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1683 長距離を踏破する歩兵隊はでっかい背嚢を担いでいますが
戦闘時にはあれはどうするのでしょうか?
防弾着がわりに担ぎっぱなしなのでしょうか?
それとも、パッと外してすばやい動きをしやすくするのでしょうか?

Poket

  1. 行動中にいきなり敵と交戦状態に入ることもあるわけですから、このような場合には担いだまま戦闘を行なうのが普通でしょう。携帯食糧や予備の弾薬など入れた背嚢を外して敵に見つからない所に隠す暇も無ければ、交戦の後、背嚢を置いた所に戻って来れるかもわからない。背嚢を敵に取られてしまったらたまったものではないし。
    アリエフ

  2. 場合によってはパッと外す事もアリです。
     私が所有しているベトナム戦争時の米軍の一部の背嚢や南アフリカ軍の背嚢には即座に装備を解除できる機能がついています。これらは不意の敵襲を受けた場合に離脱行動の妨げとなる巨大な背嚢を放棄し、速やかな敵との隔離を目的としたものです。
     なお、背嚢を放棄した兵士はすぐにヘリなどで回収される事が前提なので、ヘリによる兵士の回収システムが確立されていないと駄目です。
     (ここらへんは特殊部隊を扱った映画などでよくある「敵地に長躯侵入した部隊が敵と不意に遭遇し慌てて離脱戦闘をしつつヘリに救出を依頼する」シーンを想像していただければいいかと)
    ジョン・ウェイン

  3.  第二次大戦中のドイツ軍の場合、毛布やコートなど当座に必要のないものは段列の馬車が預かるわけですが、兵士の荷物を預かる段列(段列には何種類もありました)は連隊レベルでまとまって後方に下げられていました。ですから急に寒くなったりすると、困ったことにもなったようです。

    マイソフ

  4. 歩兵は戰闘時には原則として背嚢を外し、後方に纏めて置いておきます。これはナポレオン時代の昔から、そうしている様子で、トルストイ「戦争と平和」に露軍歩兵隊が突撃するに際して、背嚢を後方に置いて纏めておく描写がでてきます。重い背嚢を担ったままでの銃劍による白兵戦や一斉射撃は兵の動作が鈍くなるからです。背嚢は、もともと大行李(荷駄)に積載したり、行軍路上に順次置かれる野戰倉庫に蓄積しておくべき数日分の糧食を個人に担わせて、素早い柔軟な(時には敵の虚を突く)行軍を可能にした道具なので、戰闘には邪魔だったのですね。
    日本陸軍もそれ式ですが、別段にどの場合に背嚢を外すと云う規定はなく、隊長の命令で適当に処置していたようです。従って、草木で偽装した背嚢を背負った斥候兵もいるし、背嚢なしで肩から斜め掛けした雑嚢に携帯口糧や鹵獲品を突っ込んで、身軽に戰闘に及ぶ兵隊もいるのは、映画や写真でおなじみです。
    あるめ

  5. ふるーい話ですが、カエサル著「ガリア戦記」では、「○個コルホス隊をもって敵の追撃にあて、残りを荷物の守備にあてた」という記述が散見されます。何時の時代も基本的な事情に変わりはないようですね。
    居眠り将軍

  6.  第一次世界大戦のころまで、ひょとするともっと後まで、陸軍軍人にとって最高にすばらしい見物は、敵兵の背嚢であると言われたそうです。

     また騎兵が追撃戦で敵歩兵にサーベルで切りかかる場合、「後ろから背中を突くのは背嚢が邪魔、真上から切りつけるのは頭なら円筒帽(シャコー)、肩なら肩章(エポレット)が防ぐ、従って追い越しざまにバックハンドで顔に切りつける」のだそうです。(盲目の乞食が多いのはこの所為とか)

     外すのが原則だろうと思うのですが、これで言うと背負ったまま戦闘する場合も多かったのではないかと思います。

    タンジェント

  7. 済みません。前文第2節、ナポレオン時代くらいの話ですね。補足します。
    タンジェント

  8. どうも皆さん、ありがとうございました!!
    なるほど…。
    基本的に昔から荷物は置いていくということは変わりないんですね…。
    たしかに重そうだし(汗)
    盗まれないように名札をつけておかないとダメですね(笑)

    Poket


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