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1745 素人です。聞いていいんだろうか(汗)と怖々とカキコしています。
明治27年発行の版画、「平壌激戦落城之図」を購入しました。それに描かれている日本兵は草鞋履きです。指揮刀を振るう騎乗の野津陸軍中将も黒足袋に草鞋です。
絵が間違っていると考えてよろしいですよね? ほんとうは軍靴なり乗馬ブーツなりを着用していたんですよね? ご教示いただければ幸いです。
紙魚

  1. 軍装のことは守備範囲外なのですが、分かる範囲で。

    当時、軍用草鞋が使用されていたことは確かなようです。
    下のHPに、日清戦争当時「在外兵士のために、一戸につき、軍用草鞋を二足以上、陸軍恤兵部に寄付する」との記事があります。
    http://www.bl.mmtr.or.jp/~k-hideya/kinenn.htm

    スパッツに黒足袋に草鞋の兵士の錦絵はほかにもありあります。
    http://mdat.ff.tku.ac.jp/korea/N119.HTML
    このサイトには日清戦争の錦絵が多数あります。画像が小さく確認が難しいのですが、士官はブーツ、兵士はスパッツに靴が多いようです(ヒールがはっきり描いてあるものは靴だとわかるのですが、一部は黒足袋かも知れません)。

     なお、私の手元にある本に載っている当時の司令部や将校等の写真では、確認出来る範囲ではみなブーツを履いています。ただしこれらは充分準備して撮影した記念写真ですから、戦闘時の真の姿は錦絵に描かれている可能も高いでしょう。

     あとは軍装史に詳しい方にお願い致します。
    カンタニャック

  2. カンタニャックさま
    ご紹介いただいたリンク先に行ってみました。確かに草鞋履き! 目からうろこでした。他の東京経済大所蔵平壌戦錦絵で足元が確認できるものは靴。絵師の描き癖かとも思いましたが、同じ絵師が描いた牙山戦錦絵では日本兵は靴。戦場で靴と草鞋をどのように履き分けていたのか興味津々です。(野津道貫は足袋&草鞋が好きだったのか?)
    何よりご親切にレスをくださってありがとうございました。(深々)
    紙魚

  3. うろ覚えで申し訳無いんですが、旧軍の軍装の中に足袋があった様に覚えております。>第二次大戦中もそうではなかったかと記憶。
    ooi

  4.  地下足袋はマレー作戦時に英兵にかなり目撃されていますね。「足音の立たないゴムの靴」とかいう記述がありますが・・・・・・・。
     むしろ軍靴よりも歩きやすいとか肉刺が出来にくいとかそういう理由で好まれたのではないでしょうか。
    居眠り将軍

  5. ooiさま 居眠り将軍さま ご教示ありがとうございました。
    日清戦争の頃ですと、足袋に草履こそ正しきもののふのいでたちなりと思っていた将兵がいそうですよね。そのような日本の伝統にこだわる足袋愛好派が軍に根強く残っていて、大正期に地下足袋が発明されると軍装に採用したのでしょうか?(笑)
    冗談はともかく、足袋&草履にもご指摘のような機能面で軍靴に優る点があったのですね。いろいろと勉強になります。
    紙魚

  6. ずいぶん前の「丸に」兵士が地下足袋を所持してたとの従軍記が出ていました。
    時期と場所は「第二次大戦中」の「大陸方面」だったように記憶しています。
    その記事によれば軽いからと地下足袋で行軍してると、装備の重みで足が腫れてしまい歩けなくなってしまったそうです。
    このようなヘマをするのは若年兵に多かったとのことで、古参兵が足を腫らした新品予備少尉殿に「土踏まずに部分に縄を巻いて歩くとマッサージ効果で回復が早い」と教えて感謝されたそうです。

    この記事を見るかぎりでは、地下足袋は軽装備での行動や、陣地構築などの作業時に向いているように思われます。
    登山靴や軍靴が一見歩きにくい重たく重厚なつくりになっているのにはそれなりの理由があるのでしょうね。

    尚、記事を見たのは20年以上前なので細部には記憶違いがあるかも知れません。

    SAW

  7. 「丸に」でなく 「丸」に  ですね。
    SAW

  8. SAWさま ご教示ありがとうございますー。
    いよいよ興味が湧きました。(妙なものにはまりやすい質です。(笑))当分、足袋&草鞋と軍靴の履き分けを、趣味で研究してまいりたいと存じます。
    紙魚


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