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878 旧日本軍の食糧で「牛缶」というものがありました。コーンビーフのような牛肉の缶詰だと思うのですが、具体的にはどのようなものでしょうか。また、いつ頃から生産されたのか、標準的な保存期間や太平洋戦争中の生産量が分かれば教えてください。よろしくお願いします。
クラマ

  1. いまでもある、牛肉の大和煮の缶詰がそれです。
    まなかじ

  2. 手元の資料によれば、陸軍における牛缶の採用は明治27年です。牛缶はそれまでの鰹節に代わる携帯口糧副食として用いられたようです。牛缶は海軍が陸軍に先んじて採用しており、陸軍は海軍の指導を受けた後アメリカに醤油を送りそこで生産された牛缶を大和煮と命名したとのことです。国内で初めて大和煮式牛缶を陸軍から受注したのは広島の山陽堂と長崎の松田という業者で、内容量は40匁(携帯口糧用)と2斤(大行李用)だったようです。その後、業者は急増したらしいです。陸軍糧秣廠宇品支廠では牛缶を製造しました。
    残念ながら保存期間や生産量は分かりませんでした。
    チャッピー

  3. 教えていただき有難うございます。
    クラマ

  4. http://www.nifty.ne.jp/forum/fcuisine/warmazu.htm
    こちらのHPに、WW2当時の携帯口糧について載っています。
    このHPによれば、牛缶は、戦場においては貴重品で、兵隊の口にはあまり入らなかったようなことが書いてあります。
    たしかに戦記物などを見ると、牛缶を食べたことよりも、「現地調達」の話を見かけることが多いようなのですが、やはり日本の生産力や輸送力が戦場の規模に追いつけなかったのでしょうか。
    碩学のご意見をお聞きしたいところです。
    SAW

  5. 牛肉の大和煮ですか!私も愛食しています。
    以前、丸で読んだ記憶があるのですがあまり兵隊さんの評判は良くなかったようです。
    のらくろの漫画なんかにはうまそうに食べる描写があったりした(はず)のですがこれなんか
    は、陸軍省あたりの宣伝だったかもしれません。
    現在も流通しているところから、戦後にかなり改良された(味付けなんかが)のではない
    でしょうか。

    鬼塚山

  6. >4 やはり日本の生産力や輸送力が戦場の規模に追いつけなかったのでしょうか。
     薄学ですが、当時の日本軍は作戦そのものが「現地調達」を前提としたものが多かったと聞いております。むろん、生産力や輸送力を軽視する体質もあったでしょう。見方にもよるでしょうが、私は「生産力や輸送力が戦場の規模に追いつけなかった」というより「作戦そのものが生産力や輸送力を軽視していた」と思います。

    epitaph

  7. うーん。
    米軍には、食肉処理部隊のような部隊があり、組織的に家畜のと殺や、
    解体処理を行っていたようなのですが、日本の場合は「現地調達」
    よくて「米させ持たせれば、兵隊が飯盒炊飯するだろう。」という
    あくまで、「現場の兵隊まかせ」の思想だったのでしょうか。
    SAW

  8.  以前にも議論があったと思うのですが、「作戦そのものが補給を軽視」していた、というのはどうかと思いますよ・・・「結果的にそうなった」というのであれば、まだ説得力がありますけれど。で、「結果的にそうなった」という例は別に我が軍ばかりではなくて、例えばガダルカナル島の米軍にもあったし、ドイツ軍にも見られたんじゃないですか?(って、ドイツ軍の事はよく判らんですが)

     ソロモン近海で何故あれだけの海戦が行われたかを考えれば、決して「補給を軽視」したとは言えないと思いますよ。
    tackow

  9.  いや、私も「すべての作戦で補給が軽視されていた」とは思ってません。いずれにせよ、この件に関しては私も勉強不足なので、これ以上の発言はひかえます。
    epitaph

  10.  一般的に牛艦よりも魚缶の方が多い気がするのですが。
    私の読んだ限りでは、鮭、カニ、鱈、ニシン、マグロ(シーチキンみたいなものらしい)などがよく出てきます。庶民にはすき焼きぐらいでしか口にしない牛肉よりも、魚介類のほうが馴染んでいたという気もします。
     もっぱら北洋漁場で作られた缶詰ですね。

    ペンギン


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