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989 はじめて書き込みます。
二次大戦時の、ソ連陸軍兵士への糧食についての規定はどうなっていたのでしょう。
米軍の様なレーションは勿論なかったでしょうし、
はたまた規定はあってもソ連ですからまともに厳守されていたとも思えませんが。

飯盒ですら他国の装備より単純なシロモノで、しかも持ってない兵も多かったろうし、
フィールドキッチンが無いときにはどうしていたのかな。
赤星屋

  1. ラーゲリの配給資料は持ってるんですが、まさかそんなんじゃないだろうし(笑)。
    赤星屋

  2. 下の模型店のサイトの「店主雑記録」バックナンバー中の「フィールドキッチンの部屋」に少し書いてあります。
    この店長が話されたこといわく(図面引かれていたところだった)、

    私 「ソ連軍の給養て、ひどいイメージがあるんですが」
    店主「アメリカ軍と比べればどんな食事も貧弱で、日本軍と比べればどんな料理も   フルコース」(大意)

    こういう洒落た物がないときは、「大地の子」で黒パンを雑嚢に詰めるとか、鉄兜でカエル煮て食べるんだ、とか読んだ覚えがあります。
    ところでラーゲリの規定て、どのようなものなのでしょうか。

    バトゥ

  3. ↑、「大地の子」っていうのは小説じゃなくて、ソ連兵のしぶとさのことを指して使っていますので。カレルだったっけ。
    バトゥ

  4. 私は何をやっているのだ、このサイトです。

    http://www.ann.hi-ho.ne.jp/maxim
    バトゥ

  5. わっ、ありがとうございます。大変参考になります。
    メニューを見ている限り、とりあえず不味くはなさそうですね。

    日本は海軍の食事が非常に旨そうですが、ソ連海軍の食事はどうもダメそうなイメージがありますねぇ。
    ところで、ラーゲリの食事ですが『ラーゲリ 強制収容所註解事典』(ジャック・ロッシ 恵雅堂出版)
    によれば、いろいろと細かく規定はあるのですがスターリン時代の一日分基本給食量は
    パン450g、砂糖7g、かゆ80g、魚132g、肉21g、野菜500g、植物油9g、穀粉6g
    となっています。

    もちろん地方や時期によって変動はあったでしょうし、どんどんピンハネもされていたでしょう。
    ソルジェニーツィンを読んでいる限りでは、21gの肉なんて出てきませんし。
    赤星屋

  6. こちらこそ、ありがとうございました。本も取り寄せて読んでみます。
    バトゥ

  7. 30年代、ウクライナで農民を飢餓に追いやってでも食糧を強制徴発し、工場労働者に優先配分した国ですから、軍隊は工場以上に食糧が優先支給されていたと思います。また、大戦時には軍隊への糧食等の補給は、民間人や後方への補給を多少犠牲にしてでも最優先で行われていたわけで、前線部隊への補給・支援活動のノルマを達成できない補給担当者は国家反逆罪に問われるわけだから、彼らも必至で働くしかない。とにかく軍事最優先の国だから、糧食を含む軍事関連物資の補給は割と能率的に行われていたと思います。そうでなければ、大戦中の膨大な規模の軍隊を維持し独軍に反撃することはできない。
    もちろん、大戦中と言っても、時期や地域、さらには部隊・階級により糧食の支給内容・量はかなりの違いがあったと思いますが、ラーゲリや農村よりも格段にましな糧食が支給されていたのではないかと考えます。その分、農民などが犠牲になっていたわけだが。
    アリエフ

  8. また、独ソ戦は、穀倉地帯のウクライナを含むソ連領内の主要農業生産地帯で展開されており、開戦前からこの地域の各地に軍用の物資補給拠点を設け、周辺の農村から徴発した食糧を大量に貯蔵していたはず。農業の強制集団化によりソホーズやコルホーズが各地に設けられており、国の命令で農民を軍隊に幾らでも協力させることができる。最も、大戦中はそれでも足りず、アメリカから食糧支援を受けているわけだが、シベリアのタイガのど真ん中に造られたラーゲリに比べると、食糧補給は格段によかったと思われます。
    アリエフ

  9. >7・8、マクロレベルからの視点ですね、『第二次世界大戦歴史地図』原書房にも、「戦争末期、ソ連は1000万の軍隊に供給するのに十分な食料を生産していた。しかし、田舎では孤児が群れをなしていた」みたいなことが書かれていました。
    バトゥ


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