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144 戦前の小学校の教科書「初等科国史」に、孝心に厚く、母の死に目に会えなかった時など,あたり構わず泣き叫んだと、書かれた人物は、誰でしょうか。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、昭和天皇のうち、誰からしいです。教えて下さい。

サトシ
iguchi@ryukoku.seikyou.ne.jp
サトシ

  1. 「初等科国史」は逸話中心で、歴史的事実という点ではやや問題がりますが、せっかくのご質問ですから史実に即して推理してみましょう。

    織田信長の生母は、資料が乏しすぎて、逸話を作るのも難しそうです。
    貞明皇太后は戦後まで生きておりましたので、昭和天皇は選択肢として不適切です。せめて正親町天皇あたりにしてほしかった。

    秀吉が大政所を大事にしたのは有名ですし、家康が関ヶ原の戦いの後、於大の方(伝通院)を伏見に招き手厚く遇したのもよく知られた史実です。

    於大の方は1602年に伏見でなくなっています。家康は関ヶ原の戦後処理や征夷大将軍任官に向けての下準備などで忙しかったとは思いますが、於大の方の死を看取ることができなかったとは考えにくいですね(ああ、NHKの「葵」をちゃんと見ておけばよかったのかも知れないなあ)。

    大政所は、確か文禄元年になくなっています。この年は文禄の役の開始年ですから、秀吉が名護屋に向かった後に死亡したのなら、死に目にあえないことになります。逸話的戦国史の人物像としても、人前で辺り構わず泣き叫ぶというのは、いかにも秀吉らしいですね。つまり「秀吉は母の死を乗り越えて朝鮮を征伐しました」という話になっているのではないでしょうか。

    以上は全部私の咄嗟の推理ですから、間違っていたら笑ってください。この質問に資料をチェックしてお答えするとなにかカンニングをしたような気になるもので。

    なお、龍谷大学図書館にも「初等科国史」の復刻本は何冊か所蔵されておりますので、今後このようなご質問はご自分でお調べになった方がよいと思います(これはインターネットで調べましたよ)。

    カンタニャック


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