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606 下の関連質問のようになってしまいましたが、九七中式戦車や初期のIV号戦車のような短砲身主砲の利点ってなんですか? 
占守

  1. 砲弾や砲が軽くなる事でしょう
    SUDO

  2. 砲身が短く初速が低下するので発射時の反動が小さくなります。そのため、同じ大きさの砲塔により大口径の砲が積めます。つまり、短砲身のほうがより小さな車体に搭載する事が可能です。例としては、長砲身は積めないが短砲身ならば装備できた、III号N型ですね。歩兵支援には貫通力よりも榴弾効果が重視されまた榴弾威力は砲弾の容積に左右される為、高初速よりも大重量が重要なのです。
    影十字

  3. つまりそれは対歩兵ってことを第一に考えられていたーという事ですか? 
    占守

  4. >3
    対歩兵というか榴弾で効果を期待できる対象全般と言うべきかも
    (対人だけなら重機関銃のほうが効果的とも言えるし)
    固定目標(機銃座や砲座)に対する榴弾射撃が求められていた機能だと言えると思います
    勿論対戦車戦闘をまったく考慮していないわけでは有りません
    チハにも四号戦車にも徹甲弾が用意されていました
    ただ、これらの戦車が開発された当時の戦車の装甲は非常に薄く
    この程度の砲でもそれなりの効果が期待できたのも事実です

    対装甲火力への要求が非常に小さかったので
    榴弾の威力へリソースを回したともいえるでしょう

    SUDO

  5. 長砲身砲は高初速に適応して多量の発射薬を使う必要があり、薬莢が長く・重くなって装填速度・装備弾数を減らします。また砲身が長くなると砲塔の回転モーメントも大きくなって旋回速度が落ちます(あるいは駆動機構のパワーアップが必要となり重量とサイズ増加を招く)。1930 年代の戦車は敵も見方も装甲厚2、3センチ(重機関銃に耐える程度)のシロモノで、37mm〜50mm の小口径高初速砲で対応できると考えられていました。もちろん 1940 年以降は凄まじい進歩を遂げてバケモノ化してゆくのですが。
    ささき

  6. ありがとうございました。
    占守

  7. 九七式や四号戦車は開発時に搭載できる限りの強力な火砲を搭載しているだけで、特に短砲身を選択したという訳ではありません。三号N型も同様でしょう。
    BUN

  8. 便乗質問です。
    速射砲の砲手のかたが「弾道の低い速射砲が、歩兵を支援する時には、前の歩兵にどいてもらわないと撃てない。」書いておられたように記憶しています。
    戦車砲も同一重量であれば、「短砲身大口径」の方が「長砲身小口径」より運用上便利と戦車兵も思っていたようなことはなかったのでしょうか。
    SAW

  9.  携行弾数の問題があって、戦車との戦闘を考えると、むしろ大口径
    短砲身砲には困った点があります。特に無理をして大口径砲を積んだ
    III号突撃砲などは、現地で弾薬ラックを取り払って、乗員が乗れる
    ぎりぎりまでスペースを使って主砲弾を積み込むことが多かったよう
    です。


    マイソフ

  10. 歩兵支援に小口径砲と大口径砲のどちらが良いかという点については、陸軍で47mm砲と75mm砲の比較検討が行われていますが、同一目標にしばしば複数弾を撃ち込まねばならない小口径砲は否定的な評価を受けています。
    また、昭和10年(1935年)の雑誌「砲兵」に寄せられた論文では既に砲兵としては75mm長砲身のカノン砲搭載が自走砲には適するとの内容が見られます。長砲身が必要とされる理由の一つは日本陸軍砲兵が初期の段階から野砲による対戦車戦闘を自らの任務として考えていた為ですが、直接射撃を行う歩兵支援用の砲として野砲が優れていたことも大きな理由と思われます。自走砲や野砲の対戦車射撃について触れた論文はこの頃複数見つける事が出来ますので、当時の砲兵側に自走砲搭載砲として長砲身の野砲を第一に評価し、何らかの制約がある場合につき、妥協的に短砲身の山砲を選択するという認識がある程度広まっていたのではないかと思います。
    更に、一式砲戦車の制式制定を控えた試験で機甲科に属する戦車学校は短砲身の二式砲戦車が間もなく完成するにもかかわらず一式砲戦車を高く評価し万能砲戦車としての可能性を見出してその改良を提案しています。そんな所から見ても、運用側もよく当り威力の大きな長砲身大口径砲が手に入るならそれに越した事は無い、と言う認識だったことが窺えます。車両のディメンジョンから来る制約が無ければあえて短砲身の砲を選択する意味は無かったことでしょう。
    ブラストの問題も、射撃する戦車の前に歩兵が存在すると言う事自体、操典レベルの問題でしょう。砲戦車は戦闘に於て戦車連隊で第一戦隊の位置を占めるものですが、長砲身の野砲であるなら状況さえ許せば後方からの有効な射撃も行えるのです。
    BUN

  11. >7&10
    申し訳ありません、便乗で質問します。

    歩兵支援に大口径砲の方が適しており、かつ、97式中戦車においても可能な限り強力な火砲の搭載が求められたのなら、何故57mmという口径が選択されたのでしょうか?
    97式中戦車の規模なら、後の二式砲戦車の様に、75mm山砲の搭載も可能だと思うのですが。

    75mm山砲を載せる場合、オリジナルの97式中戦車より砲塔が大きくなり、若干重量が増すと思われるので、その点がネックになるのかな?とは考えていますが。
    重量以外にも、75mm山砲を阻む要因が何かあったのでしょうか?
    mikey

  12. 57mm砲は八九式中戦車に搭載された時点で「大威力」と判断されています。九七式にはそれを更に強化したものが搭載されていますが、チハ車とチニ車という二種の試作案があったのは御存知のことと思います。57mmの小型砲塔を搭載したチニ車が採用されず、大型砲塔を搭載したチハ車が採用された背景には通常支那事変による予算環境の好転が挙げられていますが、それよりも小型砲塔の操砲上の不利が最も問題視されていたようでもあります。九七式採用後も中戦車の小型化構想が継続するのはその為でしょう。ですから九七式のあの砲塔は57mmの効率的な操砲上、やはり最小限必要と評価されたようなのです。この後も陸軍は砲塔内スペースの大小を何度か検討し、大型砲塔が望ましいとの結論を得ています。九七式新砲塔が三人用の大型砲塔なのはこの為です。

    また、75mm山砲を通常型戦車に搭載することは考えられません。戦車砲としての速射性能に劣るからです。75mm山砲は機甲科には非常に評判の悪い大砲でした。
    BUN

  13. >12
    非常に評判悪かったのですか(^^;

    ちなみに、その要因は速射性能以外にもあるのでしょうか?
    貫通力も榴弾の威力も、57mm砲より75mm山砲の方が上だと認識していたので、正直ちょっと意外でした。
    もっとも、仮に速射性能以外に問題点が無かったとしても、機甲科側が57mm砲の威力に満足し且つ速射性能に大きな開きがあったのなら、57mm砲という選択も理解はできますが。

    あと、五式75mm戦車砲や試製10cm戦車砲には自動装填機が装備されている様ですが、上記の件も含めて考えると....、
    もしかして機甲科側は、速射性能に対してこだわりを持っていたのでしょうか?
    mikey

  14. くだらない、取るに足らない本なんですけれど「戦車と砲戦車」中の日本戦車開発構想史で発想は世界に先駆けて存在したのに何故大口径化が遅れたかについて触れていますのでお暇でしたら立ち読みしてください。
    改造山砲=九九式戦車砲についての評価は低初速、低発射速度、照準方式等、その欠点を千葉陸軍戦車学校が列記したものが残っています。この大砲は日本の装甲車両用火砲の中で一番古い75mm砲なんですが、その原案は昭和十二年の改訂陸機九二号によって研究開始しています。この時は駆逐戦車搭載砲として扱われ、その後、旋回砲塔に搭載可能であることから九九式砲戦車搭載砲として研究が進められた経緯のある大砲です。戦車砲として九七式中戦車がこの砲を搭載する選択肢はありえないことが時期的にも御理解戴けるでしょう。
    それ以前の段階では上に書いたように75mm砲は砲兵自走化の構想中に「砲兵」として考えられていたのみです。原乙未生中将は75mm級を搭載可能なように九七式のターレットリングを大きく設計しているといった回想を残していますが、昭和十年頃の戦車開発で75mm砲は走行中も目標に追随してつるべ打ちに射撃できる57mm砲に対してあまり魅力の無いものであったのは確かでしょう。スペックだけから見ると意外な気もしますが九九式戦車砲はそうした性格と開発経緯を持っています。

    BUN

  15. >14
    時間軸も含め、75mm山砲には色々問題があったのですか。
    スペック以外の項目も含めた場合、75mm山砲は「可能な限り強力な火砲」の範疇に入ってなかった、と見なしても良さそうですね。
    参考になりました、有難うございます。
    #「戦車と砲戦車」も、入手して参考にする予定です。

    あと、原乙未生中将の回想に関して、もう一つ質問です。
    想定された「75mm級」は75mm山砲なのでしょうか?
    それとも、二人用砲塔で75mm野砲(または高射砲)の運用を考えていたのでしょうか?
    三人用砲塔で75mm野砲等を運用するには、ターレットリング内径は1.5m程度必要だと見ているので、97式中戦車(確か内径は1.3m強)では少々小さい様な気がするのですが。
    mikey

  16. 昭和十一年頃に75mm野砲の旋回砲塔搭載を考えていたなら大した話なのですが、どうもそうではない様子です。ひょっとすると八九式からの武装強化として重戦車用の九四式70mm戦車砲あたりを考えていた事もあった、と言う程度なのかもしれません。具体的に何を指しての回想なのかよくわかりません。
    BUN

  17. >12&14&16
    今回も色々対応して頂き、有難うございました。
    「戦車と砲戦車」も早速入手し、確認しました。
    もっとも、大掃除に時間を取られたため、熟読とまではいきませんが(^^;
    発射速度へのこだわりは、対戦車砲の対応が念頭にあっての事ですか。
    他にも、色々意外に思われる事実が紹介されており、勉強になります。
    ここに書くのも何ですが、以降の特集についても、期待しております。
    mikey


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