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216 ドイツ軍のローレイン自走砲のデータを教えてください。あと、ローレイン自走砲の足回りから判断すると、どの戦車のを使っているのかわからないんですが。M4シャーマンあたりが無難な所かと思うのですが。
(資料が昭和52年と古いもので、写真しか載ってないんです。)
Xipha

  1. フランス製ルノー35軽戦車のシャーシです。
    まなかじ

  2. まなかじ氏、ロレーヌ自走砲はその名の如くロレーヌ牽引車が母体。ルノーやFCMベースのノルマンディスペシャルの臨時改造型自走砲とは少し誕生の経緯が違い、時期も早い。
    BUN

  3. しまった、勘違い。
    何も見ないで書くものではない。
    m(_ _)mごめんなさい
    そうですね、北アフリカにも出てるんですよね。

    まなかじ

  4.  ロレーヌ・シュレッパーは装甲牽引車で、機動性も良く、しかも車体前部操縦席、中央エンジン、後部兵員スペースという自走砲にうってつけの車体構造をしているため、ちょっとした改造で自走砲に変えることができました。約300輌が捕獲され、そのほとんど全てが何らかの自走砲の改造されたようです。(改造自走砲の総生産数が300輌弱)
     質問にある自走砲がどれを指しているのか解らないので、3種類全て挙げます。まず、7.5cmPak40を積んだ対戦車自走砲型。珍しくもSdkfz135という車体番号と共にマルダーIという愛称もつけられています。次に10.5cm榴弾砲を積んだ軽自走榴弾砲型。車体番号無し。さらに、15cm重歩兵砲を積んだ重自走榴弾砲型。車体番号はSdkfz135/1。
     しかも驚くべき事にドイツは占領下のフランスでロレーヌ牽引車の生産を続行させています。
    tomo

  5. ↑本に載ってたのは150oの方です。牽引車かあ。次元の違う予想をしてました。データも説明も無く、写真しかなかったものですから。
    Xipha

  6. ↑続きです。今ではロレーヌと呼ばれてるんですね。気になって来たので、ローレイン又はロレーヌ自走砲の寸法を御存知の方いませんでしょうか。150o砲を積んだ物です。
    Xipha

  7. >4 でもロレーヌ牽引車を占領下で生産させたのは当然の施策とも思えるの
    ですが?
    takukou

  8. ↑6 車体後部に駐鍬が付いているので、多分母体より全長が伸びていると思いますが、全長5.31m、全幅1.83m、全高2.23m、重量8.49mです。重量増加のため、サスペンションが強化されています。エンジンは6気筒70馬力、最高速力34km/h、航続力135km、装甲厚は5〜12mm。乗員は4名で搭載弾数は8発。

    ↑7 たしかにそうですね。しかし、大戦中、ドイツはフランスの工業力をあまり活用していないようです。ロレーヌ牽引車を生産させたのはその様な状況の中では貴重な例外といえるでしょう。
    tomo

  9. 活用してないっていうか、
    工作機械を根こそぎ略奪して本国へ持ち帰ってしまい、
    現地生産能力を壊滅状態に陥れてしまったってのを読んだことあります。

    確か朝日ソノラマの「ドイツ空軍戦史」だかなんだかで。
    勝井

  10. 勝井山、ドイツはフランスの自動車工業と生産設備をを非常によく利用しているぞ。
    あまり公に語られることが無いけれども、シトロエンやルノーの生産設備はドイツに根こそぎ移転されるなどといったことは全く無く、第三帝国の為に車両を造り続けています。仏自動車の研究本に曖昧な表現で本当に書きにくそうに語られている占領下の自動車生産についての数字がそれを物語っています。航空機産業もまた似たような状況です。
    BUN

  11. 朝日ソノラマ「ドイツ空軍全史」167頁以降に、前述の略奪云々と生産力に関する記述があります。
    例えば、1941年度におけるドイツ空軍の発注による生産量は、
    チェコの819機に対してフランス62機、オランダ16機に過ぎないなどの記述が見られます。

    ここは車両関係のコーナーですから少々場違いですが、参考までに。
    勝井

  12. 休戦後、中立国となり、しかも1941年の段階では世界大戦そのものの早期休戦の可能性とフランスの独立の復活が見込まれた状況下ではあくまで外国であるフランスでの航空機生産はそんな数字で妥当だと思う。だが、結局戦争の長期化と共に、フランスには戦後Fw190やJu188の生産を行なえるだけの設備が投資されていったことは事実だし、エンジンの供給から機体生産、修理まで貢献していたのは事実。何といってもルノーが国営化されたのは何の為なのかよく考えるべきだと思う。
    また、本格的兵器生産基地であったチェコと比較するべきではない。チェコは戦後においても、独力で独軍兵器の発展型(アヴィアS199だけでも450機も製造した)を開発生産するだけの技術と設備を保有していた「ドイツ国内」であった国なのだから。
    BUN

  13.  私も「ドイツ空軍全史」を参考にしていました。
     保有はしていましたが未読であって、ついさっきざっと読んだ「ナチ占領下のパリ」によれば、ルノー自動車会社とベルリエ社はナチスに積極的に擦り寄ることでフル操業を続け、数千台のトラックを生産しています。この点では非常に有効活用していると云えますね。(前言を翻すようで何ですが。)
     一方で、多くの企業が従業員が逃げたために生じた人不足や資金難、原材料の不足から操業短縮をし、ドイツ軍にとって役に立たないと判断された企業は工場閉鎖を命ぜられると言った状況でもあったようです。この辺りの工場から設備を持ちだされた可能性がありますし、その分の生産力低下はあると思います。また、前述の2社も軍用トラックの生産が主な仕事で、メルセデスの監査を受けていたことから、ドイツの物と同じ物を作っていたように思われます。
     この点は航空機業界についても云えることで、一部の例外を除き、ダイムラーのエンジンやその部品を生産しています。
     しかし、サボタージュも盛んに行われています。DB605エンジンの例では、始動するとシリンダーが焼き付くように調整されていたり、水噴射ならぬ砂噴射が仕組まれていたりします。
     ドイツ占領下で生産ラインをそのまま稼働させていた例としては各種小火器類、スコダ社、フィアット社の戦車やT34、デンマークのボフォース40mm機銃と言った物がありますが、フランスについてはいかほどの物でしょうか。やはり本来の工業力を活かしきれなかったと云えると思いますが?
    tomo

  14. 基本的には兵器生産においてフランスを積極的に利用する方針が明確化するのが遅れたことが大きいのでしょう。また、仏自動車メーカーが生産した車種はそれまでの自社製品が中心だった様です。(シトロエンしか調べてないんですが・・)東部戦線などで見られるトラクション・アヴァン等は徴用車ばかりではなく、新規生産車が中心だったのだと思います。
    BUN


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