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398 旧日本海軍で誘導魚雷の開発は行っていたのでしょうか。 
赤外線探知の爆弾よりは見込みありそうな気がするのですが。

  1. そりゃもう、魚雷は我が海軍の主力兵器ですから開発だけは色々としていた
    みたですね。
    ウェーキ追尾魚雷とかもそれなりの形にはなっていた様です。

    あと、誘導魚雷ではないのですが、艦底起爆魚雷も色々と開発はされていた
    模様で、光の反射を用いる「有眼信管」もこの目的で使われたらしいです。

    ただ、赤外線誘導爆弾(マル「ケ」でしたっけ?)も開発だけ結構進んでい
    たのでは??
    tackow

  2.  吉田隆元海軍技術少佐の談によると、昭和17年頃、呉の造船実験部が模型船を使った自動音響追尾装置を作り、実験は成功したとのこと。これは魚雷に使えると、早速呉魚雷実験部に持っていったところ、何の関心も示されなかったとか。
    tomo

  3. 光の反射を用いる「有眼信管」って誘導用じゃなくて対地上用の一種のVT信管だったのでは?
    爆弾の先端につけて地面との距離を測るためのものだったと思うのですが。
    taka

  4. >3 魚雷にも用いられ「ようと」していた。ということです。
    tackow

  5. さらに質問しますがウェーキ追尾魚雷というのはアクティブ型の音響センサを積んでいるということなんでしょうか。
    重ねて質問しますが艦底起爆魚雷について大切なファクターである魚雷の深度調整誤差は日本ではどれくらいに見積もっていたのでしょうか。 磁気信管の場合、磁場は水平方向よりも垂直方向に分布するため浅い深度で魚雷がはしると過早爆発する。(ドイツでは深度調整誤差の値を最大1.5mと見積もっていて、このことが磁気信管の開発を進める一因ともなっていました。)
    マル「ケ」は比較的対抗手段を講じやすいパッシブ型の音響誘導より対抗しずらい赤外線探知誘導でしたが(固有周波数を探知する音響誘導の場合狙われている艦が速度をかえただけでロストしました)陸軍の技術関係の上層部はあまり真面目に期待していた感じではないです。 提案した本人は違いましたが。 推測ですが主に赤外線の探知距離不足からだとおもいます。 高高度から投下する予定だったので赤外線探知ができるようになる距離ではかなりの速度がついており誘導は困難。 コールタールをいれたドラム缶にむけて投下した爆弾は誘導が成功したらしいのですが群細はわかりません。 その後まったく実戦化のみこみがたたなかったことからみて余程好条件で投下したものとおもわれます。 
    マル「ケ」自体が特攻に対する陸軍のいいわけに近く、完成すればそれでよし、失敗しても陸軍としては特攻をおこなわないように努力だけはしたということをいいたいために開発開始したふしがあります。 その後見込み無しとしてマル「ケ」は資材優先順位をさげられますが海軍が派手に神風攻撃を宣伝し始め、陸軍はそれに対する国民の反応を見てこのまま特攻作戦を続けられると判断した頃に重なります。 



  6.  旧海軍のウェーキ追尾魚雷のものはパッシブ型のはずです。このウェーキ追尾魚雷の仕組みはこうです。各種騒音(音波)の発生源である魚雷機関部を超音波の発生装置と考えます。魚雷頭部に超音波の受信装置を付けます。魚雷航走中はこの受信機は絶えず機関部からの超音波を受信します。しかし、敵艦をはずれ、ウェーキと交差した場合、ウェーキによって超音波は遮られ、受信機は超音波を失探します。電気的にその失探を処理し、魚雷の舵を取ります。超音波の強さでなく、受信する、しないで処理をするので動作は確実だったそうです。
    tomo

  7. 読み返して気付きました。一応、自ら音波を出しているのでアクティブ型ですね。
    tomo

  8.  米海軍が実用化したMk45Fの航跡波追尾誘導型はパッシブ型音響魚雷の変型ですね。
    大塚好古

  9. ウェーキ追尾魚雷の誘導方法はTOMOさんが書いてくれた通りです。アクテ
    ィブがパッシブかはなんとも言えませんが。

    艦艇起爆装置ですが、磁気方式のものはドイツから輸入したものは、南洋では
    磁気の垂直分布が少なく利用されませんでした。
    代わりに、魚雷の速力で地磁気を切って誘導電流を流す方式のものが試作されて
    いたようです。
    その他にも、超音波方式等もあったのですが、実用化には達しなかった様です。
    まぁ、航空機用には「凧」を用いたモノが実用化されたのはご存じの通りです。

    マル「ケ」ですが、私は魚雷の誘導方法等と同様なレベルで終戦を迎えた(実
    戦化に到達しなかった)と言う意味での書き込みですので、陸軍がどうしたとか
    ははっきりいって設問とは関係無い所です。
    ただ、開発の予算約1000万、関連人員部内外で約400人、というのは当時
    の予算規模等から見て言い訳としては結構な規模と思うのですけれど。
    tackow


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