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39 私の叔父は重巡「青葉」の乗組員で、中曽根少尉(元首相)のことも覚えているそうです。ところが、中曽根氏の回顧録によると、当時中曽根氏は内務省に勤務していて「青葉」に派遣されたと書いています。陸海軍に他省庁からの人間を派遣する制度があったのでしょうか?

  1. 主計科だったから本来の配属先が内務省で、内務省配置の部署から青葉に派遣だったのではないでしょうか。内務省の人間であった訳ではないと思いますが。


  2. なるほど、10年前の記憶だけで書いてはいけないということですね(質問者)


  3. 中曽根元首相は帝大法科出身の内務官僚でした。戦時中に内務官僚から主計科予備士官に転身しました。海軍で兵科予備士官制度が発足する以前は学卒者の予備士官は飛行科(少数)か主計でした。中曽根氏は台湾にもいたそうですがこの時は内務官僚だったか海軍士官だったか記憶


  4. 中曽根康弘氏は、たしか第六期短期現役主計士官として海軍主計中尉に任官、
    経理学校に補修学生としていた後、青葉乗組になっているはずです。当時す
    でに中曽根氏が内務省に籍があったかどうかは知りませんが、短現制度はそ
    ういうものだと私は理解しているので、籍があった可能性はありますね。も
    し籍があったとしたら、それをして「派遣」と回想に記したまでで、当時内
    務省(あるいはそれ以外の省)の役人(文官)を海軍武官として派遣するような
    制度はないと理解しております。

    ちなみに、短現の主計士官は原則としてみな主計中尉任官して補修学生にな
    っているものと思いますので、彼が主計少尉であった期間があったかどうか
    に関しては懐疑的です。

    また、青葉乗組は、多分補修学生直後の最初の艦隊配置のはずで、このとき
    はダブル配置あるいはトリプル配置の庶務主任だと思います。
    今泉 淳

  5. 補足です。短現主計科士官の場合、大学出身ならそのまま中尉任官ですが、
    高専出身の場合はそうじゃないかもしれません。これは、他の二年現役の
    士官(軍医科なんかがそうじゃないですかね)も同じだと思います。その場
    合の扱いに関しては、ちょっと調査が行き届いてないので断言はできませ
    んが、少尉任官後に教育、あるいは見習尉官などと呼ばれて教育を受ける
    などではないかと想像しております。

    今泉 淳


  6. 二年現役主計科士官の第一期出身者35名中、2名が高商卒でした。大学卒が
    主計中尉に、高商卒が主計少尉に任官して、その後補修学生課程を修了して
    部隊配属になっておりました。なお、この35名のうちすでに就職をしていた、
    あるいは就職先が決まっていた者が少なくとも22名いた模様です。
    今泉 淳


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