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ドイツ陸軍の「砂漠の狐」といわれたロンメルですが、どこで死んだのですか。 Su-43 |
- フランスからドイツに呼び戻される途中の車内で、です。
ヒトラー総統暗殺未遂事件に連座していたので、その件での召喚でした。
この事件に連座していた軍幹部はことごとく絞首刑、しかも針金で吊上げて窒息死させる(通常はぶら下げるので頚椎脱臼)という残虐な処刑になりました。
しかしロンメルは、これまでの功績が抜群であったとの評価から、処刑によらずに自決(服毒)を許されたということです。
まなかじ
- 44年、ノルマンディー戦の後、ヒトラー暗殺事件で嫌疑かけられて服毒自殺しているから、ドイツ国内で死んだと思いますが。
アリエフ
- ちょっと遅かったけど、車内で服毒自殺ですか。彼がヒトラー暗殺を企んでいたのか、それとも濡れ衣だったのか議論があるようですが。
アリエフ
- フランスからドイツへ帰る車内で自殺したのはクルーゲ元帥です。西方総軍司令官でしたが、連合軍との講和を企てたのではないかと疑われて罷免されていました。
ロンメルは戦傷療養中であった10月14日家族の安全と引き換えに服毒自殺を強要されました。
バトゥ
- ロンメルが死亡したのは、シュツットガルトの近くの、ウルムだと思われます。
自宅のあるヘルリンゲンで車にのって、ウルムまできたところで絶命したそうです。
きくち
- もしロンメルが第二次大戦後まで生きていたらニュルンベルク裁判にかけられていたのでしょうか?もしかけられていたとしたらどんな判決が言い渡されたと思いますか?
ぱるぱる
- 完全に推測ですが、
同様に連合国側からも尊敬を集めていた
マンシュタイン元帥の件が参考になるのではと思います。
勝井