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88 大正初期頃、日本の植民地となった朝鮮の鎮海要港部の司令官?だったとみられる、「古川少将」と「東郷吉太郎中将」について情報を探しています。実名や経歴、参考文献など、何でもかまいませんので、彼らについてご存知の方、宜しくご教示ください。
陸奥

  1. 鎮海要港部の創設時期を知らないのですが、大正5年以降に「古川」という司令官はおられません。
    陸軍の鎮海湾要塞司令官に(大正4年8月から7年3月まで)「古川岩太郎少將」(司令官当時は大佐ですが)がおられますが、この人のことでしょうか?

    また東郷吉太郎中將は兵13期出身で、大正元年12月に少將、5年12月に中將へと昇進し、中將になった大正5年12月から7年12月まで鎮海要港部司令官をつとめ、その後将官会議議員、予備役編入です。
    また明治38年12月に砲艦「高雄」の艦長になるも、日本海海戦が同年5月でしたからその面でも日本海海戦の戦記などにはでてこないんじゃないでしょうか

    経歴だけなら、新人物往来社から出版されてる別冊歴史読本「日本海軍将官総覧」にのってると思います。

    源五郎

  2. 早々にご回答を頂き、ありがとうございました。大変参考になりました。早速ご教示頂いた書籍を取り寄せて、朝鮮・軍部・鎮海と彼等の関係について、詳しく調べてみたいと思います。
    陸奥

  3. 東郷吉太郎の履歴なら、海兵卒から没まで完璧に分かりますよ。とても全部書
    き切れませんので、鎮海要港部司令官在職期間以降を書きますと、既にありま
    すが、

    東郷吉太郎
    海兵13期、正四、功四、瑞一、旭二

    大正 5.12. 1 海軍中将、鎮海要港部司令官兼臨時建築部支部長
    7.12. 1 将官会議議員
    8.12. 1 待命
    9. 8. 1 予備役
    15.12.14 後備役
    昭和 6.12.14 退役
    17.10.26 没

    ってことで、昭和17年10月26日没なんですね。


    今泉 淳

  4. 今泉様 ご回答有難うございました。大正5年から鎮海勤務ですか・・。建築部というからには要塞や城郭研究などに造詣が深かったでしょうか。古川岩太郎についても鎮海勤務の時期や前後の経歴も含めて調べてみようと思います。取り敢えずお礼まで。
    陸奥

  5. >古川岩太郎についても

    書きませんでしたが、こっちは「日本陸海軍総合辞典」に載っているのを
    確認してあります。大尉以降の経歴は、月単位(日までは分からない)で
    概ね経歴はわかるはずです(家にあるので)。
    今泉 淳

  6. ↑3.当時、臨時建築部長なら技師出身の人が選ばれていたようなんですが、臨時建築部支部長では築城などの専門知識はあまり関係無かったんじゃあないでしょうか。
    支部には建築部から指導があったようですし…

    ↑4.今泉さん、東郷吉太郎中將の履歴は「日本海軍史」の将官履歴が元ネタでしょうか?
    私の元ネタが「陸海軍将官人事総覧」なんで、人物の経歴がおおむね大佐以降しかわからないんです。

    それとこの場をかりて申し訳ないですが、「修理中の船の乗員配備について」の回答ありがとうございます。

    源五郎

  7. 源五郎様、今泉様、ご回答に感謝いたします。実は、この古川・東郷両氏は、鎮海の勤務中に朝鮮半島の城郭調査を行っていたらしいのです。それで、軍部と築城という関連から、関心を持っております。今後とも、小さな情報でもかまいませんので、ご一報頂けましたら幸いです。ありがとうございました。
    陸奥

  8. > 今泉さん、東郷吉太郎中將の履歴は「日本海軍史」の将官履歴が元ネタ
    > でしょうか?

    そうです。

    > 私の元ネタが「陸海軍将官人事総覧」なんで、人物の経歴がおおむね大佐
    > 以降しかわからないんです。

    私もそいつをもってますが、それに飽き足らなくなってしまってしまった、
    というところですね。

    今泉 淳


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