107 |
素朴な疑問なんですが 皇室の方々は何故、名字がないのでしょうか? 6425 |
- タテマエとして、日本における姓は、一定の地位を有する人間に対して(姓を付けることの可否も含めて)天皇が割り当てる(または申請によりそれを名乗ることを許可する)ことになっています。よって、一番偉い天皇にはだれも姓をつけてくれないことになります。
近世まで姓の保有自体がステータスだったことについては、中卒程度の日本史の知識があれば分かるでしょうから省略。
Schump
- 皇族の方々は、「天(アマノ)」という姓であったとの説を聞いたことあります.
出展は井沢元彦「逆説の日本史」だったっけ?
意外とおもしろい説なんで、頭の隅に残ってました.
勝井
- 姓(かばね)がついたら臣下になってしまいます。
BUN
- 歴史学者の中には4~5世紀ごろまでは天皇氏(天皇家ではない。「家」は
中世以降の産物です。古代には「家」はありません。)にも姓があったので
はないかと推定している人がたくさんいます。ただし、現在の「日本書紀」
や「風土記」にはその証拠になる部分はありません。(「古事記」について
は後世作だという意見にも妥当性があり、史料価値としては私は「?」と思っ
ています。)ただし、中国の王朝に対する上奏文-例の後漢書、三国史、倭
の五王のものですが-の今までの読み方には疑問点があり、名前の部分には
王家の姓が入っていると読む学者もいます。
天皇氏はもともとは列島の一豪族の出身で、その後大和の支配者になり、
祭祀上の特権を得て大王から天皇氏になったというのが現在の説で、これに
対してはあまり異議を唱える人は多くないようです。そうすると賜姓の権威
を持つようになったのは大王の氏族が天皇氏に変った時期と考えることがで
きます。
私は7世紀以前の文献記述は眉唾ものだと思っていますので、やはり、天
皇氏が本当に天皇になったのは「大化の改新」のクーデター以降ではないか
と思います。ですから、それまでは姓があり、ある程度は知られていたと考
えております。
また、姓そのものに関することですが、中国では「易姓革命」といって王
朝交替ごとに姓が変るのが基本となっていました。日本では「易姓革命」が
なかったことになっていますので、「易姓」があったとしても後継者も天皇
氏の出身であるとされています。天皇氏の元の姓が現在まで伝わっていない
のは他姓が祭祀王の地位に就かなかったためだと考えております。
天皇氏のことについては国文学者の「折口信夫」(というよりも天皇研究
かといった方が正しいかもしれない)が時々非常に面白いことを書いている
ことがありますので、大きな図書館には大抵ありますので、のぞいてみたら
何か発見があるかもしれません。(例、「大嘗祭」は非公開ですが、折口に
は非公開の大嘗祭の内容を推定した論文があります。折口の想像はほぼ正し
いらしいのですが、密儀なので宮内省(「省」の時代です。彼が皇室崇拝者
でなければ「不敬罪」で処罰されたと思います。)は無視しております。大
嘗祭は天皇の本質と非常に深い関係がある祭祀であるようです。)
tk
- 皇室で不思議なことは、世界の常識に反している点です。
そもそも皇室に姓があったのか、と言う問題ですが、仮にあったとしましょう。
ならば何故喪失したのか、という疑問がでてきます。
唯一の特権者であったから、というのも世界の他の古代王朝とかなり性格を異にします。
易姓革命を嫌った、とするならば、何時の時代に五行思想が日本に入ったかが問題になります。
聖徳太子の十七條憲法には礼記からの引用と思われるところがあるように、
相当はやくから中国思想が流入していたのはまちがいないようです。
また、途中で皇統が交代したならば、何故に前王朝の子孫とするのでしょうか。
中国の例からすると、「易姓革命」を称した方がよほど説得力があります。
さらに時代は下りますが、一般に天皇は天智天皇・天武天皇の頃に神格性を供え云々、
とよく言われますが、この時期は同時に律令を本格的に導入し、国家体制を整えた時代でもあります。
このような場合、得てして君主の「神祕性」は薄れていくのですが、
しかしながら通説では逆であります。この辺り当時祟り云々が流行したのと或いは関連するのかもしれません。
たぶん調べ出すときりがない分野ですし、何よりイデオロギーが関わってくるので
迂闊には口に出せません。良くも悪しくも日本は「天皇中心の国」なんでしょうかねぇ?
ひもと
- >↑5皇室で不思議なことは、世界の常識に反している点です。
皇室の特殊性の理由については思い当たる節があります。私は大嘗祭にヒ
ントがあるように思っています。まあ、私が何か言うよりも天皇制について
は生涯をその研究についやした折口信夫と柳田国男、特に折口を読んでもら
う方がよいと思います。
私は皇室は結果的に「不思議」なのだと思っています。本質が不思議だと
は思っていません。結果論としての「天皇中心の国」という考え方にはあま
り賛成できません。
tk
- インドネシアでは多くの国民が姓を持たず、代りにカーストにちなむ称号や誰某の子供といった家族関係を示す言葉で区分しているとか。世界的に見ても姓を持たない種族は決して珍しくない。また日本は中国の儒教文化を最もいい加減(?)に取り入れている国であり、中国や韓国に残存しているような氏族制度(韓国の本貫はその典型)が古代にとっくに崩壊してしまっている。したがって易姓革命の思想は日本には根付かなかったのではないか。
アリエフ