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1172 歩兵が着用するゲートルですが、どうも弱小国の装備という感じがします。(私の偏見かも知れませんが) 
装着し難いように思いますが、あれは、単にズボンのスソをとめるだけなのでしょうか? それともスポーツ選手のサポータのような役割もあったのでしょうか?
また、旧ドイツ軍はブーツですが、旧日本陸軍ではゲートルを採用していたのは予算的な理由なのでしょうか?
ご存知のかた、教えてください。
はしもっちゃん

  1.  レスがつかないので一般的な話を。

    「良い靴の条件」とは、
    丈夫なことと、足を疲れさせないことです。
    靴が壊れたり足にマメができたりすると、
    最悪の場合、行動不能となります。
    重い靴も疲労につながります。

    贅沢を言えば「蒸れない」ことも重要です。
    「蒸れ」はそれ自体が不快である他、
    不快な臭いの元となったり、水虫になったりします。

    他にも色々と思いつきますが、
    例えば日本の夏のような高温多湿の環境下において、
    ドイツ軍が使っていたような長靴は決して性能がいいとは言えません。

    どんべ

  2. 巻脚絆(ゲートル)は、日露戦争後に服制改正が行われて全軍に行渡ったのですが、当時としては最新の被服で、後の第一次歐州大戰でも、英軍・仏軍をはじめ列強の歩兵は巻脚絆でした。(東方寄りのドイツやロシアの歩兵が半長靴という理由は、私には分りません)第二次大戰になっても仏軍以下、採用国は従前通りの巻脚絆。
    弱小国の装備と見えるのは、半長靴の方が見た目が恰好いいからでしょう。
    どうしても (^^)
    巻脚絆の機能は、第一に脚の脛を保護することにあり、ズボンの裾を留めるのは第二の機能で、それは長い軍袴を穿いていなくても、旧英領インド兵が半ズボンの裸の脚に巻いていたのを見ると推測がつきます。
    旧陸軍では、半長靴(ブーツ)は、乗馬本分者に専ら支給されたのですが、巻脚絆だと乗馬中にほどけて事故になる可能性があるので使わず、下士卒といえども全員が半長靴でした。(歩兵でも佐官以上と副官・一部の本部勤務者は乗馬本分)その後、航空機搭乗員や戦車乗員も半長靴で登場しますが、これも同じ理由からだと推測します。
    乗馬本分ではない将校・准士官・曹長も、いつ乗馬本分者の代理をすることになるか分らないので、予め長靴や革脚絆を着けていたりしました。
    巻脚絆は、うまく巻かないとズルズルほどけるので、ちょっとコツがいります。けれどブーツだと磨くのに手間が掛って初年兵泣かせになるし、一長一短ですね。
    安価だから存続したのかどうかは、その話を読んだことはないので分りません。陸軍經理團雑誌あたりに載っているかもしれません。巻脚絆について、あまり文句を聞かないので、使い勝手がよかったのか、より機能の良い代替物がなかったのか、だと思います。戰闘になると、このほうが編上靴より動きが良いと、兵隊さんは「地下足袋」になってしまったのだから、それから推して考えるとブーツ採用の可能性は多分なかったでしょう。以上ご参考まで。
    あるめ

  3. 訂正: 上記「陸軍經理團雑誌」とあるは誤記、「陸軍主計團記事」に訂正します。
    あるめ


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