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幕末の大村益次郎って本当に天才だったのでしょうか? 「花神」に出てくる戦闘シーンを拾っていく限りでは、ただ単に、オランダ兵書 から拾ったであろう「ナポレオン戦術」を忠実に実施しているようにしか見えな いのですが? 別件を調べていてここにたどり着いて、皆様の博識に関心したついでに、ご意見 を伺ってみたくなりました。よろしくお願い致します。 三ッ目犬 |
- ちょっと論点はずれますが、そもそも兵書に書かれていることを実戦で運用できるだけで、名将の資質十分です。ほぼ全ての軍人は兵書を学んでいます。「天才」=「独創性」とするならば確かに物足りないかもしれませんが、あの牟田口将軍も一応は兵学を修めて居るんですから。
ひもと
- ある作家の書いた書籍によると、天才とは3つの条件がいるということです。
1.言っていることがよくわからない。
2.理解できない勝ち方をする。
3.よって馬券が異様にむずかしい。(笑)
つまり、書籍などに書かれ万人に理解できるようなやつは天才ではないのです。
真面目な話、3.も言い換えれば予想が非常に難しいということですから。
kazu
- 1.ともかぶりますが、当時の日本にとって、西洋の兵法は、まさにオーヴァーテクノロジーで、それを使いこなせるというだけで十分「天才」ではないでしょうか。これを言いだすと、坂本竜馬も大久保利通も西周も天才、ということになりますが、それはそれでいいではないか、と思います。南アタリア島の物件を10年かかっても使いこなせなかった(暴走させた)のにくらべれば、ねぇ(ゴミ)。
Schump
- 今思い出しましたが、ナポレオンってって孫子を好んでいたとこ言う説があったような・・?
ひもと
- ナポレオンの書斎用馬車に孫子・・・。誰の翻訳で?まさか原書を手に入れて読んだとか?
BUN
- みなさま、レスありがとうございます。
>1.ともかぶりますが、当時の日本にとって、西洋の兵法は、まさにオーヴァーテクノロジーで、それを使いこなせ
>るというだけで十分「天才」ではないでしょうか。これを言いだすと、坂本竜馬も大久保利通も西周も天才、とい
>うことになりますが、それはそれでいいではないか、と思います。
>Schumpさん
杉田玄白ほか、当時の蘭学医者の多くはある意味で「天才」ってことですかねえ。そういえば、大村益次郎は「村田
蔵六」時代は外科医だったですな。外科手術と戦闘指揮とは当時は似たところがあったんでしょうか?(今でも?)
>ナポレオンの書斎用馬車に孫子・・・。誰の翻訳で?まさか原書を手に入れて読んだとか?
>BUN さん
わたしもそのあたりの事情に詳しいわけじゃないですが...(あせ
たとえば、中国語→英語→仏語の重訳って可能性は充分あるとおもいますです。
ナポレオンの場合は、「そんなものまで読むほど研究熱心で、中には『孫子』のような当りもあった」ということだ
と思いますです。
三ッ目犬
- ええと、確か西洋では戦争論がでるまで、兵書と呼べるようなものがなかったはずです。(詳細忘れました)
ひもと
- 孫子を欧州に紹介したのはリデル・ハートあたりじゃありませんでしたか?中国思想は割と早くからフランスに紹介されていたとは聞きますが、孫子は内容から見て、送り手側にも受け手側にも軽視されていたのではないでしょうか。
BUN
- 孫子が送り手側(ちゅうごく)で軽視されていた、ということはないでしょう。
武經七書の一つであり、また中国兵学の根幹でもあります。
ひもと
- 兵学はまともな学問として扱われていません。儒教的価値観からは武人、商人は卑しまれる身分、職業だったのです。今の常識では納得出来ないかも知れませんが孫子はまともな知識人の読む書物ではありませんでした。
BUN
- 確かに中国では文官優位ですが、しかし兵学もまた武官においては学ばれています。
官僚=儒者は孫子を読むようなことはまずなかったでしょうが、
しかし例えば孫子には魏武帝(曹操)の注があります。
表にこそ出ませんが、脈々と伝わっては、武官の間では尊重されていたのです。
ひもと
- 孫子は英語からの重訳ではなく読まれていたらしいです。
ただ、「知られていた」と「普及(理解)されていた」とは厳密には区別されるべきで、
ナポレオンがどの様に影響を受けていたかは「未知数」です。
彼が大の読書家であった、と言うくらいの認識で今のところ良いかと思います。
(今度、「欧州世界での孫子の認識」について国際孫子学会でのオフィシャルな見解を聞いておきます)
理解というと英米でクラウゼヴィッツを本気に取り組んで理解されたのは1970年代のことですし、
(これをして「クラウゼヴィッツ・ルネサンス」と称します)
米国に於ける孫子の「発見」もベトナムでの「敗戦」を
きっかけとして起きた一連の運動の中に位置付けられています。
それまでは米軍の戦略は極めてジョミニ的色彩が強く、
クラウゼヴィッツは見向きもされていませんでした。
と言うことで、欧米ではクラウゼヴィッツ以前にも兵学家は多数いました。
当時ではドイツではビュローがフランスではギベールが高名を博していましたし、
時代を少し遡るとモンテクッコリが「戦争論・戦争術」を執筆し、
それがフリードリヒ大王の戦略に与えた影響については広く知られている通りです。
フリードリヒ大王自身も優れた兵学者としての一面も持ち兵学書も多数執筆されています。
これが現在まで輝きを失っていないのが「孫子・クラウゼヴィッツ・ジョミニ」らで
孫子とクラウゼヴィッツはその中でも“古典”としての地位が既に確定しています。
また、マハンの海軍戦略やドゥーエやミッチェルの空軍戦略理論、ドイツの一連の機甲戦理論、
最近ではワーデン大佐の新空軍戦略論が発展していますが、
それらは何れもその古典を元に立脚しています。
とこんなところでどうでしょうか?
かっぱ
- >かっぱさん ほか
みなさん、博識なので勉強になります。
はなしを多少、もとにもどしますと、わたしの考えでは大村益次郎の翻訳した
オランダ兵書とは「歩兵操典」や「砲兵操典」みたいなものが主だと考えてお
ったのですが、たとえばフランス(でしたっけ?)・ジェニミの重訳(抄訳程
度)などが含まれていた可能性はあるのでしょうか?
三ッ目犬
- 13で
×ジェミニ→○ジョミニですね。(あせ
「戦争論」はプロイセンにフランスが敗北する前はプロイセン国内以外では
知られてなかったと思うので大村益次郎が読んでいた可能性はほとんどない
と思いますです。
三ッ目犬