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197 第二次世界大戦中に日本が造った戦艦は「大和」「武蔵」だけですが
空母は「大鳳」「信濃」「雲龍」「天城」「葛城」「飛鷹」「隼鷹」
など戦艦より多く造られているのは、やはり司令長官の
山本五十六やその後の連合艦隊司令長官が大艦巨砲主義ではなく航空機の重用性を理解していたからなのでしょうか?
富嶽

  1. 戦前と戦中では、艦艇建造の優先順位が全く異なります。
    無条約時代突入して後に定められた整備兵力目標では、
    戦艦12隻に対し空母は10隻です。

    ただし、第4次軍備充実計画の頃から、
    戦艦は対米質的優越、すなわち数量差にはあえて目をつぶり、
    空母は逆に質にある程度目をつぶり、隻数同一を掲げてます
    (この方針変更にて、初期の改装空母群が誕生することになります)。

    一旦戦争に突入してからは、戦前とは建造の優先順位が全く異なってきます。
    6万トンもの大戦艦の建造に着手したところで、就役が間に合うとも思えないでしょう?
    雲龍級は全て戦時計画艦であり、平時の計画ではないことに留意して下さい。
    勝井

  2. 連合艦隊司令長官が艦政について云々することができるものなのでしょうか?
    そういうのは、軍令部と艦政本部が決めるもんだと…。

    それはともかく、戦艦造るのは非常に時間と金と資材と労働力がかかります。
    普通は一度の戦争期間内にできあがりませんし、戦艦1隻にかかるそれら要素を、ほかのものに振り向けるならば、非常に多くのことができます。
    また、その必要が生じます。
    アメリカみたいな国でもない限り、戦艦というのは戦争になる前に造っておいて、それを戦争で使う、という兵器です。

    まなかじ

  3. ちなみに、第3次計画では戦艦2隻に空母2隻。
    第4次計画では戦艦2隻に空母1隻(ただし他に改装)。
    第5次計画では戦艦・超巡計5隻に空母3隻。
    第6次計画では戦艦・超巡計8隻に空母3隻。
    ただし、第5次の2隻と第6次の空母は、戦艦並の超弩級です。

    なお、戦時計画でも、当初は第5次・第6次がそのまま遂行される予定でした。
    方針が変更されたのは、ご存知と思いますが、ミッドウェー海戦のためです。
    勝井

  4. 勝井山、建艦計画の内容を質問しているんじゃなくて、建艦計画の策定をしていたのは誰か、という質問だと思うのだけれど…。
    まなかじ

  5. …あ(汗) 書いてるうちに暴走してもうた。
    失礼。
    勝井

  6. 勝井山は一所懸命書いてくれたけれど、日本海軍はそんなに必死に空母を建造していたのでしょうか。ミッドウェー後でさえ、そうは思えません。
    BUN

  7. ミッドウェイのあと日本軍は空母不足解消のため戦艦「伊勢」を航空戦艦に改造していますから必死のように思えますが?
    富嶽

  8. でも、結局使ってないじゃないか、ということのようですね。


  9. 昭和十八年以降、日本海軍の航空兵力の整備方針の重点が陸上中心に移行していることを言ってみたまでです。
    BUN

  10. ↑ごめんなさい。完全な曲解です。


  11. うー、あいかわらずわたしは日本語の使い方がなってませんね。「自分のは曲解でした」


  12. うわぁ、遂に核心を突く批判を受けたかと・・・・・。
    BUN


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