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115  擲弾兵、猟兵とは、一体どのような兵科でどういった経緯で誕生したのか
教えてください、宜しくお願いします。

ジョージ

  1. 猟兵はミニエー銃以前の初期の前装式ライフル銃がライフリングの為に装填が困難であったことから、「猟師の持つような銃を装備した兵」からなる別部隊として扱われたのが元ですが、基本的には「ライフル兵」のことです。また、対戦車部隊を装甲猟兵、戦車猟兵と呼ぶのは誤訳ではないかと思います。降下猟兵、というのもおそらく意味のない表記ではないでしょうか。
    擲弾兵は、歩兵を戦争後半に呼び変えた正規の名称なので、古い意味を云々する必要は無い言葉です。後期のドイツ歩兵部隊に対して積極的に使うべき用語だと思います。
    BUN

  2.  擲弾兵(Grenadier)は実際にありましたよ。イギリスでは17世紀末から、ドイツでは18世紀のフリードリヒ大王の頃にはすでにあったそうです。ナポレオンも採用したそうです。擲弾とは文字通り弾を投擲することで、白兵戦の際に、腰の袋から火薬を詰めた箱を取り出し、導火線に火をつけて投げつけ、敵をなぎ倒したそうです。原始的な手榴弾ですね。一般の歩兵とは区別され、エリート的存在だったそうです。
     WWIIでは1943年6月23日付で自動車化歩兵師団を装甲擲弾兵師団(Panzer Grenadier Division)と改名し、戦車大隊を編成に加えています。
     一説によると、スターリングラードの敗北のために衰えた士気を鼓舞するため、エリートの代名詞とも云えるこの名を冠したそうです。
     後に、国民擲弾兵なるものも編成されますが、やはり士気を鼓舞するためにそのような名前になったそうです。
     参考は「グラフィックアクションNo.26ドイツ装甲擲弾兵」でした。
    tomo

  3. 失礼しました。1番の後半部分を誤解していました。謹んで陳謝いたします。
    tomo

  4. >BUN様 tomo様
     色々ご教示頂き、有難うございました。雑誌や本でよく見かえる言葉なのですがあまりに基本的なことなのか、納得のいく解説はなくここに記しました。心置きなく眠ることができます。
    ジョージ

  5. 猟兵とは「軽歩兵」のことで、いわゆる『歩兵』とは違います。
    かっぱ

  6.  猟兵という用語が歴史に登場するのは1744年に遡ります。当時のプロイセン王フリードリッヒII世が7年戦争で活躍したオーストリアの狙撃兵Grenzers(クロアチア辺境兵・・・以後( )内は日本語訳)の活躍に衝撃を受けた為、これに対抗するライフル兵としてプロイセン軍内に創設したのがJager zu fussと呼ばれる軽歩兵でした。これがJager(猟兵)と呼ばれた兵科が生まれた経緯です。因みにこれ以前の1740年頃には憲兵任務や伝令の警護を担当する兵士にもOOJagerの名前が与えられておりますがこちらの日本語訳ではOO猟兵ではないようです。・・・またBUN御大が仰有られたように彼らの主要装備は前装式ライフル銃ですが、別にJager=猟兵だけがライフル兵という訳ではなく、同じプロイセン軍内でSchutzen(狙撃兵)と呼ばれた兵士も前装式ライフル銃を装備していました。
     この両者とも同じ前装式ライフル銃を主装備としますが、Schutzenは主にMusketeer大隊など通常の歩兵達から慎重に選ばれた下士官候補者達で構成されており、その任務もJager達程散兵戦闘に振られておらず、必要に応じて集団での白兵戦も行うなど、それまでの戦列歩兵と軽歩兵の垣根を超えて、射撃から白兵戦闘まで歩兵戦闘の全てをこなす万能歩兵を目指しながらも結局の所その存在は戦列歩兵、軽歩兵のどちらにも及ばず、非常に曖昧なものとなっていた為、こちらはその後徐々に歩兵の中に取り込まれていき、最終的に歩兵の中でも精密射撃を専門に行う兵士といった意味となっています。
     またプロイセン以外でも日本語で猟兵と訳される兵科は存在していましたが、これらの国々ではプロイセンほど明確な定義をしておらず、中にはロシア軍のJagerのように所属する兵士の殆どがライフル銃を装備しない場合までありますので単純に猟兵=ライフル兵とするのは注意が必要であると思います。
     また猟兵とはどのような兵科なのかという質問ですが、これは大雑把にまとめれば以下のような物です。各国ごとで細部に違いが見られますが、代表的なJagerであるプロイセンのJager zu fussを取って説明しますと、18世紀当時の主力歩兵であるMusketeer(戦列歩兵)達は大半が傭兵や強制的に徴集された未熟な兵士達ばかりだった為、射程が短い代わりに比較的短期間で操作が習得できるマスケット銃を装備し逃亡を防ぐため数百人単位で整列させられ、士官達の命令で一斉射撃と前進を繰り返す、古代のファランクスの如き存在だったのに対し、Jager達はマスケット銃に比べて遥かに装填が困難なライフル銃を使用する為、Musketeerの様に戦列を組んで前進し、指揮官の命令した目標に一斉射撃を繰り返すという戦術が取れず、個人や小部隊単位で各個に行動し、必要なときに個々に射撃する散兵戦術を取ることが認められていました。またライフルという複雑な銃を使用する為、Jagerには平時からライフル銃を使い慣れていた狩猟場番人や森林警護官らが優先的に配属された為、必然的にMusketeer達が行動できない山岳地帯や森林地帯に於いても戦闘行動が可能であり、この為Jager達はMusketeer達の側面援護や敵兵の狙撃、斥候から偵察、
    後方攪乱まで多様な任務に柔軟に対応でき、この隠密性や機動力を活かして活躍しました。その為プロイセンではJagerは通常の歩兵達とは別の存在として認識されており、軍内での位置付けは現在のレンジャーや特殊部隊に近い物であり、その後19世紀に入って技術の進歩により歩兵の装備が兵科を問わずライフル銃に統一されてもJagerは通常の歩兵に吸収されることなくプロイセン軍内に存在し続けます。更に20世紀に入るとJagerの運用面での特質が脚光を浴び、通常の歩兵では困難な任務を遂行する兵士達や戦場となる地形や運用上重装備を持てない兵士達もOOJagerと呼ばれるようになります。この場合本来のJagerと区別する為運用される地形や任務を付与されました。これら新しいJager達の例としては帝政ドイツ時代からのGebirgsJager(山岳猟兵)、ナチスドイツ空軍のFallschimJager(降下猟兵)等があり、現在でもその一部は統一ドイツ軍内に存在しています。
    Arsenal


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