QQCCMMVVGGTT
1220 はじめまして。たかおといいます。
旧日本軍の短機関銃についてお教え下さい。
試製2型短機関銃は結局採用されなかったのでしようか?この間、友人宅の雑誌のコミックに描かれて
いましたが(多分100式ではないと思います)実際に配備されたのでしょうか?
また陸軍での名称ですが、制式には「短機関銃」でしょうか?それとも「機関短銃」が正しいのでしょうか?
日本語の資料ではどちらの名称も見うけられます。
よろしくお願いいたします。
たかお

  1.  旧日本軍のサブマシンガンについては、陸軍は『短機関銃』、海軍は『機関短銃』と呼んでいたようです。確かに資料によって記述がまちまちで判断しにくいところがありますね。

    >試製2式短機関銃
     以前、床井雅美氏の講演会を聴講したとき、試製2式短機関銃についての話があり、中国大陸で相当数の試製2式が発見されたと聞きました(挺数等詳細は忘れてしまった(;^_^A)。少数が試作された程度とみられている試製2式短機関銃ですが、床井氏の話が事実なら、制式化までは至らなくともある程度の数が作られて試験的に部隊に送られていた可能性はあるでしょう。
    ブラック・タロン

  2. 初めの頃(大正時代〜昭和初期)は「自動短銃」と呼んでいたようです。
    その後、機関短銃とか短機関銃とか呼ばれるようになったわけですが、
    どちらが正しいのか私にはわかりません。
    ブラック・タロンさんが仰っているように海軍・陸軍で使い分けをしていたという話も聞きますし、
    逆に「短機関銃」は戦後になって作られた名称だ、と言う人も居るようです。
    資料関係では「機関短銃」の呼び名の方が多いように見受けられます。

    最初の国産SMGは東京造兵廠で設計され、トンプソンSMG(1921?)とベルグマンMP18/Iと比較試験されました。
    その国産SMGの主な特徴は「銃身が後退するショートリコイル方式」「50発装弾のドラムマガジン使用」です。
    その後、南部銃製造所でもいくつか試作され試製2型の元になったものや、かなり特異な形状をしたタイプも作られました。
    試製2型は太平洋戦争末期に過去の試作銃を改良して作られたものです。
    全体を短くしたタイプなども作られたそうです。



  3. >1.資料によって記述がまちまちで〜
    ・陸軍銃砲の大家、”銅金義一大佐”の著書や陸軍兵器関係の書物(共に戦中の発行)では、
     ”機関短銃”或いは ”自動短銃”という呼称を使用しています。
     たかお さん 御存知の銃は、制式名 ”100式機関短銃”です。

    ・現在の次A隊では、逆に”短機関銃”と呼称しています。

    ・南部式試製2型機関短銃−−−
     100式機関短銃の開発過程での試作品で、当初 6.5mm専用弾の物が作られました。
     後日(戦後)、8mm南部弾の物も発見されたそうです。  構造的には、フィンランド 
     ”スオミ”サブマシンガンを真似た様なエア式緩衝器が特徴です。分解写真、他、よそ様のHPでどうぞ!

      http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage62.html

    ・中国大陸で発見された件
     その際は、タロンさんと同席していましたが、床井氏のお話については、はてさて私は解りません!?

    軌跡の発動機?誉

  4. >4
     手元の資料(上田信先生の著書)に、空気圧バッファーと50発マガジンを備えた『南部式機関銃』なる試作サブマシンガンの絵がありますが、これは試製2式とは別物のようです。旧チェコスロバキアのVz24に似たスタイルの銃です。
     試製2式はブローバック方式ですが、ボルトがレシーバーユニットに固定されており、射撃するとレシーバーユニットがバレルジャケットごと後退するという自動拳銃のような機構を備えていたそうです。
     上で誉さんが示されたURLのページは、試製2式と他の試作銃を混同している可能性も考えられます。もっとも、試製2式等の試作品については元々資料が乏しいので、正確なところがわからないのはしょうがないですね(^^ゞ
    ブラック・タロン

  5. >ブラックタロン様 秋様 誉様
    早速のご回答ありがとうございます。
    このページはいつも楽しく拝見しております。今回初めての質問でしたので内心ビクビクしており
    ましたがそれ以上に皆さんのご親切なお気持ちに際し感激しております。
    でも、本当にみなさんの知識の深さに驚愕しますです。
    「2型機関短銃」、大量生産されていたんですね。驚きです。
    制式名称はやはり「二式機関短銃」だったのでしょうね。以前年上の方に日本兵器図鑑(ていう名前でしたっけ?)
    という本を見せていただいたときに初めてこの銃と名称を知りました。
    でも数年後に友人から「それは2型が正しい」といわれて混乱してました。
    ぼくもあまり本は買えませんが資料を集めたいとおもいます。

    たかお

  6. >たかおさん
    >制式名称はやはり「二式機関短銃」だったのでしょうね。
    私は2型と書いてしまいましたが、どうやらそのようです。
    『試製2号→試製1型→試製2式』と言う経過をたどっているようです。
    ややこしいんですね・・・。



  7. またまた、お邪魔します。
    誉様のご推薦のHP凄いですね。知らない武器ばかりでした。
    二式機関短銃ですが、以前僕がみせてもらった本にもこの写真があったように思います。
    でもやっぱり名称が違うんですね!う〜んっ!!
    まったくの謎の機関短銃ですね。
    たかお

  8. ええとですね。私の手元にある『世界中奉仕』もとい『世界銃砲史』(岩堂憲人著、国書刊行会)によると、百式短機関銃の試作品には1号銃から3号銃まであり、まず昭和五年に一号銃が8mm南部弾、2号銃が6.5mmで試作され、昭和十二年に8mmの1号銃が有望と結論が出たそうです。
    その1号銃が騎兵学校に送られ、そこでの見解を元に改良された3号銃が作られ、百式として制式化されたと書いてあります。
    試製2式短機関銃はこれらとは別です。米軍の記録では進駐後に名古屋造兵廠で発見されるまで存在を知らなかったとのことです。日本側の記録は逸失しているそうで、「生産数も多分数十程度」としか書いてありません。「いずれにしても試製銃で終わったのは確実で、日本側の呼称も試製がつけられたままであった」のだそうです。
    石垣

  9. それから誉さん紹介のサイトの「二型」の写真は、世界銃砲史では試製2式短機関銃として説明されています。
    あのサイトにある一〇〇式に座を譲ったと言う記述からすると、世界銃砲史で言う2号銃に該当するようですが。どっちが正しいのでしょうね。
    石垣

  10. 諸説色々!  本当かどうか? こちらのHPも見てみましよう。

      http://www.hx.sakura.ne.jp/~troll/jyukahou/gun_hgsmg.html

      http://su.valley.ne.jp/~guns/    WWIIの小火器をクリック

    私的には、100式開発時に、一度は不採用になった2号銃が、口径8mmとして復活した物が、戦後発見され、
    これを”試製2式機関短銃”と呼ぶのではないかと考えますが!!

    〜?誉

  11.  手元の資料(兵藤二十八氏著書)によれば、日本陸軍は昭和5年に2案の試作サブマシンガンを完成させています。第1案はマガジンをグリップ下部から貫入装填するUZI等と同じ形式で、上のレスにある『南部式機関短銃』であろうと思われます。第2案はマガジンを左側面から装填する形式で、これを原案として昭和14年に試作第3案が完成、一部改修されて翌15年に100式機関短銃となったようです。口径についても、6.5mm弾(詳細不明)、7mm南部弾、7.7mm弾(詳細不明)とテストされた末、8mm南部弾に落ち着いたそうです。なお、試製2式については兵藤氏の著書には記述されていません。
     この陸軍のサブマシンガン開発で何とも笑えるのは、最初から小便弾としか思えないような小口径弾をテストしていることや(最終的に落ち着いた8mm南部弾ですら軍用拳銃弾としては小便弾の感は拭えない)、昭和5年に試作を完成させてから結論までに7年、そこから100式制式化までにさらに3年もかかっていることです。その100式は、銃腔内をクローム・メッキしたり、タンジェント・サイトや着剣管(共に初期型のみ)を備えるなど、粗製濫造の代名詞みたいな当時のサブマシンガンの中にあってえらく手の込んだ銃でした。陸軍のサブマシンガンに対する認識不足の表れなのでしょうか。

     試製2式は『少数が試作された』『銃身長の違う2種類のモデルがあった』等々のハードウェアに関する情報があるだけで、登場年代について推定できるものは名称以外何もない状態です(少なくともわしの手元では(;^_^A)。ただ、兵藤氏の著書と照らし合わせた限りでは、試製2式の構造は昭和5年の試作銃2案とは異なっているので、100式登場後に新たに設計された銃である可能性が高そうです。また、一番上でわしが書きましたが、試製とはいえ多少量産された形跡が見られるとの情報もあります。

     それにしても、日本軍の国産サブマシンガンというのは、書籍やサイト等によって書いていることがバラバラで楽しいですな(笑)。それだけ残存資料が少ないということなのでしょう。来年以降、また床井氏にお会いする機会があれば、酒の席でぶつけてみたいネタですな。それまでわしが覚えてればですが(爆)

    余談:岩堂憲人著の『世界銃砲史』、銃好きとしてはぜひ欲しいんですが金がない(T^T)
    ブラック・タロン

  12. ウエスタン・アームズ社長の国本圭一氏が実射経験有ると聞いたが子細不明。
    Gun誌

  13. みなさん色々とご教授ありがとうございました。みなさんのご親切に深く感謝いたします。
    >ブラック・タロンさま
    床井先生にお会いされた際にはよろしくお願いいたします。
    >Gun誌さま
    稼働銃がまだあったのですね?実射ってゆうことは米国?中国?あたりでしょうね。

    たかお


Back