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旧日本陸軍の重機関銃について教えてください。 30連の保弾板で横から給弾するようになっていますが、30発撃ち終わると改めて保弾板を差し込むのでしょうか。それとも、前の保弾板が残り少なくなればガイドにそって次の保弾板を差し込む事により、途切れなく連射できるようになっているのでしょうか。 gsz |
あかがしら
1式を除く各重機関銃は、銃身基部に空冷式の放熱筒を取り付けていますが、38式の放熱筒は真鍮製の削り出しで放熱効果が良くなく、38式機関銃を使っての連射実験では、1,050発ほど撃つと銃身先端部でも煙草に火が付くほど過熱したそうです。3年式と92式は多数の鉄製円盤を用いた放熱筒となっていますが、これの放熱効果のほどはデータ不足でわかりません(1式は軽量化のため放熱筒を思いっ切り省略している)。いずれにせよ、連続射撃は銃身への負荷が大きいので、間を置いての給弾が安全ではあります。なお、92式重機関銃は3発点射または5発点射を基本としていたそうです。
ちなみに、軽機関銃ならガイド機構に似たものを備えた銃がありました。11年式軽機関銃(口径6.5mm)は、38式歩兵銃用の5発ストリッパー・クリップを6組ホッパーに重ねて入れて給弾する独特の機構を持っており、下のクリップから順に送り込まれていくようになっていました。あと、11年式の後継となった96式軽機関銃(口径6.5mm)は上方マガジン給弾ですが、これの30発マガジンは全弾撃ち尽くすと自動的に落下する仕組みになっていたそうです(99式はどうだったの?)。
ブラック・タロン
保弾板を差し込む様ですね。
因みにこの映画、帝国陸軍の歩兵火器の映像がよく見れますので、御興味が有る方は一度御覧あれ。
大塚好古
しかし、帝国陸軍は、あえて断続射撃をさせる為に(銃身冷却の為)、30発保弾板としました。
では、どうしてでしょうか?
>2.ブラック・タロン さんの解説−−−おしいです。 肝心な事が抜けています。
帝国陸軍の重機関銃は皆、構造上、戦闘射撃中に銃身交換が出来なかったので、銃身をいたわる必要が有ったのです。
やっと戦闘射撃中銃身交換(クイックチェンジ)が出来る様になったのは、1式重機関銃からなんです。
あの銃身外観形状は、軽量&コストダウン構造の他にも、その意味を持っていました。製作数は微々たる数の様ですが!
帝国陸軍の重機の歴史として−−−ホチキス機関銃、そしてそれの日本版38式機関銃は、
最も初期のガス圧利用方式機関銃て゛、ガスシリンダーが銃身に付属している為、銃身交換が困難でありました。
(当時、銃身交換を可能とする構造まで、思いつかなかったのでしょう。)
その後の3年式、92式 両重機は、銃身交換可能な構造にしましたが、あくまで、後方の整備段階で
交換可能な程度で、戦闘中は事実上困難でありました。
(戦闘中、2人掛りで銃身を、放熱筒より前方へ抜き出して交換なんかしてられません)
そういう意味では、チェコ機銃を真似た96式以降の軽機関銃の方はクイックチェンジがとりあえず可能ですので、
戦闘的ですね。 実際、帝国陸軍は、「戦闘部隊は軽機。 陣地、後方に重機。」という機銃運用であった様で、
重機の銃身交換不可&30発保弾板でも、それほどデメリットに感じなかったのでしょう。
ちなみに、仏オリジナル ホチキス機銃M1914 には、30発保弾板(30rd Stripと言う)
を無理やり繋げて240〜250発ベルトタイプにした物が存在する様です。
軌跡の発動機?誉
>30発撃ち終わると改めて保弾板を差し込むのでしょうか。
保彈板ノ端末ニ鉤状ノ突起ガアリ、全彈射耗シナクテモ、コレニ次ノ保彈板ニアル端末ノ突起ヲ引ッカケルコトデ、連續給彈ガ可能デス。
東部雛鳥部隊囀隊
「機構面からは連射可能だが、運用面から連射は制限されていた。」と解釈しました。
gsz
3年式重機関銃の銃身交換に要する時間は30秒と手元の資料にあります。今の汎用機関銃の銃身交換の手早さを考えると、30秒という時間は戦闘下では長すぎますかね。
そういえば、38年式〜92式に至る旧陸軍の重機関銃は、発射速度が450発/分と低く抑えられていますが(1式は550発/分)、これも銃身過熱対策では?と手元の資料にありました。毎分200発以下であれば銃身交換の必要は生じなかったともあります。
ブラック・タロン
みなと
30秒間でも、私はガマン出来ません。
>8.−−−M2 キャリバー.50も、2人がかりで2〜3分を要し、ヘッドスペース・チェックを
必要とするところが似ていますね。 むしろ、”不用意に銃身交換するな”の指示がある様です。
〜?誉