QQCCMMVVGGTT
90 軍隊には鉄の不文律として「命より貴い天皇陛下から賜った38式小銃」「艦長は沈む軍艦と運命を共にせよ」「戦車兵は戦車を棺桶とせよ」「砲兵は自分の砲を墓標とせよ」とかあったようですが(?)、国鉄に奉職した機関士とかにも「衝突するまで運転席で最善を尽くせ」とか

  1. (切れた)、戦争中は「機銃掃射をうけても乗客の安全が確保されるまでは、機関士、車掌は退避してはならない」とかの不文律があったのでしょうか?


  2. 上海の列車衝突事故の報道では衝突前に中国人機関士が飛び下りて助かった、とか記事があったようですが、JRとか国鉄の事故例ではどうなんでしょう?


  3. 「ぽっぽや」みたいに?妻が死のうが娘が死のうが電車の安全を確認するのであった・・・・・・


  4. 戦前は鉄道と郵便は軍事機関の一部だったんで、精神主義的な面もあったんでは?


  5. ニューギニア戦で「小銃なんか捨ててさっさと逃げろ」と上官に言われたという話を読んだか聞いたかしたことがあるんですが・・・。


  6. 意外なことに「艦長は艦と運命を共にせよ。生き恥を晒すべからず」との言葉が、アナポリスの教科書にあるとのこと。「我が戦車よ墓標となれよかし」というのはパンツァーリートですね。砲は墓標にはならないんじゃないかな。BUN


  7. ↑艦長(船長)がフネと運命を共にすると言うのは、12世紀の地中海貿易のころからの伝統じゃないでしょうか。(会田雄次氏の本より) すくなくとも、当時は万国共通の原則だったようです。


  8. ↑で、ヴェネチアのそういう習慣(当然、商船だけでなく軍艦にも引き継がれた)がヴェネチア海軍に範を取った英海軍に伝わり、そして英海軍に習った日本海軍にも引き継がれた、と邪推しておりますが。(revi 下も)


  9. 名航三菱がB29の空襲を受けた時、軍の監督官が「皆で爆弾を受け止めよ」と避難を禁止させた記録もありますね


  10. 太平洋戦争中に、ガダルカナルの撤退と並んで、奇跡の撤収作戦と言われたキスカ島の撤収の時も、陸海軍間の取り決めで艦に乗り込む際は小銃は捨てることになっていたそうです。他にも、いくつかそう言う例は聞いたことがありますが、基本的には小銃は離さないようにさせられていたのではないでしょうか。(とっても気の毒!)


  11. 足立巻一著「戦死ヤアワレ」では、中国の山岳作戦における夜間撤退時に輸送部隊の馬が何度も崖下に転落し、しかし「馬具は兵器なので損失を許されず」背後から迫るZB26機銃の曳光弾におののきながら崖を降りて馬具を回収した、という証言が出てきました(ささき)



Back