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1908 WWII時、米重爆の優秀装備の一つとして挙げられる事の多い「ノルデン照準器」。これを実戦装備として始めて取り入れたのはB17のような印象がありますが、実際にノルデン照準器が行き渡り始めた時期について、何かご存知であればお願いいたします。
烈風天駆

  1. "NORDEN BOMBSIGHT HISTORY" でぐぐったら、何と IEEE に関連記事が。
    http://thevaluesell.com/IEEE1.htm
    頑張って読んでね。…では不親切か。

     開発が始まったのは 1920 年代初期で、もともと海軍とノルデン社の共同プロジェクト。最初のジャイロ式 Mark.XV が完成したのが 1931 年。陸軍がこれを採用したのが 1934 年。しかし精密部品を多用したノルデン照準器の量産は難航し、1936 年に海軍は製造優先権を振りかざし陸軍への出荷を事実上停止。困った陸軍は 1937 年にジャイロスコープの老舗スペリー社が自社開発していた O-1(のちに ジャイロサーボを改良し S-1 と改称)を採用。1940〜1941 年にかけて B-17 にはノルデン Mk.XV が、B-24 にはスペリー S-1 が搭載された由。スペリー O-1 の初陣は英空軍のロッキード・ハドソンによる 1941 年 4 月 30 日の対輸送船攻撃で、8000ft からの一斉投下で挟叉弾を得た由。
     1941 年 6 月から、米陸軍では全電気式のスペリー A-5 自動操縦装置と S-1 照準機を連動させ爆撃精度を飛躍的に向上させたシステムを採用。陸軍はノルデン照準器とスペリー自動操縦装置の連動を求めたがスペリーは拒否、仕方なく同じ原理で動作するノルデン用自動操縦装置がハネウェル社によって 1942 年 1 月に開発・量産開始された。
     ノルデンがその高性能を広く宣伝したのに対し、スペリーの爆撃照準機は極秘兵器扱いで、関係者ですらその存在を知らないことがあったという。また初期の O-1 照準機のジャイロ不安定性は悪評で、S-1 に改良されたあとも「スペリーの照準器は精度が悪い」との印象は拭い切れなかったという。更に会社側・陸軍側のキーパーソンが事故死した不幸も重なった。1943 年 5 月から爆撃照準器の生産拡大に拍車がかかり、生産効率向上のため機種統合が決定され陸軍は 1943 年 11 月 22 日付けでスペリー S-1 照準器と A-5 自動操縦装置の契約をキャンセル。在庫 2600 基の照準器は廃棄処分された。
    ささき

  2. ささきさん、概訳を有難うございました。
    今度からは英語検索にも挑戦して、なるべく英文も読んでいこうと思います。
    …因みにリンク先の文章、開始一時間にして力尽きました(努力いたします

    雑文はここまでとして。
    半ば確信犯な人間の感想ですが、発端は海軍と民間の共同プロジェクトであり、採用した陸軍への出荷を中断させたのも海軍であり、始めて使用されたのも船舶に向けて。一貫して海軍並びに海との因縁が強く伺える経緯ですね。
    烈風天駆


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