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78 以前書いた、フィリピンの戦車第十連隊に加えてインパールの戦車第十四連隊でも九七式改の乗員に第二砲手(装填手)を加えた五人乗車であることがが確認できました。第十の場合は一式の可能性も無いとは言い切れませんでしたが、今回は時期的に見ても確実です。九七式改は四人乗りではなかったのではないでしょうか?BUN

  1. 記録に残った4人乗りは戦車学校等に供給された先行量産型だったのでなないかと。SUDOさん、Nさん(逆指名)見解をぜひ!


  2. 一式と97改て砲塔構造は同じでしたっけ?もし同じだったら、5人乗車は可能ですよね、本来57mm砲は砲手が片手で扱える限界サイズってのが有ったようですから。薬筒の大きな47mmの場合、実戦運用で問題が出たであろうコトは想像に難くありません。うがった見方をするならば、97改の改良版でしか無い一式で5人になったのは、現実の追認だった可能性もあります>想像でしか無いのですが、前線で改造することが許されないほど硬直した兵器行政をしていたぐらいです、97改は書類的に「チハ」と同じとされて「4人」乗りと記載され、実戦運用では5人だった・・・、ありそうなハナシですよね/って全然「見解」じゃ無いですね・・・すいません、SUDO


  3. デルタ出版「帝国陸海軍の戦闘車両」の記述を見ると、一式との差異は車体が主体で、砲塔は同じモノの様で、これが実質的戦闘能力が同じ「一式」の量産開始が遅れた原因とされていますが、もし、それが事実ならば、装填手が居る一式と「居ない」97改では戦闘能力はかなり変わるはずです、よって97改の時点で5人乗車になっている可能性は高くなってきました、また砲塔が同じモノならば、装填手の居場所を一式になってから用意するとは考えにくいですよね>空間を考えてもあらかじめ用意されていたと考えるべき。・・・・やっぱし5人乗車だったんじゃないかなぁ/SUDO


  4. 下の本によると、生産施設の関係で、車体はチハなのに砲塔はチヘ、あるいはその逆という車両もあったようなのでそれが関係してるのかも。


  5. チヘの砲塔は増加装甲が張り付けられているのみなので乗員数とは無関係と思われます。


  6. チヘとチハ(改)の砲塔は図面上では全く同じに見えます。砲塔前面の増加装甲はチハにも付いているものがありますし、生産の面から同一の物だと見て間違いないと思います。(切れそうだから上に続く)


  7. (続いた)さて、乗員人数ですが、乗員4名の場合、車長が装填手を兼ねることになると思う(チハの運用の裏をとって無いので「思う」です)のですが、チハとチハ改のキューポラと砲の位置を比較すると明確に位置関係が違っています。位置関係が変わったことにより本来車長が行っていた装填が困難になり、スペースに余裕があったので急遽第二砲手を増員しこれがチハ改の標準となった、その現状を鑑みてチヘでは正式に5名としたが実体はチハ改の実際の運用を追認しただけで、戦訓がなければチヘも4人とされていたのでは無いでしょうか。


  8. (まだ続く:ゴミ)まとめ「チハはマニュアル上4人だが実際は5人乗っていて、これを受けチヘで正式化された」・・・外見と一般的な運用方法からの推論にすぎず、全然説得力無いですが一つの意見と言うことで。


  9. ↑見事なまとめ方です。まったく同感です>だったらちゃんと書け>をれ(^^;;。追伸、下記参考資料によると、チハ車の車長の装填は、あくまでも補助作業で、基本は、砲手一人での運用だったようです/SUDO


  10. ↑ありゃ、車長は補助ですか。とすると、車長が砲弾を取り砲手に渡す、それを受け取った砲手が尾栓を見ている間に目標が動いて1から照準やり直し・・・っていうか車長も砲手も外見てないぞこりゃ(笑) 対戦車戦闘を目的としたチハ改は「目標の連続捕捉」の意味からも専業装填手がいないと厳しい様に思えます。


  11. ↑いや、基本は砲手一人で、緊急時のみ車長が補助するってカタチだったようです>チハ車での運用/SUDO


  12. 随分と時間がたってからの書き込みで申し訳無いです。(2000.03.02)
    この掲示板を見つけたのがごく最近なもので。
    で、新顔です。皆様よろしくお願い致します。
    父親が占守島の11TKRの生き残りなもんで、家にある「戦車第十一聯隊史」を調べました。
    同誌の編成表(昭和20年8月)の内、連隊装備表によれば装備戦車はM(47)が20両、M(57)が19両、Lが25両です。本文中には一式が配備されたとの記述が見られないのでM(47)が九七式改と思われます。軽戦車中隊である第4中隊を除き、(47)と(57)は各中隊にほぼ均等に配備されています。
    乗員名簿では、車長、砲手、操縦手、通信手又は銃手、車外員となっており、九七式改の定員は4名なのでしょう。ただ、長車では砲手が2名記されており、中隊長車と小隊長車には5名乗車のようです。また2名記載の砲手の階級は曹長、軍曹が大半で一部に伍長が見られる事から、1名が装填手とは考え難いです。
    ここからは、砲手2名に関する私の想像ですが、
    (1)長車の車長は隊指揮に忙しく自車の事にはかまっていられない為に、砲手配置の2名の内の1名が実質的な車長の役割を担っていた。
    (2)先任下士官として指揮官の補佐の為に長車に乗車して、とりあえず配置は砲手とした為に砲手2名乗車となった。
    という理由を思いつきました。
    YS45


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