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586 WW2の装甲偵察車輌について質問いたします。
ドイツ軍の装甲偵察車輌は比較的戦争早期の内に4輪、6輪から8輪へと主流が移っていきます。「路外走行能力が極端に低い」(ジャーマンタンクスより)のがその理由とされています。そこで疑問なのですが、英国やソビエトでも4輪や6輪の走行偵察車輌が数多く開発、生産されていますがこれらの車輌でも路外走行能力は問題にならなかったのでしょうか?
junkers

  1. BA-27Mに始まったソ連の6輪装甲車は、トラックのシャーシをベースに、戦車と同し砲塔を積む「簡易戦車」と言った物でした。
    不正地走破力は良くなく、シャーシ・エンジン・サスペンションの強化、車体の軽量化、後輪に巻く履帯の導入等で改良を重ねましたが、戦車に比べ路外機動性・装甲が劣る事、戦争が始まった事により、40年のBA-11Dを最期に開発を止めています。
    反対に4輪装甲車は41年に採用された「路外機動車」GAZ-64ベースのBA-64が路外走行性能良好で、戦況の落ち着いた43年から改良型のBA-64Bが46年まで量産されています。

    英国の装甲車は… 種類多すぎ(T_T) どなたかよろしくお願いします。
    プチロフ

  2. WWIIで使われた英米の装輪式装甲車を調べたら、4輪以外の車両は3種しか見当たりませんでした。
    ランチェスターMkI/II(英)6輪。27年配備開始で39輌生産。
    AECドチェスター装甲指揮車(英)6輪。44年から151輌生産。
    M8/M20装甲車(米)6輪。43年からM8が8,523輌、M20が3,791輌生産。
    ちなみに4輪装甲車はダイムラースカウトカー(英)が6,626輌、M3A1スカウトカー(米)が20,856輌生産されています。
    結局のところ英国は4輪装甲偵察車で満足していたようです。
    プチロフ

  3. 読み返すと解答になっていませんね >2
    「39年生産開始のダイムラースカウトカーが当時としては先進的な機構を持ち、素晴らしい走行性能で好評を博し、後のダイムラー装甲車もスカウトカーの駆動/走行系を引き継ぎ、さらに機動性に関する最新技術を取り込んで成功した」とあるので、ダンケルク以降あわてて各社に発注した数々の車両に付いては判りませんが、英国が主流として使っていた装輪式装甲車の路外走行能力は良かったようです。
    プチロフ

  4. 私見ですが、
    ドイツの場合は、性能を得るために不安定な新技術の採用や、価格を無視した凝った機構に安易に走る傾向があります。(いつものように)それが原因ではないでしょうか。
    ただドイツの場合、装輪装甲車を数の足りない戦車の代用としていたこともあり、そのため過剰な不整地走行能力を求めたせいもあると思います(どこぞの陸軍と似ていますね)。
    ソ連の場合は装輪装甲車にあまり熱心ではなかったようです。そのためプチロフさんのカキコミどうりトラックがベースで軽量(45mm砲をつんだBA-10でも5t強)で低性能なのに独ソ戦で戦車代わりに使われて大きな損害を出しています。
    アメリカの場合もどちらかというと軽戦車に偏っていました。
    イギリスの場合はたぶん運用方法にあると思います。
    つまり、装輪装甲車は道路上や乾いた硬い平地で使うもの、不整地走行能力にはあまりこだわらない。という思想で私はこれが正解だと思います。装輪装甲車の利点は低価格と機械的信頼性にあるからです。
    Jabo

  5. すいません、何言ってるのかよくわかりませんね。
    ドイツについての部分は車輪(車軸)が増えた理由について。
    米英については任務上十分な性能を持っていた。と言いたかったのです。
    つまり、WW2型装輪装甲車の基準を米英とするべきでドイツのそれは特別(過剰な性能)だったと思います。
    Jabo

  6. 戦線の大きさに比較した軍用車両の数量や、戦場の特性をも考えるべきだと思いますが。独が最も大量の兵力を投入した東部戦線において泥濘期には装輪車両が十分機能せず、輸送用に装軌式のトラックRSOをも投入しなくてはならなかったこと、また、広大な東部戦線においてドイツ軍は戦闘用から輸送用に至るまで常に兵力や車両の不足に悩まされ続けていたこと、こういう事情からドイツ軍が東部戦線の特性をも十分考慮した仕様の車両を積極的に投入したということではないでしょうか。ただ、装甲偵察車両は高速機動も必要とするので装軌式には向いていない。そこで車輪の数を増やし機動性と不整地踏破能力とのバランスを保ったということだと思います。
    一方、ソ連はどうだったか?アメリカからレンドリースでM3ハーフトラックや一般型のトラックをも含む、かなりの数の車両を供与されていたこと、戦場の大きさに対する兵力の密度において常に独を上回っていたこと、こうした状況を考えると、わざわざ高価かつ複雑な8輪装甲車両を積極的に投入する必要は無かったのでは。
    ノルマンディー以降、西部戦線における米英も、車両、兵力の密度において同時期の独をかなり上回っています。部隊兵力に対する車両の割合では、英軍が最も多かった位ですから。もちろん、東部戦線のような泥濘もない。
    ようするに、他の方も指摘してますように、独軍当局の不整地走行能力に関する要求が他国軍よりも厳しかったからではないでしょうか。
    アリエフ

  7. 余談だけど、これに関連して何故、ソ連軍はRSOやケッテンクラートを模倣して量産しなかったのか?考えてみると興味深いと思う。アメリカから無料でレンドリースされたハーフトラックが多数あり他用途に使えるのに、戦車の生産数を削ってまで、より路外走行能力を含む総合的性能に優れるものの高価な国産車両を作る必要性がそれほど無かったということでは?
    アリエフ

  8. 皆さんの書き込みを見ると、自分のは資料の引き写し… 反省して自分なりにまとめてみました。

    ドイツ
    30年代半ばに路外走行能力優秀な8輪装甲車が開発出来た事により、他の車種で問題が指摘された時に8輪へ移行。

    ソ連
    6輪の路外走行能力不足は認識していたが、専用シャーシ等の開発は行わず。
    独ソ開戦後、偵察には現有装甲車・軽戦車・レンドリース車両を使用。

    米英
    主流の装輪式装甲車で特に問題を感じず(改装が電路等の細かな物で、車体や足回りの大幅な改造が無かった事より推察)

    他国が現有の装甲車に手に余る場所でハーフトラックや戦車を使ったのに対し、ドイツはハーフトラックや戦車も使ったけれど、高性能な8輪があったのでそれで対応しようとした(それが開戦を想定していなかった平時に設計された複雑な車両だったのは問題ですが)と、結ばせていただきます。

    #今回の皆さんの書き込み、勉強になりました。頭は使うようにしないといけませんね。
    プチロフ

  9. 証拠も何も無いのですが
    ドイツ軍では戦車を偵察部隊に配備できない理由とか無かったんでしょうかね?
    一種のセクショナリズムみたいな物で・・・

    ちなみにドイツ軍では戦車の数そのものが当初からずっと足りなかったんですから
    装甲車の代替に戦車を用いることは難しかったんだろうとは思いますが
    突撃砲のように戦車モドキを配備するという方法もあったんですから
    やり方次第な感じはするのですよね・・・

    SUDO

  10. まあ、本来装輪装甲車を配備している時点で、偵察部隊は道路を伝って作戦するものだという「つもり」はあったものだと思います。
    機甲部隊の作戦線は道路が基本ですし、道路がなければ補給も困難です。
    前路偵察とは道路偵察…道路以外の点を突破口に選ぶとしても、急速進撃のためには、そしてその進撃部隊への補給のためには、結局すぐに道路に戻らなければならないはずです。
    路外機動性能はつけたしみたいなものですが、ドイツ軍の装甲捜索大隊はよその国のと比べてより戦闘的なところが路外機動性能の重点要求につながっているのではないでしょうか。

    ただ、東部戦線での経験を踏まえて、道なき道を往かねばならなくなった偵察部隊用に戦車を…って、SUDOさん、ルックスがそれなんじゃないすか??
    できれば高速軽戦車で代替するするつもりはあったのだけれど、主力戦車のあまりの不足に対応不可能…というか優先順位で負けたのでは。
    実はソ連のT−70あたりがうらやましくて仕方がなかったのかも。
    西部戦線なら装輪車でよいし、東部戦線でも八輪車ならなんとかなるから、装軌車両の生産圧迫だけはしてくれるなというあたりかも。
    うんと少ないですけど251の偵察バージョンもありますよね。タミヤから「デマーグ」で発売されてたヤツ(笑

    英軍の場合、機甲偵察部隊にあまり多くを期待していないのでは?
    主力であったダイムラー・ディンゴの武装及び装甲の弱さ(機動性の高さは軽量ということもあり?)を見ても、また強武装のハンバーなどの生産数があまり振るわなかったのを見ても、ドイツ軍のように積極的に威力偵察を仕掛けて、弱点と見れば単独で突破を始めてしまうというようなやり方をしていたのかどうか。

    米軍の偵察部隊はドイツ軍のに近い性格を持っているように思えますが、なにしろ悪路での作戦経験に乏しいのでなんとも。困るとしたら北アフリカくらい??
    ポーランドやソ連のような戦域で戦ったドイツ軍とは直接比較が難しいのではないかと思います。

    ソ連軍は装甲車の路外性能の貧弱さと戦闘時の脆弱さから、早々に軽戦車への代替を進めていますね。
    T-34やKV、JSと並んで軽戦車もすごい勢いで作っています。
    44年あたりで軽戦車の生産は一段落していますが、これは実際のところどういう理由でしょうかね。
    どうせ偵察なんてやったところでゲルマンスキーにだまくらかれちまうんだから、そんなまどろっこしいことしとらんで、とにかくこうと決めてT-34の大群で踏み潰しちまえってことなのでしょうか(笑
    大戦後半のソ連軍の攻勢作戦見てるとそんなような気もしないではないですが
    まなかじ

  11. そうそう、戦後のソ連軍はBRDMシリーズで装輪偵察車両を復活させてますね。
    東独を出撃基地に道路網の充実した西ヨーロッパで戦うこと、あるいは東独で防衛戦をやること、また国内インフラの整備が進んだといった要素もあるのでしょう。
    まなかじ

  12. > 44年あたりで軽戦車の生産は一段落していますが、これは実際のところどういう理由でしょうかね。
    しゃかりきになって生産した軽戦車が十分行き渡り、手元に旧式戦車やレンドリース戦車があるので新規の開発や生産を止め、前線から軽戦車の要求があれば手持ちの車両を渡すことにしたそうで…
    トップにしてみれば合理的な決定なんでしょうが、44年にBTやT-26に乗る事を考えるとぞっとします。
    プチロフ

  13. 「ジャーマンタンクス」で路外性能が極端に低いとされているのは6輪重装甲車のほうです。これはクルップボクサーの上に装甲車体を載せたもので、
    (1)エンジン出力は8輪装甲車Sd.Kfz.232の半分
    (2)前輪が駆動輪ではないので後輪が泥にはまるとおしまい
    (3)後輪が幅の狭いタイヤを2本横に並べた形式で、その間に
      岩が挟まるとパンクにつながりやすい
    などの問題がありました。4輪のほうはSd.Kfz.250/9軽装甲兵員車の項に「これと入れ替わりに生産中止」とあります。
     ドイツ戦車の標準速力は40km/hと決まっていましたが、装甲車は60km/hに揃っていました。どうもルックスに至る2号戦車改造は「60キロ出る2号戦車」を四苦八苦して作ろうとした軌跡のようです。四苦八苦の内容を明記した資料は見たことがありませんが、エンジン馬力を30%アップしたため排熱に問題があったのではないかと考えています。
     路外性能のほうがめったに出さない最高速度より大事だし、だいいち急進撃する戦況でもないし、ええいもう40km/h前後でいいやということになって、250/9や38(t)偵察戦車が登場した、という流れだと理解しています。
    マイソフ

  14.  おっと失礼。クルップは作ってませんね。でもそれ以外は上の通りです。
    マイソフ


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