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179 帝国海軍の角田覚治中将は、開戦時から「龍驤」「飛鷹」「隼鷹」などで指揮をしましたが、開戦以前はどのような艦に乗り、そのような経歴の持ち主なのでしょう??砲術出身と聞きましたが。
また、18年空母を降りてから、19年テニアンで玉砕するまではどのような経歴なのでしょうか?
きゃび

  1. 以下のHPの中に、帝国海軍士官の経歴一覧が掲載されております。
    角田覚治中将以外の有名・無名提督についても記述されておりますので、
    御参考にして下さい。

    http://member.nifty.ne.jp/nishidah/index.htm
    Axia

  2. ↑上記のページは知っていますが、件の角田覚冶の記述は恐らく「陸海軍
    将官人事総覧 海軍篇」を参考にして書かれた頃のものと思われ、その後
    「日本海軍史」の「将官履歴」の情報を加えた更新がなされていないもの
    と思われます(著者に「日本海軍史」の「将官履歴」の存在を教えたのは
    私ですので)。従いまして、大佐以前の履歴に関しては、著者そのものは
    情報を持っていると思われますが、件のページには盛り込まれていないよ
    うです。

    将官履歴の記載をそのまま書いても良いのですが、ちょっと時間がないの
    で、「どのような艦に乗り」に対して、簡潔に答えます。

    候補生時代から海上の配置と思われるものを抜き出しますと、阿蘇乗組、千
    代田乗組、攝津乗組、第十五艇隊附、吾妻乗組、霧島分隊長、柳乗組、須磨
    砲術長、天竜砲術長、夕張砲術長、第一水雷戦隊参謀、古鷹砲術長、第二艦
    隊参謀、聯合艦隊参謀兼第一艦隊参謀、第一航空戦隊参謀、木曾艦長、古鷹
    艦長、磐手艦長、山城艦長兼長門艦長、第三航空戦隊司令官

    となります(途中で、兼長門艦長は免ぜられています。その意味で、専務の
    長門艦長の時代があったかのような記述をしている「陸海軍人事総覧」は間
    違っている可能性もありますが確認していません)。

    この中で、「第十五艇隊附」は実際何に乗っていたかは司令の命課だと思いま
    すのでこれ以上は分かりません。その他、参謀とか司令官の場合は、司令部が
    どの艦に乗っていたかを調べる必要があると思いますが、履歴(辞令)レベル
    ではここまでが限界です。もっとも、司令部職員がその艦の固有の乗員かとい
    われたらそうではないので、「何に乗っていた」から除外しても良いのかもしれ
    ませんが。

    今泉 淳


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