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770 第二次世界大戦のドイツ陸軍において、MP44(実際は突撃銃)は、分隊の中の
位置ずけなんですが、MP40の代わりに分隊長が持ったでしょうか、それとも
その分隊のライフル兵すべて(普通は、Kar98Kボルトアクション小銃を持ってる)
がすべて持っていてのでしょうか?
ご存知の方いらっしゃらないでしょうか。

バウアー中尉

  1. 最初に東部戦線の包囲陣に空輸された時から集中使用されたはずですし、下士官以下のクラスが所持している写真もありますので当初の構想通り使用された例も十分あると思いますが、バウアー中尉のおっしゃるような事例と思われるような写真もありますね。ただ、98kと混在していても、必ずしもStg44所持者が分隊長であるとも思えない例があります。その他アルデンヌの写真等にはよく登場するのですが、この時の進攻部隊は自動火器なら敵味方問わず何でも持って行ってしまう傾向にあるようで正規の配備の参考にはならないような気もします。
    BUN

  2.  質問への回答とは少し違いますが・・・
     すでにご存じの事柄だったら申し訳ないです(;^_^A

     MP44の前のMP43は、ヒトラーによって2回にわたり開発禁止の命令を受けています。1回目はハネエル社とワルサー社の試作完成後、2回目は1943年のMP43完成後です。
     んが、中止命令が出たにも関わらず、MP43の製造は細々と続けられ、東部戦線に送られていたようです。
     その後、1943年末か1944年初頭に、一転してMP43の量産許可がおりました。ヒトラーは東部戦線で功績のあったヴィッキング将軍ら3人に叙勲を行い、この時に彼らの要望を訊いたところ、全員がMP43の量産と支給を求めたそうです。ヒトラーはここで初めてMP43の製造が続けられていることを知ったようです。ヒトラーはすぐに陸軍にMP43に関するレポートを提出させ検討、優先権まで与えて量産許可を出しました。こうして生まれたのがMP44というわけです。
    ブラック・タロン

  3. 補足、
    MP44−−>別名 Sturmgewehr 44(突撃銃44)これですね!
     http://www.geocities.com/Augusta/8172/panzerfaust7.htm#stgw44

    すでに、ブラック・タロン氏が述べられた事を含め色々と解説されています。
    ・Hitler が頭初反対したのは、小銃弾の供給が従来の7.92mmx57の他に、
     この7.92mmX33短小弾の2系統になるのを嫌った為の様です。
     これはそれなりに理にかなっていると思います。
    (戦後に米軍がこの過ちを犯すわけですから−−。というかすでに米軍は30−06と.30M1カービンの2系統になっていた。)
    ・短小銃弾の割には、その照準器は100−800mまでのアジャストサイトが付けられていた。
    ・以外な欠点は、金属製のハンドカードがすぐ熱くなるので、大抵弾倉を掴んで銃を保持していた。
       −−−−など。

    軌跡の発動機?誉

  4. >ブラック・タロンさん 軌跡の発動機?誉さん
    補足説明ありがとうございます。

    >BUNさん
    ありがとうございます。やっぱBUNさんおっしゃるように写真集は
    手元に持ってたほうがいいんですね。よくは分かりました。

    思いつきの原点は、1944年のMP40の生産が少なくなり、ベレッタ
    (って書いてありました。イタリアの工場で作っていたのもだとおもいます。)
    の生産数が増えており、しかしながらこのサブマシンガンは、某書(昔の本だ
    けど・・)によると主に空軍で使っていたそうで、また写真にも見覚えが無く、
    何しろイメージとしてですが、MP40はドイツ歩兵のシンボルのように感じ
    ていたので以外でした。その分MP44の生産が前年のMP40並にまで生産が上げられ
    (もっと少ないかなと思っていました。)どうなってるのかと考えた次第です。

    バウアー中尉


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