦の訓練は今でもなされているのでしょうか?
3.(2.の回答がNOなら)いつ頃の時代まで行われていたのでしょうか?
おうる

  1. 1.大西洋のUボートとアメリカ駆逐艦のあいだでそれこそ艦載火器は言うに及ばず携行火器や手榴弾からコーヒーカップに拳(ドイツ兵が数人乗り込んできたそうで)まで繰り出した一件があるそうです。どなたか詳しいデータお持ちだと思いますけど
    (節減と言うよりは体当たりか衝突だったみたいです昔、丸に出ていました)
    ベトナム戦で海軍や沿岸警備隊のボートがメコン川などの奥深くまで入り込んでますからその際になにかあったかもしれないし(川じゃ海じゃないか・・・)
    最近ではロシア海軍の補給艦にマレー海峡の海賊が挑んで撃退されてますね。(民間船舶と思ったらしいとのこと;ほとんどネタレベルの笑い話ですね)
    素人ですが・・・

  2. 1、さんが仰られている
    >大西洋でUボートとアメリカ駆逐艦が移乗白兵戦を展開

    というのは、1944年5月6日、中部大西洋ケープ・ヴェルデ沖で
    対潜掃討隊の1艦、DE51バックレイがU66と激突。
    (夜間浮上航行中のU66に無照明で肉薄、砲戦の後U66の船体に乗り上げ)
    後はバックレイの破口から飛び込んできたドイツ兵に乗員が
    「空薬莢に小皿、しまいにはコーヒー茶碗まで持ち出した」とされる乱闘模様。
    その間にバックレイ乗員の一人がU66の司令塔に爆発物を投げ込んで、同艦は火災発生の後漏水沈没。
    U66の捕虜36名、バックレイの乗員は数人が打撲傷や間接を痛めた程度というのがこの戦闘の顛末でした。

    後は、これは未遂でしたが
    ガ島への輸送作戦中の伊1がニュージーランド海軍コルベットのキウイ、モアと交戦。
    爆雷攻撃で損傷の為一旦深震度まで沈降したのち海面まで急浮上、
    その際に同潜の砲術長、並びに先任将校ら数名が軍刀片手に飛び移ろうとする一幕があったものの
    そのとき艦が座礁して伊1乗員はリーフ側に向けて脱出した模様です。
    烈風天駆

  3. >軍刀片手に
    あらら、こっちは本当の白兵ですね(本来、刀剣槍の類を白兵というそうです)。
    読んだことあるはずですがこのエピソードすっかり忘れております。
    素人ですが・・・

  4. 脱出したその後が気になりますね。友軍の救助があったのならば良いのですが。
    ゴミレスでした・・・。
    はにまる

  5. >4

    伊1号潜乗員の件でしたら、詳細な数字までは存じ上げませんが
    前記の先任将校(氏名は差し控えます)を含む若干名が生還しているようです。
    烈風天駆

  6. 過去の丸の巻末の手記にその時のことが書かれていたと思います。
    このとき暗号表が相手にわたってしまったんでしたでしょうか?(他の艦でしたでしょうか?)
    素人ですが・・・

  7. >2の内容修正

    前文では砲術長としましたが、軍刀片手に「キウイ」に飛び移ろうとしていた1中尉の職名
    別の資料によれば「航海長」となっておりまして、当方ではこれ以上の詳細は掴みかねます。
    なお、生存者は艦脱出時には先任将校以下65名(この戦闘での戦死者艦長以下27名)
    彼らはカミンボ岬警備隊と連絡をとった後、第一次ガ島撤収の際に乗艦して帰還しています。

    伊1号からの暗号表奪取についてですが、これの経過は実に複雑でして
    艦脱出時に使用中の暗号表については持ち出したものの、
    古い暗号表と呼び出し符号一覧表等は艦内に残置したままであり
    第六艦隊司令部は機密文書の処分と船体の爆破を指示。
    2月10日に26航戦582空の艦爆9機が零戦20機と共に出撃して伊1の船体を爆撃するも
    命中弾は一発のみで艦の完全破壊には失敗。
    今度は前記の先任将校以下4名が陸軍の船舶工兵11名と共に
    爆雷2発と爆発物6個を携帯、伊2号潜に乗艦して出動しましたが
    今度は伊1の船体を発見することが出来ずにやむなく引き返しています。

    4ヶ月後、第六艦隊の危惧は的中し、
    ニュージーランド海軍のコルベット「マタイ」と米海軍の救難艦が伊1の艦内を捜索。
    この成果として、暗号表や乱数表を含む重要文書を入手したと発表している模様です。
    烈風天駆

  8. みなさんありがとうございます

    偶発的には移乗白兵戦というのは近代でも行われていたんですね。

    質問2.3.についてはどうでしょうか?
    ロシア海軍の補給艦の例をみると、ある程度備えがあるようにも思えますが
    おうる

  9. >8
     大概の国の水兵は、兵隊としての訓練も一通り受けていますし、陸戦や警備活動のために小火器を持ってます。
     よって、軍艦に殴りこむというのは、警察署に殴りこむぐらいの意味はあります。
     ただ、軍艦が敵の軍艦を襲う手段として移乗戦を想定する時代は19世紀で終わっています(接触戦は、スパートピドーや衝角という手段で残りましたが、それらも19世紀末あたりで消えています)
    SUDO

  10.  「眼下の敵」と言う本を思い出しました。映画では、ラスト・シーンを思いっきり変えてしまいましたが、本来は駆逐艦の艦長とUボートが殴りあうと言う白兵戦で終わっています。
     さて、偶発的なものは別として、艦隊決戦で「接舷移乗白兵戦」などと言うものが行われた最後は1869年の宮古湾海戦ではないかと思います。新政府に引き渡された軍艦甲鉄(後の東)に幕府軍艦回天が斬り込んだというものです。本来は蟠竜丸、高雄とともに斬り込む予定が単艦での攻撃となりましたので、艦隊決戦と言うべきものではないと思いますが、一応、ご紹介させていただきます。
     南アメリカあたりでそのような戦闘があった可能性もありますが、艦隊決戦にこだわるのなら帆走時代になると思います。ナヴァリノ海戦でそのような戦闘が行われたかどうか分かりませんでしたので、もしかしたらトラファルガーが最後になるのかも知れません。
     斬り込みというものがなくなってきたのは、もちろん艦砲などの発達により射程が延びてきたというのが最大の原因かとは思いますが、捕獲賞金と言うものも大きいかと思います。この分配制度が正式に廃止されたかどうか分からないのですが、近代の戦闘においてそのような分配金が配分されたと聞きませんので、実質的に廃止されたものと思っております。拿捕することによって国家にプラスになると言う考えから、戦闘で相手を打ちのめすことに主眼が移ったのが近代の戦闘と思われますので、わざわざ危険を冒して接舷戦闘などは行わないようになったと思うのです。したがって、そのような戦闘は帆走時代が最後ではないでしょうか。
     
    本間

  11.  白兵戦の訓練はあるけど、艦上での戦闘に特化した訓練というのはない

     と、いうことでよろしいでしょうか?

     ありがとうございました。
    おうる

  12. 1940年2月16日、英海軍駆逐艦コサックのアルトマルクの拿捕があります。ヨッシングフィヨルドでコサックに接舷され白兵戦の末捕虜299名を奪還する!というと勇ましくて聞こえがいいが・・・・・
    白兵戦といってもノルウェーの中立海域を侵してアルトマルク号(ノルウェー艦艇の保護を強引にすり抜け)を臨検し、英国側はドイツ側の船員が一発も撃っていなかったのにも関わらず、一方的に銃撃を行って6人を死亡させた。これは後にノルウェー側も証言した事だが水に飛び込んで逃げる船員にも発砲するという非道行為に及んでいたそうで・・・
    ま、英国、米国のやりそうなことですが。

    四式射撃装置

  13. 本でミッドウェー海戦で空母が沈没して漂流していた人達(39人だったと思う)が近ずいてきたアメリカの駆逐艦を奪おうとして失敗したという話を読んだことがあります。
    us

  14. >10
     捕獲は第二次大戦でも珍しくは無いです。
     実際「戦時造船史」には、このような捕獲艦船の取得による船腹量の増加も見込みとして計上されていた事が記されています。
     撃沈よりも捕獲が望まれるのは、多分古今東西共通しているのではないでしょうか。
     単に、その為に支払うリスクが、帆船時代よりもはるかに大きいだけでしょう(接舷できるなら、どっちの側も魚雷撃って当てられるんです。やる気のある敵艦に接舷するのは、自艦を不必要に危険に晒す行為でしかありません)
    SUDO


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