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お邪魔いたします。日本の戦車についての質問です。 九七式などの砲塔は、肩で押す形で旋回させると云う話を聞きました。 では、より大重量の砲塔だったであろう三式や四式、五式等の場合は、 どの様な砲塔旋回機構だったのでしょう。やはり押したのでしょうか? よろしく御教授お願いいたします。 MB |
九七式の砲塔旋回は精強な戦車兵の体力を以ってしても些か過重な労働でありまして、特に車体が傾斜した場合などは旋回ハンドルを使用しても迅速な旋回が出来ない場合があり、こういった場合には車長と一致団結して砲塔旋回ハンドルを回すこともあります。
しかし、日本戦車は実に巧妙に設計されており、九七式の砲架は俯角仰角をかけられるだけでなく、砲手がやはり「肩でグッと押す」ことで何と砲塔旋回を行わずとも独の突撃砲同様に左右に砲を振れ、砲手の射撃技術の妙を存分に発揮出来るようになっています。チト以降のハンドル式旋回方式には無い精緻な機構と言えましょう。
BUN(二代目)
疑問氷解、目からウロコであります。
なるほど、九七式では砲塔旋回に加えて、砲自体も可動すると。
誠に精緻にして玄妙な機構ですねえ。
「肩で押す」に関して、これですっきりと納得できました。
それにしても、酷暑猖獗や厳寒凍結の地においても、狭い車内でこれら操作を
迅速かつ的確に行うと云うのは、想像を超える重労働でしょうねえ。
MB
砲塔内両側のやや前方に旋回ハンドルがあり、車長と砲手が同時に左右の旋回ハンドルを回し、砲塔を旋回させるものです。
友人と二人でハンドルを回してみたところ、展示車も実際に旋回可能でした。
一方のハンドルだけでは重くて回らず、二つのハンドルを同時に回さないと砲塔は旋回できませんでした。
また旋回速度も遅く、実戦で任意に砲塔を旋回させることは、相当な重労働だったと想像されます。
BUN(二代目)さんのコメントにある、九七式のような砲架機構も無かったように思います。
(この時、砲架周辺の写真を撮影したのですが、どこへやったのやら...未確認です。)
あの三式中戦車、今では車内に入るのは禁止されているのだったかな。
Shima
アリエフ
「肩で押す」と肩がこるようで、取り説には「肩がこらぬよう、肩当てを用いる」とかありますね(^^;
tackow
Sampon
「三式チヌの砲塔はバッテリー式のモーター旋回でそんなに遅くはなかった。
予備の手動ハンドルは小さいので旋回が大変だった」
とあります。
ただ砲手が起立している状態で、どのように電動式の旋回操作をしているのかは謎です。
(バスケット型戦闘室は五式チリから採用ですので)
三式でモーター旋回が採用されているのですから、四式チトも同じなのではないでしょうか。
>Shimaさん
めちゃくちゃ羨ましい。
ZUG
BUN
Sampon
すると、「粗動」が動力旋回、「微動」が手動旋回という感じでしょうか。
微妙な照準を決めるには、理にかなった機構とも思えます。
ドイツIV号戦車が、J型で砲塔旋回用補助動力を廃止して、乗員に
不評だったということだったと云う話もありましたね。
J型の乗員も、懸命に把手を回したんでしょうなあ。
MB
MB
>7
撮影記録を確認してみたら、私が土浦武器学校に見学にいったのは、20年以上前でした。
昔の話で恐縮ですが、当時は展示車両の全て、自由に出入りできたのです。
八九式中戦車、M4A3E8、M36、60式105mm自走無反動砲などです。
73式装甲車を改造した試製歩兵戦車みたいなものもありました。
今でも展示されているのかな?
三式中戦車の砲塔、やはりモーター旋回が採用されていたんですね。
あのハンドルの重さでは、現実的ではないと思いましたから。
展示車では駆動モーターらしきものが無かったように記憶していますので、取り外されていたのだと思います。
どうにか当時撮影した写真を見つけだしましたので、画像掲示板2にUPしておきました。
真っ暗の中でストロボ撮影したため、ピントも勘に頼っており、いささか不鮮明です。
砲塔旋回用のハンドルも映っていましたので、ご参考までに。
Shima
さて、余談です(汗)。
その後、英国クルセーダー戦車の内部構造図を眺めていて、その6ポンド砲に
「肩あて」らしき部分が描かれていることに気づきました。
ひょっとして、57ミリと云うことからして、英国系血統の名残が遠く我が
九七式の主砲にも脈々と流れていたのかしらとも夢想。
ヴィッカースの系列もあることですし。
すると、実は菱形の第一次大戦型戦車以来の由緒正しい「肩で押す」砲の末裔かも、
などとも思いました。勝手な想像で失礼いたしました(汗)。
MB