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263 ケッテンクラートっていったい何だったのでしょうか。
ともさん@2CV

  1. 下のスレッドにも話題が出てきましたが、どう考えてもジープの方がコストが安いと思います。車両の重量を考えると、不整地での機動性もジープと大差ないのではありませんか。牽引力はジープに勝るでしょうが、あんまり費用対効果のすぐれた車両とは思えません。何でもコピーしちゃうソ連軍にも無視されています。
    戦後スイスで林業事業者に重宝されたという話を聞いたこともありますが、50年たっても装軌式オートバイのフォロアーは現れませんでした。あとに続くものもないということは、これってやっぱり「おバカなアイテム」だったのでしょうか。
    ともさん@2CV

  2. 元々空挺降下用として開発された物です。

    おばかに見えるオートバイ型前輪ですが、方向転換にはぜんぜん関係なく、実際の
    ステアリングは重ハーフトラックと同じ左右の無限軌道の速度を変える事で行って
    おり、オートバイの発展ではなく、純然たるハーフトラックの一族である事が判り
    ます。

    あくまで空挺用ハーフトラックと言う特殊装備としてのワンポイントリリーフであ
    り、重要視して量産するような物では無かったのでしょう。
    それに多数装備されていたオートバイと同じ感覚で操縦できるのも利点です。
    グライダー積載用の裝軌車両と考えれば結構便利な物ではないでしょうか?

    現在類似車両が無いのは、ドイツ以外で裝軌車両型ハーフトラックの製造が行われ
    なかったのと同じと考えます。
    (アメリカのはトラック改造であって、構造がぜんぜん違います)
    あんな凝った物、そこいらの軍隊にはそうそう整備出来る物ではないです。
    (もしくは整備したくない?)

    ちなみに最高速度は時速70km、牽引力450kgだったそうです。
    ダークマター

  3. ドイツ軍の場合、米軍に比べハーフトラックのキャタピラ部分が長く、より不整地での機動を重視した設計になっています。また、主に東部戦線向けに装軌式牽引車RSO(キャタピラ式のトラックといったようなもの)を終戦までに28000台位生産しており、ケッテンクラートも含め、装甲兵員輸送車も含めた輸送用車両の路外機動をより重視していたように思われます。四輪駆動式の装輪車でも走行に困難を来してしまう東部戦線の泥濘期に対処し、前線への輸送、兵站を確保するためだったのでは。
    ところでソ連軍ですが、農業用トラクターから発展したような小型の装軌式トラクターも生産していました。しかし、独ソ戦開始後、アメリカからジープやハーフトラック(M3)等のレンドリース車両の大量供与を受けたため、国産の装軌式トラクターは非常に影の薄い存在になっています。
    ちなみに連合軍ではケッテンクラートよりは大型だが装軌式軽車両の部類に入るものとして、イギリスのユニバーサル・キャリアが上げられますが、本格的戦闘用車両として使うには小型で装甲も薄く、また路上機動力はジープ等の装輪車に劣るため、中途半端な存在になり戦後はこのような車両が姿を消してしまいました。
    アリエフ

  4. で、このことに関連して、ドイツ軍に比べ装軌式輸送車両のウェイトが小さいソ連軍が、泥濘期の前線への輸送、兵站をどのようにして確保していたかが気になります。ソ連の場合、鉄道の輸送能力が大きく鉄道輸送のウェイトが高かったからか、それとも作戦戦術上の理由又は兵力配置が関係しているのか?
    アリエフ

  5. 三菱自動車のフルライン4WD、フルラインターボ、フルラインGDIという一連の自動車作りを彷彿させますね。いちど始めたら止まらない。誰か替わりに止めてくれ!
    1トンハーフから18トンハーフトラックまでとり揃えてしまうドイツ軍のハーフトラック好きには、偏執狂的な異常さえ感じます。面白いものがたくさんあって後世のマニアにはたまらないんですが、戦争に勝つことには向いていないひとたちだと思います。
    ともさん@2CV

  6. 泥濘期の作戦に関する対策ですが、道普請をする部隊も含めて輸送力を十分に見積もっておけば克服できる問題だと考えます。道路が凍結している間に十分な物資を集積しておくのが基本ですね。作戦発起時に突進区間に見合う補給物資を前線に集積しておくこと。
    ドイツ軍の場合確かに絶対的な補給力に不足があったのは事実でしょうが、ソ連軍と比べて兵站輸送の計算能力に問題があった感はいなめません。日本軍ほどではないにしても、勇気や練度を計算に入れた無理な戦争の仕方をしているのだと思います。
    ソ連軍の場合、雑のう一つで満足な補給もなく戦っていたというイメージがありますが、ジューコフ将軍というのは非常に兵站好きの人で十分なトラックと鉄道輸送の見込みがつくまで作戦は行わなかったそうです。ノモンハンでもそうでしたね。
    東部戦線の戦争運営は計画経済どうしの勝負でした。結局社会主義計画経済が国家社会主義計画経済より戦争向きであったことを証明したのだと思いますよ。

    もひとつ、ドイツは現場の声が強すぎるんだと思います。「泥濘の中でも活動できる装軌式のバイクがあったら便利でしょう」マ「それは面白いアイデアだから研究しよう」こういうのを止めるひとが少ないことが、戦局を兵器の数量でなく質で克服しようとする体質をもたらしているのだと思います。
    ソ連だったらこうかな。マ「同志アリエフスキー、寝言いってるとシベリアに送ってしまうぞ。スターリン精神で乗り切るんだ。トラックで我慢せい」
    ともさん@2CV

  7. 記憶たよりのゴミです。対泥濘バイクの一例としてはイギリスのJAP社がつっくた三輪オートバイがあります。駆動輪が縦に2つあるわけですが、これに簡易のクローラを装着するものです。それを参考に日本陸軍でも同型式の三輪バイクを作ったそうで。
    その後、この手のバイクが発展したとは考えにくく、やはり袋小路のアイテムではありますね(ただ、個人的に「おばかな」とはしたくないのですが)
    しろさい

  8. 独ソ戦開始と共に本格的な戦時経済体制・国家総動員を行ったソ連に対し(終戦までの約4年間、義務教育を中断し子供まで生産に駆り立てたとか)、ドイツは国家総動員を43年中期まで抑えていたという政治的事情がある。
    広大な東部戦線を維持するためドイツ本国から大量の物資を輸送しないと前線が持たない、かと言ってヒトラーの命令に背いて戦線を縮小させることもできない、戦争当初から国民総動員で前線までの輸送、兵器・物資生産体制を革命的に強化するわけにもいかなかった、という難問を抱えていたのがドイツ軍でしょう。
    確かに米軍に比べドイツ軍の兵站に対する考え方に甘い点があったことは否めませんが、独ソ戦について当初の見通しが完全に外れ、長い前線維持のために泥濘期にも補給・輸送を確保しなければならず、燃費が悪い、スピードが遅いことを承知で装軌式のトラックや軽車両を造らざるを得なかった、苦肉の策だと思いますが。
    そしてドイツが本格的総動員体制に入った頃は、もう遅すぎたということでは。
    アリエフ

  9. >7.
    そういう形式の車両はスノーモービルに発展していったのではないでしょうか・・・?
    ささき

  10. >9
    !!なるほど!思い付かなかったですっ。
    しろさい

  11. スノーモビル的おバイクですが、近年製品化されております。
    元は好事家なバイク屋さんのお手製でしたが、
    ホンダとカワサキが、オフロードバイクの後輪に装着するキャタピラ状のキット
    を出すようになりました。
    ちなみに、前輪はスキー板に交換します。スポーツ用としてそこそこ需要があるとか。

    ケッテンクラートの前輪って、いったい何の為に存在してたんでしょうねぇ?
    ER

  12. >ケッテンクラートの前輪
    過去ログ「車両」の項の50番を参照のこと。前輪無くとも左右に曲がれますが、高速時に進行方向を少し変える(操舵角が小さい)位であれば、前輪の操作だけで簡単にできる。
    アリエフ


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