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339 何で旧日本軍の戦車はあんなにしょぼいのですか?
英吉利に触発されて結構早くから研究されていたと記憶していますが・・・
シャーマンとかコピーしないし・・・
紅葉饅頭

  1. 中国戦線で国民党軍相手に優位を保ってれば良い,
    と言うのが設計思想としてあるからでしょう。
    シャーマンが登場したのはWW2が始まってからですから
    ちょっとコピーは難しいでしょうね。
    ちなみに,基礎的な設計段階から対戦車戦を念頭において設計されたのは
    ドイツではV号戦車,ソ連ではT−34(?),イギリスでは
    センチュリオンと言ったところではないでしょうか。
    ”&”

  2. 奇異に響くかもしれませんが、残された記録から眺めると、日本の機甲界の中枢にとってはシャーマン戦車のような中途半端な車両は眼中に無かった可能性が高いですね。シャーマン戦車に対応した改良は全くと言って良いほど見られません。大戦中の日本戦車が仮想敵として注目していたのはあくまでも、T34とスターリン戦車のようです。
    BUN

  3. BUNさんシャーマンが中途半端というのはどういうことでしょうか?
    また実際戦っている奴がいるのに仮想敵とは?しかもソ連をこのころ日本は
    敵に回したくないと思っていたと記憶していますが?
    紅葉饅頭

  4. いくら強い戦車でも、戦場まで持って行けなければ意味がありません。
    50t 以上もある戦車を輸送船に積むのも降ろすのも、それなりの港湾設備が必要です。鉄道輸送するのも貨車への積み下ろしだけで大騒ぎだし、途中の軌道や橋梁が重量に耐えるかどうか。
    いざ戦場に着いて貨車から降ろしたとして、進軍する先は平地ではありません。山もあれば川もあれば谷もあります。橋をかける工兵さんはご苦労さんだなぁ(;_;)
    そして戦車というのはただ走っているだけでも故障するものですし、戦闘すれば間違いなく破損します。重戦車のスペアパーツというのは「死ぬほど重い」ものです。
    こうやって重戦車を運用するために必須な後方装備を揃えてゆくと、予算というのは限られたものですから、ただでさえ単価の高い重戦車の調達数というのはますます少なくなるわけです。
    ささき

  5. M3、M4クラスの戦車が島嶼での戦闘に使用されることは無いと考えていたようです。この予測はほぼ正しく、M4との戦車戦はルソン島程度でしか発生していません。M4と日本軍の戦闘は実はあまり無いのです。
    それよりも、戦車の揚陸問題などが無い大陸において、ソ連の大型戦車に対抗することが機甲科としては急務であったようです。日本は対ソ戦に対して警戒を解いたことはありません。
    BUN

  6. 九七式中戦車くらいまでは、欧米とくらべて格別に見劣りするような戦車だったとは思いません。世界的に戦車の用兵思想が主に歩兵支援だったころの話です。
    たけぽん?

  7.  M4シャーマンは島岬作戦でも頻繁に使われていますよね? 太平洋のアメリカ軍の装備車両がM3リーからM4シャーマンに切り替わったのはおそらく43年末で、少なくとも11月のブタリタリ島に対する上陸作戦にはM4シャーマンが使用されていたようです。これ以降、アメリカ軍の連隊規模以上の上陸作戦はすべてM4シャーマンを伴っていたと考えるべきではないでしょうか。また、日本軍も各地に戦車隊を配備していましたから(タラワ、ビアク、サイパン、グアム、ペリリュー等。硫黄島だって沖縄だって〜)、戦車戦が発生する可能性は多々ありました。ビアクとグアムなどでは小規模ながら戦車戦になっていたような(これは記憶違いかもしれません)。つまるところ、M4シャーマンが使用されないから戦車戦が発生しないのではなく、会敵する前に肝心の日本軍戦車隊が全滅しているケースが多いのだと思います。
    ちなみに、私をM4シャーマンは量産性と戦闘力のバランスをうまくとった傑作戦車だと評価しますよ。

    sharman

  8. 地形を検討すれば明らかですが、沖縄ですら戦車が機動できる道路は限られており、戦車戦の発生する可能性は非常に小さく、実際に米軍戦車の敵は対戦車砲等の砲兵と地雷と歩兵の肉迫攻撃ですから、日本軍の判断はそう間違ったものではないのです。沖縄戦で旧式の47mm対戦車砲が従来型の徹甲弾でM4相手似に相当の戦果を収めてしまうのも、こうした地形上の制約が戦車の集団投入を阻んでいた為のことです。日本陸軍がM4シャーマンとの戦闘を意識し始めたのは19年の前半からであることが記録で判明していますが、新戦車開発においてM4の影響はほとんど見つけることは出来ません。M4戦車そのものを脅威として捉えた戦車開発は行われていないのです。M4シャーマンを後世のファンがどう評価するかは別として、開戦直後からその存在と性能が詳細に知られていたにも関わらず、M4は次世代の日本戦車には見るべき影響は与えていません。
    BUN

  9.  対戦車戦闘を念頭に置いて戦車を作ることが常識となったのは結構遅いです。日本の場合、それに更に乗り遅れたと言った感じです。

     グランドパワーの記事だったと思いますが、以前こんな事が書かれてました。
     戦車は要するに移動砲台として使っていたと。トーチカ相手だと、きちんとした装甲がないときついし、直接照準じゃないと破壊しきれんうえ、入り組んだ地形では旋回砲塔じゃないといけない。ついでに、M3、M5の37mm砲だと榴弾の威力が小さいんで、より大口径な砲を積んだもの、つまり、75mm砲を積んだM4を使うことになったと。(57mm砲積んだ量産戦車はアメちゃん持ってなかったからね。)日本兵の敢闘が思わぬ嫌な結果を持ってきたとの評です。
     もちろん、M5軽戦車も太平洋諸島で使われているようですから、鵜呑みにはできませんけど。
    tomo

  10. >8 戦車が機動できる道路は限られており…………
     本当ですか? フィリピンには200台以上から成る戦車師団が投入されていますよね?
     もっと小さい島岬の場合、さすがに機甲師団が連隊戦闘グループに分かれて電撃戦…………というような余地はありません。しかし、投入されるのは大隊規模のケースが多く、しかも中隊単位で分散使用されていましたから、サイパンやグアムといった大きな島だけではなく、硫黄島やペリリューのような小さな島やブタリタリ島のような珊瑚礁でも戦車は使用可能です。
    多くの場合、帝国陸軍が対戦車砲と地雷と歩兵の肉迫攻撃で戦車に対抗したのは、多分にそうせざるを得なくなった戦況のせいであると考えます。それとも、タラワ、ビアク、サイパン、グアム、ペリリュー等、島岬に配置された帝国陸軍の戦車隊は、はなからM4シャーマンとは会敵しないという根拠のない予想のもとに、対戦車戦闘を行わないつもりだったのでしょうか…………。
    ただ、帝国陸軍戦車の仮想敵がM4ではないというのは疑いようのない事実であると思います。帝国陸軍全体の仮想敵がソ連だったんですから(かといって、帝国陸軍にJS系重戦車と互角に戦える対戦車装備があったわけでもありませんが)。
    sharman

  11. このころの日本が歩兵支援を主任務にしていたこと、それに森の中で使うことを
    想定して重戦車開発に乗り気でなかったのは分かりましたが、では「雑想ノート」中に
    1943年(昭和18年)、日本陸軍は(無謀にも)ティーガー戦車をライセンス生産する計画を立てていた。ドイツ側は日本の提案を受諾し、
    1台のティ−ガー戦車が日本向けに用意された。日本は645,000ライヒスマルクをドイツに支払ったが戦局が混乱した時期でもあり結局は日本に送られずじまいに終わった
    とありますが、ティーガーは日本の戦車のコンセプトと相対するところにあると思いますがどういうことなんでしょうか?
    紅葉饅頭

  12. ↑日本が購入したティーガーが武装SSに貸与(供与?)されたのは確かですが……
    質問文からでは一体何を聞いているのかさっぱりわかりません。
    あと、「雑想日記」は宮崎氏本人も資料的価値なしと仰っている代物ですので、参考資料とするのは不適切だと思います。
    糸瓜蒲鉾

  13. 10番、事実です。ルソン島以外では本格的な戦車戦は発生していません。理由は自動車用の道路が無いからです。比較的大きな沖縄本島においてすら事情はあまり変わりません。またM4との戦闘を意識し始めてからの日本軍も、対戦車戦闘の主体は砲兵に置いています。
     サイパンでの日本側の戦車攻撃が挫折する過程でも道路の問題は大きく影響しており、島嶼での戦闘が戦車に向いていない、即ち多少強力な戦車の投入があっても野戦砲その他での撃退が可能であるとの認識を日本軍が持っていたことは非常識とは言えません。M4が大隊単位で上陸したからといって、それが戦車として有効に使用されたかどうかは別の問題なのです。

     私はM4が日本の機甲界にとって中途半端なものと映ったと書きましたが、それは開発中の日本戦車が米軍のM4やM6重戦車ではなく、まして英国のチャーチル(これらの情報は日本に早期に入っています)でもなく、ソ連戦車への対抗を意図したものであり、そのソ連戦車に対抗する形で発展した独戦車を参考にしたものであるということです。初期の主力戦車三号、支援戦車四号の車種構成も参考とされ、模倣されましたが、日本戦車を大口径砲の搭載に踏み切らせたのは、何と言ってもティーガーの存在なのです。日本が購入したティーガーは結局日本への輸送が出来ず、SS戦車隊に貸与されていますが、この88mm砲搭載の重戦車の存在は日本戦車のあり方を根本から変えるものでした。ただ、私見に過ぎませんが、五式中戦車のスペックを決定させたのはティーガーではなく、それより軽量の75mm砲搭載のパンターであったと当時の資料から推測しています。
     
    BUN

  14. ↑便乗質問で申し訳ないのですが、5式中戦車(別に4式でもいいのですが)あたりは、旧日本陸軍はどのような運用を想定していたのでしょうか?先の発言によると島嶼による戦闘で戦車の効力は極めて限定されたものであることは認識していたようですし。昭和19年あたりに至るにまだソ連との(蒙満国境あたりでの)戦車戦を想定して開発を進めていたということでしょうか?
    なんとなく、想像するにウチ(日本)は遅れているからとりあえずスペックだけでも列強並みのヤツを作るか〜てな感じで、定見があったのか少々疑問なのですが・・・。
    トラFD

  15. 運用から戦術、装備まで、ドイツ機甲師団と同様の水準を参考としていますので、それに準じたものとなっていたでしょう。日本陸軍の機甲科は外国情報に疎いように思われがちですが、グデーリアンの著書など想像以上に広く読まれており、戦術教本、戦車操典もドイツのものが翻訳されています。機甲科の中心的な将校は戦後日本の戦車ファンなどより遥かにドイツ機甲部隊の戦術に詳しかったことでしょう。
    BUN

  16. >15
     そうなんですよね、昭和16年の時点で英国戦車の本や、戦車戦の本とかが
    市井に流通しているのを見れば、我が陸軍では戦車について相当な稽古を実施
    していたであろう。というのが見て取れます。
     ただ、それが実際の現場に反映されていないのは「金穴」だったせいなんで
    しょうね・・・戦車に廻すカネってすさまじく少なくなってますからね。

     4式とか5式は「いまの戦争」というよりは「次の戦争」に使うのが目的な
    気もしますが(笑)
    tackow

  17. 太平洋の比較的小規模な島を巡る戦いにおいて、揚陸済みのアメリカ軍戦車大隊が組織的戦闘能力が喪失するほど大損害を被った例はあるのでしょうか。むしろ、帝国陸軍の防衛拠点がM4&M5戦車に支援されたアメリカ軍に粉砕されてしまった事例ばかり目に付きます。つまるところ、「戦車は野戦砲その他での撃退が可能である」という帝国陸軍の認識そのものが間違っていたということではないのでしょうか。
     サイパン、グアム、硫黄島、沖縄等に1個連隊相当を配置した帝国陸軍の戦車に、M4戦車との対戦車戦闘を担う役割がまったく求められていなかった、とは考えにくいと思います。道路事情に関して言えば、島ではありませんが、機動戦向きの地形とはとても思えないインパール方面の作戦にも帝国陸軍は1個連隊相当の戦車を投入しており、ごく小規模ながらイギリス軍の装備するM3グラントとの間に戦車戦が発生しています。この時投入された戦車第十四連隊は、イギリス軍が戦車を有していることを知りつつも、対戦車戦闘が発生しないことを前提にして進撃していったのでしょうか?
     太平洋の島々では戦場そのものが狭隘なため電撃戦は実行不可能でしたが、かといって戦車が役立たずだったわけではありません。戦車は道路しか走れないわけではなく、連合軍の工兵能力を持ってすれば「道を整備して戦車を通す」事さえ可能でした。こういった事情を勘案すれば、大隊・中隊レベルの戦闘でトーチカ等に直接火力を指向する「バンカーバスター」任務には、歩兵に随伴する戦車が最も適していたと言えます。特に、火炎放射器を装備したM4戦車が帝国陸軍の陣地に対する切り札的存在となっていたことは明白でしょう。これをまったく認識していなかったとすれば、当時の帝国陸軍の中枢は自らに都合の良い方向、「小島には戦車の通れる道がないので戦車の大量投入ができず、ゆえに対戦車戦闘に戦車は不要」という方向に情報を歪曲して解釈していたとしか思えません。
    sharman

  18. >17
     あの、すみません。今回問題になっているのは「当時、陸軍が戦車に対してどの様な考えを持っていたのか?」であって、「陸軍の考えが正しかったのか?」と言うのは全くの別問題ではないでしょうか?
    NM

  19.  …………いや、帝国陸軍の場合、何を論じても最後は貧乏神の祟りのせいになってしまいますね(笑)。どこか削って戦車に回せる予算はなかったのでしょうか。
    sharman

  20. >18 はっ、そうでした(笑)。おそらく帝国陸軍の認識は最終的には間違ってはいますが、そのように認識していたであろう事には>10のごとく同感です。

    sharman

  21.  インパールの十四連隊は対戦車戦闘を当然予想しています。一式砲戦車とM3戦車、チハ改の装備を持った対戦車戦闘用の兵力として用意された物です。これと、島嶼での戦車戦闘とは同列に論じられません。個々の戦例について何か誤解があるのではないでしょうか。
     また、別に日本軍でなくとも、島嶼での防御戦で火砲を中心に敵戦車に対抗する方針をとることは当時、ごく常識的なことです。日本だけでなく、こうした地形に戦車を投入する事は教範類でも戒められているでしょう。そして島嶼戦の敗因はM4戦車など関係の無い所にあるのは自明の事です。
    BUN

  22. それから、マキン、タラワから硫黄島まで一緒に論じるのもまた、大きな間違いです。それぞれの戦場で守備についた日本軍の性格も異なりますし、そこで採用された戦術、戦法もまた異なり、求められた任務も異なります。それら全てに等しく「帝国陸軍の認識は間違っていた」との網を被せても、全く意味がありません。
    BUN

  23. 沖縄戦において、米軍は浦添陣地の攻略として戦車による機甲突破を試み、中隊規模の大損害を受けています。この損害は対戦車砲と肉弾戦によるものですが、
    これに懲りて同様な戦術をとることはせず、おなじみの戦車に歩兵の支援を付けた火炎放射器用いた戦術を主用することになったとか。
    ちなみに、以前沖縄旅行したときに、この浦添陣地跡に行ってましたが普天間から首里方面に進んでくる相手に対しては、隣接する高地と連携して十字砲火にうってつけのなかなかグットな場所でした。
    トラFD

  24. >21 インパールの例が出てきたのは、BUN氏のおっしゃっている>8における「地形を検討すれば明らかですが、沖縄ですら戦車が機動できる道路は限られており…………」と>13における「ルソン島以外では本格的な戦車戦は発生していません。理由は自動車用の道路が無いからです」、すなわち「道路が整備されていない場所では戦車は戦闘力を発揮しないため、帝国陸軍の戦車が対戦車戦闘に巻き込まれる可能性は小さい」という「道路未整備=対戦車能力不要論」とでも言うべき部分に対する反証としてです。戦車第十四連隊は道路の整備されていないインパール方面の作戦でも対戦車戦闘を覚悟していたわけですから、それは道路の整備状態云々と戦車戦の発生は必ずしも関連性がないと帝国陸軍自信が認識していたということではないでしょうか、ということです。
    「島嶼での防御戦で火砲を中心に敵戦車に対抗する方針をとることは当時、ごく常識的なことです」ということ自体は私も同感です。しかし、実際には、帝国陸軍は島嶼にも戦車隊を配備しており(例えばグアムとサイパンには「対戦車戦闘用の兵力として用意された」九七式改が配備されています)、それらがまったく対戦車戦闘を意図していなかったとは、ちょっと考えられません。対戦車戦闘を意図するならば、主敵であるM4が「眼中になかった」と捉えるのも無理な話ではないでしょうか。
    島嶼での主たる敗因はM4戦車ではありません(そもそも勝因は1つの兵器に絞れる性格のものではありませんね)。しかし、島嶼においてアメリカ軍が一連の勝利を勝ち取ったその歩兵戦術の一翼に、M4戦車が深く関与していることは否めません。

    sharman

  25. >いくら強い戦車でも、戦場まで持って行けなければ意味がありません。

    これ、結構無視されがちだけどとても大事な観点だと思う。
    よくM4シャーマンがドイツ戦車より劣っていたかのような記述を見るけど、
    M4シャーマンはノルマンジーから橋をかけて上陸して来たのに対し、
    キングタイガーはドイツ本土で作ってその近郊だけで使っていたんだから。
    そりゃあ一対一で戦車戦をやればキングタイガーが勝つに決まってる。
    でもだいたい戦車戦なんてそんなにしょっちゅう起こるものではないし、
    戦車撃破なら他に歩兵でも野砲でも航空機でも可能なんだから。
    ドイツ軍の奇襲が成功したはずの「バルジ攻防戦」の結果を見てもわかること。
    それともう一つカタログデータで見れない要素として「機械の信頼性」も大事。
    評判の良い日本車だってカタログで見る限りは米車や独車に大幅に劣る。


    aaa


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