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1867 はじめまして。
第二次大戦時、東部戦線のドイツ兵はトカレフ、シモノフ自動小銃を鹵獲して使用していたといいますが、Gew41、43を含め、どの位の兵士が「自動小銃化」していたのでしょうか? もちろん戦場や状況によっても異なり、確かな数字もないのでしょうが。(どさくさの中で勝手に拾って使うのでしょうから)
つまりは頻繁に見られたのかどうか、です。用兵思想として分隊の主力が機関銃だったとしても、兵士としては心もとないと思うのです。(平原戦ならまだしも)
また西部戦線においてM1ガーランドを鹵獲することはあったのでしょうか。
新兵

  1.  資料が手元にないので詳細な配備状況まではわかりませんが、制式年が1943年であることや、元々ドイツ軍はGew43を狙撃銃として運用することを考えていた節があることなどからみて(この辺はここで何度も狙撃銃スレとして話題になってるのでご参考に・・・)、装備数は多くはなかったと思われます。

     どこの戦線か忘れましたが、鹵獲したM1カービンを手に戦闘するドイツ兵の写真を見たことがあります。武器弾薬の不足で切迫した状況では、鹵獲した米軍のライフルを使うことはごく自然なことと思われます。
    ブラック・タロン

  2. まず、ソ連軍もそれほど自動小銃化していたわけではありません。
    タンクデサントがPPShを多数装備していたことから誤解されがちですが、普通の歩兵(ソ連風に言えば狙撃兵)はボルトアクションの小銃で大戦を戦っています。
    そんなにたくさん拾えるものではなかったはずです。
    拾ったとしても今まで自分が持っていた官給武器を捨ててしまうのは軍規違反ですから、普通は大隊本部を通して鹵獲品として後方に送られます。
    また、ドイツ軍の場合、鹵獲兵器はいったん後方のデポに集められて整備の上、部隊に再配備するのが建前です。(自軍用のコードを割振ったりして、本格的にやります)
    これは補給の便を考えてのことです。また、交換部品が手に入りにくいので、よほどのことがなければ改造もなしに第一線の部隊に鹵獲兵器を回すようなことはしません。(ものすごく性能がよいとか、ものすごくたくさん鹵獲したという場合は、ドイツは自国で交換部品を作ったりもしてますが)

    また、分隊の主火力が機関銃ということは、訓練体系もそうなっているということであり、ドイツ軍歩兵分隊の小銃手は射撃戦においては機関銃を支援するものであって、機関銃が小銃手を支援するわけではありません。
    市街戦などの近接戦闘においては、華奢で壊れやすいセミオートの小銃(特にトカレフは弱かったと聞きます)よりもサブマシンガンや銃剣やスコップ、そして手榴弾の方が頼りになります。

    もちろん、個人の気分としては半自動小銃の方が槓桿操作式よりも心強いのは確かでしょうが、まとめて鹵獲したものは補給廠から公式に配布されますし、持っていた銃が壊れた、弾薬が無くなったといった理由でやむを得ず拾ったものを勝手に使ったとするなら、補給されてくる使用弾薬も違いますし、またその銃を長く使うというものでもなかったと思います。

    まなかじ

  3. ああ、なんかそれっぽい資料出てきた
    1941年にけっこうまとめて捕獲されてるんですね、AVSとSVT。ドイツ軍は数万単位の在庫を持っていたようです。
    AVSの方は使わなかったようですね、本家の赤軍の方でも性能不良で泣かされていたようですし。
    SVTのドイツ軍コードはSIGew259(r)、M1938とM1940は区別されていないようです。
    ただ、トカレフの方でもまだやや性能に不安があり、特に冬季の作動ガス圧不足からのジャムと、リムド弾薬(7.62X54R)をバナナ弾倉から給弾するというところからの給弾不良ジャムが多く、またやはり構造が華奢なこともあって、パルチザン対策用の後方警備部隊とか補給部隊や鉄道部隊などの後方勤務部隊が主な支給先になっているようです。
    ただ、42年夏は南方戦区で大作戦があったこともあり、北方戦区の前線部隊に回っている例があります。
    また、フィンランド軍へ回された分もあるみたいです。
    まなかじ

  4.  1944年の生産数字ですけれども、
    Kar98k 1,922,482丁 狙撃用スコープ 35,632基
    G.43 277,862丁 狙撃用スコープ 21,936基
     です。珍しいが目にしてもおかしくないくらいの数字ですね。狙撃に使われる割合はG.43のほうが明らかに高いのですが、それでも一割に達しません。ただし1945年にはG.43用狙撃スコープはもっと生産されていますから、比率もぐんと上がっています。

    マイソフ

  5. そうそう、西部戦線では米軍のM1カービンが人気だったそうです。
    サブマシンガンより射程があり、半自動で、しかも重量も軽いということで、こればかりは拾ったそばから使われるくらいにドイツ兵に好まれていたようです。
    しかも、米軍の下級将校が持っているだけですから稀少価値もあったりして、ますます人気沸騰と。
    M1小銃の方はそこまでの人気はなく、通常の手続きどおりに後送・再補給のルートに乗せられるものでした。

    蛇足ながら
    ドイツ陸軍は交換操作式小銃の更新を半自動小銃でやろうとしたことはありませんでした。
    もともと自動小銃の開発努力自体が熱心さを欠いていました。
    第一次大戦の塹壕戦の影響が尾を引いているのだと言われますが、本当のところはわかりません。
    とにかく、世界に冠たるMG34は分隊の機動に追従できるのだから怖いものはない、シュトルムトルッペンのMP18はこれまた世界に冠たるMP38で更新済み、火力の点では既に完璧。
    この両自動火器を支援するのが小銃手の任務である、下手に自動小銃なんかにしてジャムを起こされるよりは、泥だろうが埃だろうが雪だろうが絶対確実に作動するボルトアクションの方が良い。
    というのがドイツ陸軍兵器局の見解だったことだろうと(笑

    それが東部戦線での戦訓により、ドイツらしいというか何というか、戦争の真っ最中だというのに弾薬体系ごとそっくり更新という大がかりな、あのStG44(MP43/44)の計画へと一挙にシフトします。
    これなら市街戦だろうと野戦だろうと敵なし、しかも我が軍には世界に冠たるMG42がある、もはや勝ったも同然である。
    というのが心を入換えた兵器局の見解であったことだろうと(笑
    ドイツの用兵思想の中では半自動小銃というのは半端な存在だったわけです。
    まなかじ

  6. >3. SVT-1938、1940、スコープ付き1940に割り振られた独軍のディジグネーションは順にSIG. 258(r)、SIG. 259(r)、SIG. Zf 260(r)です。
    各バリエーションを総合するとSVTはかなりの数量が生産された様で、一説によると130万丁、但しソ連の兵器生産量の統計は非常に
    信頼しかねる数値が多く、80〜100万丁といったところが妥当な生産数ではないかと思います。また、1945年まで生産が継続された
    SVT-40の月間生産量のピークは1942年頃と言われており、独ソ戦の初期には相当数が鹵獲されているのではないでしょうか。
    (現在手許に資料がありませんが、DWJのバックナンバーあたりには記録が掲載されていたかもしれません。)
    いずれにせよ、かなりの生産量であることがお分かり頂けるのではないでしょうか。 ちなみにPPSh-41短機関銃の生産量は600万丁程度です。

    >4. 多分に同じソースの情報と思いますが、マイソフさんが狙撃用スコープとして挙げられた数字は、"Kar. 43 ZF"という項目の下の
    数字ではないでしょうか。 この"Kar. 43 ZF"とは、Gw Zf 4 / ZFK 43 スコープのことではなくスコープ付きで支給された狙撃用
    G/K. 43半自動小銃を示すのではないか、と考えています。 というのは1944年の生産量 21,936、1945年の3月までの記録31,499の和
    53,435をもって狙撃用G/K. 43の生産数と見る研究者が多く、また生産記録及びシリアルナンバーから推定したGw Zf 4 / ZFK 43
    スコープの総生産数はそれより3倍程も多い約15万とする報告があるからです。

    G. 41系列、G/K. 43系列の総生産数は、約54万丁と言われています。

    >5. WaAの方針については少々異論がありますが、現在資料が手許にありません。今度またゆっくりと。(笑)

    みなと

  7. 皆さんありがとうございます。
    ドイツ軍というと鹵獲兵器が多彩だという印象を受けますが、やはりKar98kの精度と信頼性の高さは兵士にも頼り甲斐があったのでしょうかね。市街などでの遭遇戦では短機関銃が効果的でしょうし。
    映画の中で米兵と撃ち合ってるドイツ兵にはとても勝ち目がないように見えます…


    新兵


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