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107 牟田口のおかげでインパール作戦に31式野砲をもって逝かされた砲兵連隊での
かの超旧式な駐退機のつかない砲の評判はどうだったのでしょうか?
1発ごとにがらがら後ろに下がるようじゃ、M3軽戦車相手に泣きそうなめにあいそうですけど。
Navy

  1. 心配御無用。M3軽戦車を主力で使用していたのは日本軍であって、敵はM3、M4中戦車で装備されていましたので、31式野砲の駐退器が無いことなど、本質的な問題ではありませんでした。ちなみに戦史にはあまり取り上げられていませんが対戦車戦闘の希望の星、一式自走砲も作戦には参加しており、しかも生還しています。
    BUN

  2. でも往きはインドゾウで運んで、インド側では人力で牽引して、帰りは砲彈が尽きて破壊処置してしまった、、、ってこと?>31式野砲
    Navy

  3. いや結構M3軽も使われていたようです。もともとまともな対戦車兵器がなく、アラカン山系越えの為に重装備を置いてきた日本軍にはM3軽でも恐ろしい敵だったようです。
    対戦車兵器と言えば日本軍が成形炸薬弾に初遭遇したのもこのインパールで、PIATの一撃で戦車14連隊のチハが火だるまにされました。「英兵が筒のような物を持って道に飛び出してきて構えた次の瞬間、戦車が爆発した」という目撃談を、日本軍は一笑にふしましたが、実は戦車連隊の上層部は英軍が成形炸薬弾を使った事に気が付いていて、戦意喪失を恐れたためにあえて黙殺したそうです。
    M3軽は戦車14に大量に配備されていて他、M3軽の装甲板を増加装甲として装着したチハが先頭をきる隊長車として使われていました。
    「祭」の山内師団長は近代戦というものを良く理解していた人物で、「米英軍と戦うには重装備なしでは不可能」と主張して、「重装備を抱えてアラカン山系を越えるのは不可能」と主張する若手将校と作戦前激しく対立しました。これってインパール作戦の不可能性を表した悲しいエピソードですよね。


    ハヤブサ

  4. 確かに。戦車十四連隊の編成は変わっていて、各中隊毎にM3軽戦車、チハ改(五人乗り)、九五式軽戦車が一個小隊ずつ配分されていました。増加装甲はチハ小隊の隊長車のみに行われ、簡単な図面が戦後出版された連隊史に載っています。正面からの37mmの貫通はほぼ防げたとのことですが、この方面の英軍はスチュアート90両に対してグラント系180両が行動していたようですから徒労に終わったのかもしれません。しかし、対戦車用の主砲であるグラントの37mmを跳ね返しつつ突進できた車両もあったと信じたいですね。
    本題の三一式野砲ですが、貫通力以前に、対戦車射撃では照準できないのではないでしょうか?
    BUN

  5. 増加装甲は主に6ポンド対戦車砲対策として装着されたようで、それに対しては一応の効果があったようなので無駄ではなかったと思います。
    それから「祭」(歩兵第15師団)の師団砲兵(野砲兵第22連隊)がインパール作戦で装備したのは31式山砲。駄載バージョンです。本来、野砲兵22は、38式野砲24門と91式10榴12門装備だったのが、インパール作戦ではどちらも持っていけないので、仕方なく支那派遣軍から貰った31式山砲4門と本来連隊砲だった41式山砲6門を野砲兵22に装備しました。
    「弓」や「烈」の師団砲兵は元々山砲兵連隊で94式山砲装備(ただし数は減らしている)だった事や、「弓」には野戦重砲兵2個連隊と速射砲大隊が配属されたのと比較しても「祭」は悲惨です。
    何にせよ実際に対戦車火力として使えるのは速射砲(94式37mm砲)が、「祭」に3門、「烈」「弓」が各3門、その他に速射砲大隊(1式機動47mm砲)が1個。これで全部です。
    「祭」に対して敵が多数の戦車を装備している事が知らされたのは作戦発起の2週間前だったようで、火炎瓶を用意しようにもビルマでは瓶が集まらず、手製の火炎放射器を作ろうとしたなんて話もあります。
    (ああ、なんか書いてて悲しくなってしまった)



    ハヤブサ


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