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1881 日本軍の軍服について質問します。
@よく本に『将校には官給品は一部しか支給されず、あとは自弁で調達したなどとかかれていますが、その一部とはどこからどこまでを言うのでしょうか?
A兵用を将校用に改造した物(兵用軍衣→将校野戦軍衣、兵用外套→将校外套等)がよく見られますが、その場合官給品と見なされるのでしょうか。また、改造にあたり、許可は必要だったのでしょうか。
 以上二点ご教示下さい。
初年兵

  1. おっと、「自弁で調達した」の後に「』」が付きましたね。
    初年兵

  2.  軍服とはちと違うので余談までに。
     旧陸軍の将校・下士官は一部の兵科を除いて拳銃も自弁が認められていました(軍刀も?)。国産拳銃が割高で官給する余裕がなかったという事情があったようです。で、将校や下士官の大部分は小型軽量で信頼性の良好な外国製拳銃、特にブローニングM1910やコルト・ポケットM1903をこぞって買い求めたそうで、大戦中の陸軍造兵廠ではこれらの外国製拳銃用に.32ACP弾を製造供給していたほどです。
    ブラック・タロン

  3. 基本的には将校准士官の個人装備と食料は、全部自弁で、戰地で配給された物品は「貸与」ないし「買取」になると思います。(買取:隊の炊事から出た御飯を食べると、傳票が起されて、食べた人の給料からちゃんと差引かれたわけです)
    兵用の被服は買取ったのでしょう。改造は許可不要と存じます。異装に近いものでもOKだけれど、あまり奇抜だと、さすがに上官同僚から注意を受けたのではないでしょうか。
    もし官給品を支給されて、それを使用した場合は、あとで主計や兵器掛を相手に返納手続(ないし毀損亡失の届、買取手続など)をしないといけないと思います。けれど戦場では余り煩くなかったようですね。
    あるめ

  4. ご丁寧な解答ありがとうございます。
    「買取」なんてものが存在してたのですか。初めて知りました。

    初年兵

  5. 私の記憶だけで書かせていただきます。将校准士官は軍装・武装は自弁でしたが任官にあたり手当てが支給されたようです。戦争前の陸士出身者など現役の士官は正装・礼装まで調達しなければならず手当てだけでは足りません。不足分は月給より天引きされていたようです。従って軍装・武装手当は伝票上で処理されるもので、本人には直接現金が渡されるものではなかったようです。軍装・武装手当は予備役の士官である甲種幹部候補生出身者や准尉昇進者にも額は違いますが支給されたようです。戦争末期には大量の甲種幹部候補生が任官するので将校行李セット(士官用の軍装が一式入っている将校行李)といったようなものが大量生産され任官者に配給(伝票上で買うことにはなる)されたようです。これはオーダーでないお仕着せです。より末期にはその将校行李セットも不足し、やむなく兵服に将校の階級章を付けただけで前線に出征した士官も多数いたようです。武装(軍刀・拳銃)も間に合わなく官給品か、拳銃なら現地にあった鹵獲品を貸与されたか買い取ったとものと思われます。面白いのは見習士官の服装で服は兵服で官給品、武装は自弁のスタイルです。将校行李セットは購入していたのでしょうか。武装・軍装手当は支給されたのでしょうか。興味があります。


    予備役航空兵特務曹長

  6. →5
    将校行李セットと云うのは面白いです。
    日支事變初期の頃には、百貨店で任官セット販売があったのを当時の広告復刻で見たことがあります。これは一年志願兵だの幹候出身の豫備士官向けの感じでした。
    「任官手當」というのが支給されて、少尉・准尉(特務曹長)の任官者はそれで一式を購入するのですが、だいたい100圓くらいだったそうです。各衛戍地に「偕行社」という将校互助會があって、そこの賣店で装備から軍衣まで安く入手できました。
    けれど刀は祖先伝来のものをわざわざ軍刀拵えにするとか、双眼鏡やら拳銃(弾も)やら、なかなかお金がかかり、手當だけでは足りず、やりくりが大変で、たいてい借金したり、親がかりの人が多かったと存じます。
    貧乏な将校・准士官は同じ階級章を使っていて、星が錆びたり金線が黒くなったりしても平気な人がいました。階級章も自前で購入するので、なかなか大変です。しかし服屋に特別に大きめの肩章を誂させるお洒落な高級軍人もいました。
    また工兵将校の洒落者は地味な鳶色の兵科章を、わざわざ赤に近い茶色にして、海老茶式部などと悪口を云われていました。また長靴に凝るひともいて、なめしの茶色や赤革を穿いていました。
    民間人で兵用の外套や軍衣を着たり、改造して労働着に使ったりしている例が見られますが、これは部隊の兵用被服の廃棄品を安値で放出したのが、古着屋経由で出回っていたものです。
    官給品を将校准士官が使うにあたっては、実際には、被服や兵器の現場責任者の下士官が気に入った将校には「融通を利かせた」例がほとんどだと思います。シベリア事變の頃でも、部隊の銃工長の厚意で拳銃を貸してもらった将校がいます。(あとで返したかどうか不明)
    あるめ

  7. 「任官手當」ではなく「任官支度金」でしたっけ。
    あるめ

  8. <7 服装手当です。支度金は意味が違います。昭和13年よりの予後備役の召集新任将校は陸軍給与令第12表による尉官・准士官の服装手当330円。被服手当、月額27円の半額を支給されたようです。これに武装(拳銃・軍刀)手当分も含まれていたかは解りません。
    予後備の召集見習士官はどうだったのかは今のところわかりません。

    予備役航空兵特務曹長


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