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291  はじめまして。
 旧日本軍の戦車は47mm砲や57mm砲が主流でしたが、その頃各国の戦車は
75mmや88mm、100mm超の戦車砲を搭載しているものもありましたよね。
日本は大艦巨砲主義とか言っていたくせに、戦車に大口径砲を搭載しなかったのには
何か訳があるんでしょうか?M4シャーマンによって97式チハは「殺戮」され、そ
こで開発した一式チヘ、なんでいまさら47mm?
 また、3式や四式が実戦配備されていたら一矢報いる事はできたでしょうか?
それとも「ドイツ製75mm」と違って「日本製75mm」ではM4を倒すのは不可
能だったでしょうか?重ねてもう二つ、3式、4式の装甲はM4の76mm長砲身弾
に耐え得るものだったのでしょうか?
 97式や一式はあの非力な砲でどのように敵戦車と渡り合ったのでしょう?まともに
撃ち合ったら10:1でも勝ち目が無いような気がしますが。
  旧日本軍の戦車にとても興味があるのですが、資料が少なくて困っています。
 どこかお奨めのサイトがありましたらぜひ教えていただきたいと思っております。
hiroto

  1. まず質問はもう少し絞りましょうね。
    他の皆様の質問文をご覧になればおわかりでしょうが、
    上記のごとく長文かつ多岐にわたる質問はほとんどないでしょう?
    (あ、別に責めてるわけじゃないのでそんなに気にしないで下さい。
    今後に生かしていただきたく思う次第です。あなたは「はじめまして」なんだから)

    で、まず一式ですが、その名の通り「1941年制式採用」ですから、M4シャーマンのことを考えて開発されたわけではありません。
    おそらくはノモンハンで苦杯をなめたソ連BT戦車対策です。
    ここで注意ですが、97式が57mmで1式が47mmですから、
    一見威力減に思えますが、97式のは短砲身、1式のは対戦車戦闘を考慮した長砲身で、威力はむしろ向上してます。
    そして日本戦車兵は戦車の数が少なかったこと(=競争率が高かった)、戦争終盤まで本格的な戦いを経験しなかったこと(初期の侵攻作戦時を除く)から終始高練度を保っており(ここがドイツと異なる)、M4相手でも戦術を駆使して結構戦ったようです。
    無論正面から立ち向かえば歯は立ちませんが。
    この辺はわが師匠BUN親方が飲み屋3軒分ほども話したいことをお持ちのようですから詳しいことは師匠にお任せします。

    今学校なんでレスはここまで。バイトもあるんでこれ以後は他の方にお任せします(師匠、ご指名いたします)。
    勝井

  2. 世界的に戦車の主砲が長く37mm程度に留まっていた背景には、75mmクラスの砲が砲兵の領分だったことが大きく響いています。37mmクラスの速射砲は今までどの兵科も相手にしなかった分野である為に戦車兵科の物となったのです。こうした大きな流れの中で戦車に大口径砲を搭載することは、深刻な戦訓等の存在が必要だった様です。
    日本の戦車も同様の流れの中にあったので、47mmに続き57mm長砲身等の段階を踏みながら、日本最後の戦車チヌに至って、ようやく75mmの九〇式野砲の一式自走「砲」ではなく本格的「戦車」への搭載に至ります。

    九〇式野砲の性能ですが、この砲は先祖を辿るとM4の75mmと重なる部分のある砲ですから、主砲威力としては徹甲弾の性能差はあるにせよ、ほぼ同等の砲だったと考えて良いと思います。実戦でもほぼこれを裏付ける戦果が上がっています。
    BUN

  3. 97式中戦車の時代は、他の国で言うなら
    初期の三号戦車とか、せいぜいBT-5とかの時代です
    主力戦車の主砲口径は37mm-45mm級でした、決して劣る物ではありません
    何しろ正式採用は第二次大戦前なんです
     また、大艦巨砲主義は『艦』って言葉から判るように「おふね」の話です
     くどく説明を聞きたかったら艦船の項にでも質問をどうぞ
    また一式の開発はそれほど新しくないですし
    一応正式年度は一式陸攻や一式戦闘機と同じです
    まだ、近代戦闘の激烈な破壊力を経験していない時期の戦車です
    一応ノモンハン事変の経験は取り入れられていますが
    結局ソ連のBT系列の戦車に対抗することを想定した程度の戦車なんです
    独ソ戦開始時のドイツ軍の一応の主力三号戦車50mmの長くない奴と比べれば
    一応、まあ似たような火力(砲弾性能で劣るので性能差は結構ある)
    同等以上の機動性(故障しなければ)
    同等以上の装甲(材質は聞かないように)
    そう、決して劣る物ではなかったのです
    あの時点で日本軍が認識していた敵性戦車にはそれなりに対応できたのです
    配備が遅れたとかは、また別の問題です

    三式が配備されていたらですが
    まともな数量とちゃんとした徹甲弾が配備されれば
    戦術レベルでは応戦することは充分に可能だったと思われます
    ただし、先にあげた条件は大変に厳しい物ですから
    結局は自走対戦車砲としてしか使えず
    発砲後等で位置がばれれば袋叩きで殲滅されたでしょう

    また、ドイツ製でなくても、75mmでなくてもシャーマンは撃破可能です
    但し、徹甲弾があればとか
    装甲を抜ける距離まで接近できればって条件がつきます

    また同様に装甲防御力ですが
    遠距離なら三式や一式でも耐えることは可能です
    そう、2,000mとかならね
    ただし、太平洋戦域のMは75mm砲装備型が主流ですから
    まあ運がよければ1,500mまでなら耐えられるかもしれません

    でもって、日本軍戦車の対戦車戦闘ですが
    茂み等に戦車濠を掘ってダックインしてギリギリまで引き付けて
    側面等を至近距離から襲撃して、死ぬ気で連射して
    装甲に罅を入れさせて撃破するとか、衝撃で搭載弾薬が誘爆するとか
    乗員がびびって逃げ出すまで打ち続けるとか
    そのまま体当たりでがけ下に突き落とすとか
    開放ハッチを狙うとか、いろいろやってます
    まともにやって勝てないときは努力と根性で精神力で闘うのです

    日本軍の戦車の資料は探せば沢山あると思います
    戦車雑誌のバックナンバーとか別冊増刊の類で一通りは賄えると思います

    また、サイトの方は良く判らないのですが
    Gooとかの検索エンジンで
    九七式戦車とかチハとかをキーワードにして探してみるのはどうでしょう

    SUDO

  4. ってよぅ
    人が長文書いてる間に、二人もかい・・・

    もっと早く書かないと駄目だな(;_;)

    SUDO

  5. 端的に言えば、大艦巨砲主義なのは海軍で、陸軍は軽薄短小主義まっしぐらです。

    戦車の重量制限が「ひじょ〜にキビシー」というのも、第一に陸軍はド貧乏である(よって重い戦車は高くて数が揃わない)、第二に18トン以上の荷物を荷役できる船が少なく、しかも中国や東南アジアの港にはそうした港湾設備がいくらもない(よって重い戦車は海外に持ち出せない)、第三に国内の橋梁も鉄道橋を除けば20トンに耐えられるものは極めて少ない(よって、重い戦車は国内で移動することもできない)といった理由によります。

    で、あの47ミリ砲は、あれでいいのです。なぜなら、ソ連軍のT−26やBTをぶっ飛ばすための砲だからです。その目的に対しては、威力十分です。
    あれで米軍戦車と戦うつもりはさらさらなかったのが本音かと思います。

    チヘ車は、開発時期から考えても、M4のカウンターパートとして作ったものではないでしょう。生産開始が遅れたのは、要は予算がなかったからです。

    チヌ車の75ミリ砲は九○式野砲をほぼそのまま載せたもので、それであんなに頭でっかちな砲塔になってますが、威力の方は400メートル正対で前面装甲を貫徹できるくらい…でしたか。側面から90度で撃てば1000メートルで撃破を期待できます。
    しかし、日本陸軍の徹甲弾は設計が悪く、少し斜めになっても滑って弾かれてしまいます。確実を期するなら、100メートル以内にひきつけないと、かえって反撃されて危ないのではないでしょうか。とはいえ、それで一両つぶしても、発射速度と砲塔旋回速度が遅いので、二両目のM4に応射されて食われてしまうのではないか・・と。
    四式の75ミリはボフォースの高射砲改造ですから多少ましかと思われますが、とにかく「滑る」徹甲弾を何とかしないと。

    M4の76ミリ砲はかなりの威力があります。
    チヌ車の装甲では、HVAP高速徹甲弾でも持ってこられたら2000メートルでも楽に貫徹されます。通常のAPでも1200メートルでどこからでも撃破できるはずです。
    まなかじ

  6. そんな、SUDOさん、オレってば4着ですぜ…(/o\)
    参ったなあ、内容、かぶりまくりぢゃん
    まなかじ

  7. ところでBUN師匠、速射砲はどこの国でも歩兵科の持ち物だと思ったんですけど…。
    まなかじ

  8. 補足ですが。
    一応、昭和12年度に技術本部では47o砲の研究を方針としてますが、
    後に一式47o戦車砲となる案を提出したのは昭和14年の8月です。
    で、その47o砲が制式化されたのが昭和17年の4月、3年掛かって
    ます。「今更」ですけどネ。
    また、九九式75o戦車砲(三式戦車の九〇式野砲とは別物)の開発経
    緯はといえば。
    昭和12年   研究方針策定
    昭和13年6月 設計着手
    昭和14年6月 設計変更
    昭和15年3月 試作発注  12月 1号砲完成
    昭和16年3月 戦車搭載試験 7月 威力増大2号砲発注
    昭和17年2月 2号砲試験  3月 戦車搭載試験
    となっております。頑張ってたんです、テンポは遅いけど。
    テンポの遅さは、貧乏だから。でしょう。

    さて、昭和20年5月。参謀本部と教育総監部は「戦車用法」という教
    令を出してるんですが、その注記として以下の様に記されています。
    注1 四式戦車は1000mにおいて、三式戦車は600mにおいて、M4戦
       車の正面を貫通しうるも命中角の関係上その公算は僅少にして、
       側面および背面を攻撃することを要すること多し・・以下略
    注2 一式中戦車、または九七式中戦車(改)はM4戦車に対しては至
       近距離にてその側背を攻撃するを要す。

    つう事です。
    takukou

  9. いや、しかし、皆さん日本の戦車には愛情があるんだなぁ・・なんか、嬉しい。
    takukou

  10. 三式や四式が米軍の同クラスの戦車(M4のイージーエイトやファイアフライとか)と闘ったらどうなるか、という記事が最近のPANZER誌にありますので、バックナンバーを探してみては。実戦では主砲の威力や装甲の強度だけでなく、砲の発射速度も関係してきます。これは砲弾の装填作業がどれだけ迅速にできるか(車内の居住性とも関わってくる)、主砲を安定させられるか(当時の各国の戦車の中で性能は低いが砲安定装置がついていたのはM4シャーマン系だけ)、といった要因が影響します。他に機械的信頼性の問題も。
    アリエフ

  11. みなさん、親切に教えてくださってありがとうございました。非常にためになりました。
    質問文を長々と書きすぎてしまい、確かにちょっと非常識だったかもしれません。
     今、パンツアーフロントというゲームをやりこんでいます。100m以内に接近
    したり、背後に回りこむことの難しさを改めて実感しています。日本戦車兵の苦労
    が少し分かった気がしました。
    hiroto

  12. そ、そうか、パンフロやるんですか。
    日本戦車兵の気持ち…バルクマン・コーナーの自車をM5A1にしてやりましょう…ってえのは、どなたの発案でしたっけ?
    ゴミでした
    まなかじ

  13. まなかじ氏、戦車以前に37mmクラス速射砲を本格装備した歩兵連隊等というモノがあったであろうか?
    何にせよ、戦車の主砲が戦間期に小口径に落ち着いてしまったのは兵科間の軋轢が大きいということです。
    BUN

  14. 兵科間の軋轢は同意ですが
    歩兵砲ってのはどっちの管轄だったんでしょうか?

    SUDO

  15. ↑あ、それそれ。確か、ルノーFTの37ミリ砲は平射歩兵砲の転用だったような気が…。プトー砲とか、十一年式平射歩兵砲とか…。プトー砲はトレンチ・ガンの名前で英軍や米軍も使ってましたし。
    まなかじ

  16.  わしの知ってる知識はこの程度でし(^^;;;

     プトー砲に倣って開発された11年式平射歩兵砲(37mm)は、日中戦争の初期にルノー戦車の備砲に代用されたと聞きます。
     あと、対戦車砲として開発された94式37mm砲は、95式軽戦車の主砲の原型となりましたが、狭い砲塔に収めるために後座長を抑制したことから、薬莢と薬室が短くされてしまい、砲身も短くされたため、威力は一段と低いものだったそうです。

     ゴミ話(笑)。
     旧陸軍の歩兵砲として、”大隊砲”こと92式歩兵砲(70mm)があります。旧陸軍で曲射歩兵砲(迫撃砲)の普及が遅れた原因の一つに、曲射機能を持つこの92式歩兵砲が先に採用されたことがあったといわれてますが、この砲を89式〜97式戦車の備砲に転用する用途も不可能ではなかったはず・・・とある本で読んだことがあります。
    ブラック・タロン

  17.  兵頭二十八氏の「日本の陸軍歩兵兵器」ですね。しかし、同じく同書によれば、大隊砲を強装薬で水平射撃をしたときには信管が作動せず、跳弾するとも書いてあります。対歩兵戦闘を念頭に置いた戦車砲としてはやはり難があるのでは?
     念のために書きますが、大隊砲がひどい欠陥品というわけではありませんよ。(欠陥が多いのは事実ですが。)物不足とはいえ、戦後になっても長いこと中国軍が使用していたくらいですから。
    tomo

  18. ベトナム解放戦線も使ってたっつー話も、
    Yasuharu


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