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176 旧日本軍に狙撃兵は存在してたのですか?
サクラ

  1. 97式、99式、38式改と言う狙撃銃が制定されていましたので、それらを使用していた者が狙撃兵だと思います。
    yuji

  2. 第二次大戦で狙撃兵をもっとも上手く活用したのは日本軍とドイツ軍だと言われています。存在していたのか、などと言われるのは心外ですね。
    R

  3. 便乗質問ですが、あるサイト(ノモンハンに関するもの)を見たら、ソ連の狙撃銃の場合、700〜800M位の距離で有効射撃ができるのに、日本の方は照準機の性能不足により300M位でないとできないので苦戦を強いられたと書いてありました。狙撃銃の照準機の性能は諸外国に比べそんなに劣っていたのでしょうか?
    アリエフ

  4. NHKのBSハイビジョンドラマ(地上波でもやりましたが)に「最後の弾丸」という日本軍狙撃兵を扱ったのがあります。たしか、ボルネオ島でオーストラリア兵相手に戦ってたのかな? 
    ビデオも出てるはずです。主演は玉置浩二。まあ、雰囲気をつかむ程度ならいい資料でしょう(笑)

    日本軍の場合、照準眼鏡(スコープ)のついてない小銃を持った兵でも、狙撃兵として扱われることがあります。
    中隊ごとに射撃の上手な古年兵(一等兵、上等兵、兵長)を「特級射手」と称して、射撃訓練時には助教(教官助手)に起用し、戦闘時には小隊の要のひとつとして、軽機手や擲弾筒手と同じように、小銃手とは別けて運用しますが、中隊ごと、で、小隊の要というのがみそで、どの小隊にもある軽機や擲弾筒とは違って、「いない」小隊も多く出てきます。
    この特級射手にスコープつきの狙撃銃が渡されるわけですが、当然というかなんというか、日本の国力では全員には行き渡りません。
    というわけで、まったく通常の小銃を持ってこの任務につく特級射手は、相当に多かったと思います。

    狙撃兵出身の作家の方も、私が知っている限りでは二人おられます。(どちらも故人ですが)
    五味川純平氏と安岡章太郎氏です。五味川氏は「杉田上等兵」として自作中(題名は『関東軍私記−野望の…忘れました−』大汗)に登場します。安岡氏はエッセイに書いておられますが、こっちも題名忘れました(冷汗)
    まなかじ

  5. 3.うーん、狙撃兵の有効射程は、普通400メートル程度と思いましたが?
    ドイツ軍のKar98kでも、平均的な射手ではこのくらいだったと思います。
    7.92ミリ弾なら1000メートルでもやれるでしょうが、銃を手持ちで撃つにはこのへんが限界らしいです。
    ソ連軍のモシンナガンは狙撃性能に優れていたそうで、また、実際にドイツ狙撃兵も捕獲したこの銃を愛用した者も多かったそうですが、ソ連当局のこの銃に関する宣伝(何しろ、帝政ロシアの時代からとはいえ、ただの歩兵も「狙撃兵」と命名する国ですから)はかなりの誇大広告をやっていたようです。

    また、三八式の場合、弾丸が軽量高速弾なので、照準眼鏡云々というより、遠距離では弾道が安定しない可能性があります。
    照準眼鏡の質は…当時の他の軍用光学機器の質から見て、多分かなり劣っていたものと思われます。
    列強の照準眼鏡が4倍を標準としていたのに対して、日本軍の制式は2.5倍、これは視野が暗くなったり、像が歪んだりするのを防ぐためではなかったでしょうか。
    まなかじ

  6. 本当かどうかは知りませんが、ソ連の狙撃兵が優秀なのはフィンランド侵攻の時に敵の狙撃兵に手ひどくやられた経験をもとにしているそうです。でも確かにノモンハンの時にはかなり日本軍はかなりひどくやられてるので、この話怪しいかも知れない。
    てくの

  7. 変な文章じゃ
    てくの

  8. ノモンハンの気象条件は独特で、空気が澄んで乾燥しているため、非常に視界が良好だったそうです。
    長距離でも空気による散乱が少なく、くっきりした像が得られるため、ソ連軍の7倍照準眼鏡による長距離狙撃が威力を発揮したそうです。
    まなかじ


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