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246 38式歩兵銃の評判はよく聞くのですが、大戦中の99式小銃の評判は
あんまり聞きません。いったい当時はどういう評価だった、
そして結局どういう評価が与えられたのでしょうか?
P-kun

  1.  1939(昭和14)年に旧陸軍制式となった99式小銃は、38式歩兵銃を7.7mm化し、いくつかの欠点を改良して生産性を向上させたモデルといえます(反面対空照尺というムダにしか見えないものも付いているが(^^;)。
     国内の一般的な文献では38式ほど高い評価を受けていないように見受けられますが、これは全陸軍部隊に配備しきれなかったことと、大戦末期に作られた粗悪品の存在が大きな原因と思われます。さらに、その粗悪品が.30-06口径に改造されて初期の警察予備隊〜自衛隊で使用されたことも、99式の評価を下げる一因になったと思われます。
     全体的に見れば、99式小銃は38式を継ぐ世界レベルに達したミリタリー・ボルト・アクション・ライフルと評価できます。ただ、当時の日本の工業力が戦争によってその品質を支え切れずに崩壊してしまい、結果的に不運な運命を辿ったということになるでしょうか。
    ブラック・タロン

  2. 広大な大陸戦線では7.7mm弾の長射程性が評価されたでしょうが、皮肉なことに99式の戦った主戦場は複雑な地形の熱帯ジャングルでした。こういった戦場では高威力・長射程の有利を活かすことができず、特に体格の劣る日本兵には撃ちやすい38式にくらべ強い反動が不評だったようです(もっとも「天皇陛下の御小銃」ですから公然と非難することは許されませんでしたが^^;)。また「7.7mm弾によって小銃・軽機・重機の弾薬を共通化する」という当初の目標も達成できず、各銃器向けに装薬量や薬莢形状が少しづつ異なる弾薬を使い分けることになってしまいました。
    終戦直前には見るも悲惨な簡易生産型の「決戦仕様(泣)」99式改歩兵銃が量産され、これを持ち帰った米兵が暴発させたりして「99式は悪銃」との評価が高まってしまいましたが、現在ではGun誌で著名なターク・高野氏らにより「99式こそアリサカ・ボルトアクションライフルの最終形」として見直され評価されています。
    ささき

  3.  海兵出身のうちのお父様は言いました。「三八式は当たる。だが、九九式は当たらない(^^;」。
     九九式の反動の強さは慣れていない兵には結構辛いものがあったようです。
    大塚好古

  4.  ご存じかと思いますが、99式が『歩兵銃』ではなく『小銃』と呼ばれるのは、”歩兵銃と同型式の騎兵銃を一緒に制定する”というそれまでの陸軍ライフルのお約束が取られなかった、つまり騎兵銃モデルが制定されなかった点にあります。理由は簡単、7.7mmという大型弾で38式/44式騎兵銃のサイズの騎兵銃を作ると、強烈な反動が起きてしまうからです。そのため、99式(短)小銃は騎兵銃と歩兵銃の中間の長さとして全長1,130mmに設定されました。
     ちなみに、99式は最初38式と同サイズの”99式長小銃”が作られたことが知られていますが、その理由は、99式の試製銃を受け取った陸軍戸山学校が出してきた「全長が短く白兵戦に不利」という反対意見を退けるためとか・・・

     戦争末期に作られた99式小銃の中には、ストックをスポーツ・ライフルのように短くしたかなり乱暴な代物もあったようですね(写真資料を見たことがある)。土浦の武器学校にいくつか展示されてるそうですが・・・

     個人的には、99式の挺身隊用バリエーションである2式小銃(テラ銃)が好みなんですけどね。前後2つに分割できるライフルって結構そそられる(何が(^^;)
    ブラック・タロン

  5. >二式テラ銃
    ピンを抜いて捻ると「チャキン」と銃身と機関部が分離するアレですね。必殺仕事人の道具みたいだと思うのは私だけでしょうか(^^;)
    ささき

  6. 実はモデルガンを持っています。確かに気持ちいい。しかし、珍銃の様にみえるテラ銃も、予算から見ると二万挺以上は生産された様なので結構ありふれた銃だったのかもしれません。
    BUN

  7. 旧日本軍の小火器に関しては「日本の軍用銃」といういい本があります。
    米国在住の日本人研究家による実射をふまえて書かれた力作です。美麗写真あり、日本側の記録ありの3拍子そろった良い本ですが、お値段が高いのが玉に瑕です。
    私は持ってません。
    舞弥

  8. テラ銃は上の本によれば名古屋工廠で19000丁ほど生産されたと書かれていました。そんなに作ってどうするつもりだったんだろう?
    舞弥

  9. >舞弥さん:
    『日本の軍用銃』とは、須藤薫雄氏の著作(国書刊行会刊)でしょうか?(持っていらっしゃらないなら著者名まではわからんか(^^;)

     2式小銃が19,000挺ほど生産されたということは、配備先である挺身隊(空挺部隊)の規模がそれくらいだったのでしょう。僕の手元の資料では、2個挺身団が2式を装備して終戦まで作戦に従事していたとあります。
     2式の20,000挺という生産数は多いように見えますが、38式歩兵銃は100万挺以上生産されたようなので、それから見れば2式は決してありふれた存在とは言えないかも・・・あくまでも挺身隊用の特殊装備ですから。
    ブラック・タロン

  10. 戦後の九九式改造銃の中にもテラ銃は混入していたようで、津野瀬氏の著書で触れられています。まあ、ありふれてはいないけれど、珍銃でもない、ということで・・・。
    BUN

  11. 9.そうその本です。著者名および出版社の紹介ありがとうございます。
    ところで19000丁という数字が当時の挺身部隊の兵力に見合ったものだとは到底思えません。1個挺身団は挺身団本部+1個挺身連隊+1個挺身飛行戦隊からなるはずですが、このうち戦力の中核となる挺身連隊は3個中隊程度の戦力です。どう勘定しても無理です。百式短機等の他の小火器を考えに入れれば余計勘定が合わなくなります。
    思うにテラ銃の生産数というのは需要に基づいた合理的な数字ではなく、生産ラインの都合によるものではないかと思います。また38式や99式に比べれば遥かに少ないとはいえ、実際の需要を考えればたとえ300対1でも過大だったような気がします。
    舞弥


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