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2221  「その他」の770を読んで、思い出したのですが。

 池田屋事件の際、尊皇攘夷派の志士と切り結んだ近藤勇以下の新撰組組員は、事件後に愛刀を研ぎに出しましたが、近藤勇の愛刀は殆ど刃毀れしておらず、さすが名剣士と絶賛された、と昔、歴史雑誌で読んだのですが、これは本当なのでしょうか。その雑誌記事では、日本刀の名剣士なら数十人斬っても、日本刀は刃毀れしない、その確実な実証例で文書として残っている、とも書いてあったのですが、私としては、疑問でなりません。どうか、よろしくお願いします。
山家

  1. うろ覚えですが、
    狭い室内の戦闘なので大刀は抜かず小刀のみ使った。
    更には叩き斬ることはせず、突く戦法に徹した。
    というのを聞いたことがあります。

    さらに相手は防具をつけていなかった。

    ということで刃毀れしなかったのではないでしょうか?


    あさ

  2.  池田屋の天井は、刀を振りかぶるとつかえる程低かった

     という話です。
     当然、鴨居はもっと低いでしょうし、複数の部屋にまたがって(というより店中使って)の戦闘ですから上段から振り下ろすような斬り方はできなかったのではないでしょうか。となると胴を掃うか突くかしかできない・・・斬っても骨や他の障害物に当たって刃がかける可能性は、必然的に低くなっていたのかも知れません。(暗い場所での集団戦では鍔迫り合いも無いでしょうし)

     池田屋事件で死亡した志士のリスト(自刃・獄死を除く)をちょっとまとめてみたんですが

     討死or傷死    斬った隊士
     吉田稔麿   → 沖田総司
     杉山松助   → 永倉新八
     北添佶磨   → 近藤勇
     大高又次郎  → 不明
     石川潤次朗  → 不明
     野老山五吉朗 → 不明
     広岡浪秀   → 不明 

     永倉新八と谷三十朗がそれぞれ2名の不明者を斬っているそうなので、近藤勇は池田屋突入の際に北添佶磨を出会い頭に斬っただけという事になりそうです。
     もちろん手傷を負わせた等の戦果は確認できないので、これだけで「実は近藤はそれほどたくさん斬ってなかった」と否定できるものではありませんが、「名剣士ゆえに云々」というのは過大な評価であったのかも知れません。
    おうる

  3.  あささま、おうるさま、どうもありがとうございます。

     池田屋事件では、斬り合いはほとんど無かったのですね。となると、鍔迫り合い等の刀を打ち交わすことによる刃毀れも少ないでしょうし、突く戦法に徹するならば、骨による刃毀れも少ないでしょうね。

     しかし、気になるのが文書の存在なのです。もちろん、私の全くの記憶違いだけなのかもしれませんが、他の組員の刀は刃毀れしていたのに、近藤勇の刀は刃毀れしていなかったという文書(確か、刀の研ぎ屋の報告兼請求書だったと思います)があると、その雑誌記事には書いてあったと思います。このような文書は、実在するのでしょうか。重ね重ねになりますが、どうか、よろしくお願いします。


    山家

  4. >3
    根拠とされているのは研ぎを行った源竜斎俊永のメモの写しです。
    この史料そのものの史料批判がどの程度行われているかは知りません。
    史料の内容がどれだけ事実を伝えているかどうかはともかく、これを元に(無論これだけを論拠にしている訳でもありませんが)近藤は全く戦わなかった、あるいは逆に近藤は刀を合わせる事なく戦う技術を持っていたとするなど、しばしば新撰組を扱った時代小説の種とされています。後者の立場では津本陽氏が有名でしょうか。
    町田

  5. 昔TVで古武道特集をやっていて、そのときの記憶なのですが、日本刀で斬り合いをするときに、相手の刀を自分の刀で受けてはいけないとのことでした。理由は刃こぼれするからで、受けるくらいなら体をかわさなければならないとのこと。どうしても受けるときは刃のある方で受けなければ折れてしまうそうです。(そう言えば、大学時代に授業でフェンシングをとったのですが、そのときも「受けるな、かわせ」と言われました)

    ですから、刃こぼれしてないと言うことは、それだけ相手の刀をかわせた=名人、と言うことになるのだと思います。
    富士見町

  6.  町田さま、本当にありがとうございます。文書そのものの信憑性はともかく、そのような文書は実在したのですね。私の探し方が悪く、どうしても文書の存否すら確認できずにおり、私の記憶違いかもと思っていました。
    山家


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