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50 ケッテンクラートについて教えて下さい

  1. 大戦中期以降、簡易牽引車を大量に装備しようとした際、独には大量の二輪のみの運転技能を持った兵員があり、彼等が二輪と同様に装軌車を運転できるよう、あのオートバイ型ハンドルとそれに連動したキャタピラの操向機を持った車両が開発されたのでしょう。その証拠に前輪が無くても運転に支障はありません。BUN


  2. 一言で言ってしまえば通常のバイクでは活動困難な泥濘期の東部戦線でも活躍できる小型輸送・連絡用車両でしょう。ロシアの道路は十分整備されておらず、特に春先は道路が泥沼化し戦車でも前進困難になるほどです。このため、ドイツ軍は濘期


  3. 一言で言ってしまえば通常のバイクでは活動困難な泥濘期の東部戦線でも活躍できる小型輸送・連絡用車両でしょう。ロシアの道路は十分整備されておらず、特に春先は道路が泥沼化し戦車でも前進困難になるほどです。このため、ドイツ軍はこのようなキャタピラ付の車両を開発、投入したわけです。なお、同様に東部戦線向けのキャタピラ式輸送用トラックとしてRSOというものがあります。詳しくはタミヤからプラモデルが出ていますのでその解説を見るか、グランドパワー(デルタ出版)のシリーズでの誌、


  4. (続きです)グランドパワーのシリーズでこれについて写真付で解説しているものがあるので(どの号かは忘れた)、それを見てください。


  5. 確か空挺部隊用に開発されたキャリアーじゃなかったでしたっけ?


  6. ケッテンクラートの一番の不可解で不合理な点はバイク型という形態でしょう。これの背景の解明がケッテンクラートの考察の全てですね。


  7. 東部戦線用と書きましたが、もともとは山岳部隊の汎用牽引車両として開発され、そのコンパクトさと装軌式による牽引能力の高さが着目され空挺部隊の間で使用されるようになりました。40年に量産が開始されクレタ島侵攻作戦で実戦投入されています。その後、ドイツ軍の空挺作戦は激減し(クレタ作戦での空挺部隊の被害が甚大だったため)活躍の場を失うかのように見えましたが、東部戦線での劣悪な道路事情がこの車両を多く必要としたわけで44年末までに8000両以上が作られています。ところで操舵は前輪で行いますが、操縦メカニズムは左右のキャタピラの速度を変える方式であり、本来前輪は必要ありません。それなのにモータサイクルの前輪を取り付けたのは、開発したNSU社がモータサイクルのメーカーだったからでしょうか。


  8. ケッテンクラートの操向はハンドルを動かすとそれに連動してリンクが動いてキャタピラの駆動部分に伝わる訳ですから、操舵の簡易化が目的で、あえてコストをかけてバイク型前輪を付加したのではないでしょうか。BUN


  9. ↑一定以上のステアで履帯の変速をしたと思う。ギアの段数分の走向パターンしか持てないのが難点なので、小舵角では前輪だけで方向変換をするのでは無いかと思います>ドイツのハーフトラックは大抵そうゆうパターンだった筈です/SUDO


  10. そうです。一定の角度まではキャタピラと無関係に前輪のみで回れるのですが、低速走行中ではは困難なのではないでしょうか?BUN



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