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81 栗田提督はレイテ沖海戦後、また、戦後は何をしていたのでしょうか?昭和50年代まで存命だったと聞きますが、レイテ沖海戦の栗田艦隊反転の真意を語ることはなかったのでしょうか?
初心マン

  1. 前にも書いたのですが、栗田提督が「謎の反転」をしているのは戦記読み物の世界だけなのです。
    昭和19年10月末の軍令部の戦況把握は、栗田艦隊が「米機動部隊」に大打撃を与え、レイテ決戦の新局面を開いた、というものであって、開戦直後、栗田艦隊はその激闘を賞賛されこそすれ、表だって批判されることはありませんでした。
    栗田艦隊の「謎の反転」後に何故か最高潮を迎える11月から12月のレイテ航空決戦の展開はこうした認識の上にあったのです。
    ですから、戦後の栗田提督にしてみれば「謎の反転」の「真意」、なんて語りようが無いのではないでしょうか。
    BUN

  2. レイテ沖海戦のおかげで第1師団がオルモックに上陸できたので
    あながち全てが失敗というわけではないかもしれない。
    これは結果論だけどレイテに突入して米軍の進撃が遅れれば
    第1師団はリモン峠ではなくカリガラで会敵したかもしれない。
    そうなれば逆にレイテ戦は早く終わったかもしれないよ。
    こういち

  3. レイテ島にいた大岡昇平は「たとえ「大和」が沈没しても、タクロバンの司令部に46センチの巨砲をぶちこんで、マッカーサーを吹き飛ばしてくれればよかった」とレイテ戦記で書いています。こういった感情が「謎の反転」といった言葉に反映されているきがします。
    生死をかけて闘った栗田提督はじめ当時の人々に私たちがどうこう評価できるものじゃないですね・・・。
    初心マン

  4. 揚げ足取りかもしれないけれど大岡氏がいたのはミンドロ島だよ。
    ただ、その時私の爺様はレイテ島にいたので「レイテ戦記」は
    読んでてこたえた。
    こういち

  5. 戦後は何も語らなかったと聞いています
    1977年に亡くなったそうです。

    カバノフ中尉


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