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114 松田 千秋少将の晩年をご存知の方いらっしゃられますか
とーる

  1.  松田レポート、総力戦研究所での机上演習など、結構重要なことをしていた方ですね。(それらが生かされることは少なかったようですが。)じつは「面接」という言葉の考案者も彼であったとか。
     それはさておき、詳細は解りませんが、昭和57年当時、88歳という高齢にも関わらず、マツダカルテックス株式会社という小さな会社の社長さんであったそうです。彼の発明したカルテ・カード・書類の自動抽出装置:「カルテックス」と姓を合成した社名だそうです。
     戦後も月月火水木金金という生活を崩さず、しかも毎朝午前3時半に起床していたそうです。少なくとも昭和57年当時まではどこも悪いところは無かったそうです。
     まだご存命なら、一度お話をお伺いしたい方です。
    tomo

  2.  も一つ見つけました。戦後は発明に没頭しておられたそうです。昭和51年時、特許、実用新案などの件数は約100件。しかもその全てが実用化されています。更に驚くべきことに、それらの試作、実験、特許届け作成、商品化は全て独力でなされ、一部は米国にも輸出されたそうな。この辺り、町の発明おじさんとは一線を画していますな。
     総力戦研究所関連のことを調べると、もう少し詳しい状況が近況報告という形で分かるかもしれませんよ。上記二つの出典は共に総力戦研究所関係の本です。
    tomo

  3. ありがとうございます。これからも何かご存知でしたら教えて下さい。
    ちなみに彼は平成七年、享年九十九歳で世を去られています。残念です。
    とーる


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