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249 「風の谷のナウシカ」漫画の方は、主題は「戦争」といってもいいくらい
に苛烈な戦争場面が続きます。が、最近気づいたのですが、著者は、モンゴルまたは満州方面に住んでいたのではないかと思う場面が数多くあります。

平原、騎馬戦、騎乗射撃・抜刀、辺境、言葉が通じない異民族、身分差別(!)、過酷な自然環境、冬越し用備蓄食料、家畜、相手の力量をはかる駆け引き、土鬼(ドルク)など中国が異民族を蔑称した国名にならっている例など・・・。
宮崎 駿さんの少年時代は、満州・蒙古方面に住んでいたのでしょうか?
benben

  1. 宮崎駿 生年1941年。インターネットで外国(とくにモンゴル)とのつながりを調べましたが、宮崎駿と戦争体験のつながりはどうしてもわかりませんでした。宮崎駿が、ドイツの戦車戦に詳しいのは以前に漫画連載があったので判明しています。
    benben

  2. 宮崎氏ご本人の描かれた「雑想ノート」では内地でB29の空襲を経験したとあります。また、「シュナの旅」は、中央アジアの民話がヒントだとのことですから、個人的にこちらの方面の研究をなさっているのかもしれません。
    さいどわ

  3. 漫画家についての質問は、そっち方面のサイトでして下さいね。



  4. さいどわさん、親切な回答まことにありがとうございます(^_^)。
    benben

  5. いえいえ、どういたしまして。片さんからもご指摘いただいていますけど、漫画・アニメ系のサイトの方が詳しくわかると思いますよ。
    さいどわ

  6. 確かによそでやる質問なのかもしれませんが,このボードに近い観点から。宮崎氏の公演を聞いたことがあるのですが,氏の実家は一族で航空機会社の下請けをやっていたそうです。ですから生まれも育ちも内地の方ですよ。
    R

  7. 宮崎先生は杉並区が誇る郷土の偉人であります。
    隣のトトロに登場する家は永福町にあった先生のお宅がモデルらしいです。
    戦時中は群馬県の太田あたりにおいでだったという回想を見たことがあります。子どもだった戦時中の強烈な思い出として・・・空襲から避難する際にトラックの荷台に乗ったが、走り出したトラックに子どもを背負った女の人がしがみついてきたけれど運転手が気づかず(あるいは焦っていて)女の人を振り払ったのを荷台から見たという話を聞いたような・・気がします。(多分TBSのニュース23での筑紫哲也との対談の中で)
    ちなみに・・・・先生の代表作「ルパン3世カリオストロの城」のエンディング近くで、クラリスと共にルパンや銭形、日本の警官を見送る庭番のじいさんがいうセリフ「なんと気持ちのいい男たちだろう」というのは親交のあった司馬遼太郎の「坂の上の雲」の秋山好古の言葉がヒントになっていると愚考する次第です(関係ないっすけど)
    少年非行兵


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