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338 WW2時にドイツは何種類か対空車輌(IV号戦車派生型のメーベルワーゲンやヴィベルヴィントなどのほか、ハーフトラックからの派生型など)を作ってますが、これらは地上部隊の防空上どの程度役に立ったのでしょうか?(地上目標への銃撃に役に立ったという記述は戦記などで散見するのですが・・・)
また、こういった車輌の搭乗員の手記や回想録の類は出版されていませんか?ご存じでしたら教えて下さい。
TS29

  1. 連合軍側「ヤーボ」の乗員の手記を読むと、「20mm」はドイツ対空機銃の代名詞となっています。対地攻撃時には実に邪魔で嫌な存在であり、損害も多かったようです。ただ、それが固定銃座だったのか自走対空砲だったのかまではわかりません。実際あまり区別していなかったのだと思いますが。
    ささき

  2. ささきさん、ありがとうございます。差し支えなければ、その「ヤーボ搭乗員の手記」の書名などを教えていただけませんか?
    TS29

  3. >ヤーボ搭乗員の手記
    まとまった書物ではなく、こちら(アメリカ)の飛行機雑誌「フライトジャーナル」に載った記事やTVドキュメンタリー番組での元搭乗員インタビューなどが元ネタです。お役に立てなくてごめんなさい。
    ささき

  4. 地上部隊とは違いますが、ドイツのUボートは42年あたりから大量の対空機銃を積み込むようになっていて、米英の対潜部隊は機銃を制圧するためにわざわざ戦闘機を随伴するなどということがあったようです。
    おそらく地上部隊を襲撃する人たちも似たような苦労をしたことでしょう。
    FIX

  5. 対空車両というか、あくまでも「自走」高射機関砲なのですな。
    放列布置・撤収(要するに陣地変換)が非常に速い高射機関砲、という程度の位置付けではないでしょうか?
    ですから、高射機関砲は有効な兵器なのですから、自走高射機関砲はもっと有効な兵器のはずです。
    まなかじ

  6.  WW2の連合軍戦闘爆撃機のパイロットのほうが他の機種のパイロットに比べ手当ては高かったといわれてますが、戦闘爆撃機パイロットのなり手は少なかったそうです。パイロットにとって敵戦闘機よりもいつどこでドカンとくる対空砲火のほうがいやな存在なのですね。ましてや対地攻撃中は直線飛行ですからそこに撃ちまくる機関砲がいると被弾する確立は高いです。
     中東戦争でも自走対空機関砲は活躍してるし、コソボでも何機か撃ち落としているところをみると有効性はあると思います。
     対空砲部隊の手記って88mm砲以外見たことないですねぇ。ヴィベルヴィント撃墜王はいないかな。憶測ですが真っ先に攻撃されるので生存率が低かったかもしれません。
    白熊

  7. ↑アメリカは対空戦車や対空砲付き潜水艦はつくらなかったのかな。
    aaa

  8. ↑アメリカの艦隊型潜水艦の後期の艦が装備していた20mmエリコン/40mmボフォース/
    5in/25口径砲は全て対空砲ですが…。もっとも、連中の主目的は対水上戦用
    ですけど_・)。
    大塚好古

  9. ↑日本の水上偵察機に対して、20mmなどを撃ちまくって撃退したという戦例は一応存在するようです。
    BAR

  10. しっかしさあ、1944年以降のドイツって、高射砲ばっか作ってたね。
    多くのノルマンジー戦史に書いてあるように、ドイツ空軍って意外と弱くて頼りにならんかったようで。
    「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い 7」(児島襄 文春文庫)によれば、
    ヒトラーは空軍将校をさんざん無能・馬鹿呼ばわりしていたとか。
    aaa

  11. ↑*4 :M16自走対空機銃なんかはチョロQにさえなってましたが。
    こてらじ

  12. >10
    詳しくは「ドイツ小失敗の研究」に詳しいですが対空砲の対費用効果は悪いそうです。

    天才独裁者の前ではみんな無能なんですかねぇ
    連合軍はノルマンディー戦の前にかなりドイツ機をたたき落としてるし、かたやドイツ空軍はフランス方面の飛行機をあらかた引っこ抜いてるから、当然の結果かも。連合軍が強すぎということで・・・・
    でもドイツの航空機生産量は確か1944年が最も多かったような。連合軍がそれをはるかに上回ったということですな。

    白熊

  13. 前年のドイツ本土航空戦は大激戦で米英側もカナリの重爆を失ってたけど、
    それでも執拗な戦略爆撃により結果的に空港や工業生産地帯や熟練兵士が
    壊滅的打撃を受けて1944年半ばあたりでドイツは相当に参っていたようです。
    元来防衛側は圧倒的優勢な攻撃軍に対しても善戦敢闘するものなんですが、
    1944年の東部戦線は航空部隊の壊滅(航空戦以前に出撃不能)により、
    ドイツ側はずるずると西へ後退させるばかりだったのです。
    例え航空機生産自体がある程度為されていても空港や、交通施設、
    精油工場、熟練搭乗員がやられては出撃不能って状態だったんでしょう。

    aaa


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