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11 1945年5月、ドイツが無条件降伏した時、東部戦線にいたドイツ兵は、ソ連軍の捕虜になるのを嫌って一斉に西(英米仏に降伏するため)へ逃げ出したという話を聞いたんですけど本当ですか?

  1. 東部戦線所属の部隊は西側に降伏しても原則としてソ連側に引き渡される取り決めがありました。当時の在独日本人の手記によると一般のドイツ人はアメリカを敵と感じていなかったとの記述もあります。でも連合軍の捕虜になった独兵のうち何と100万人が劣悪な環境の収容キャンプで死亡しています。西にも東にも地獄はあったのです。


  2. ↑あ、そうなんですか。東部戦線のドイツ兵は西側に降伏してもソ連軍引渡しですか。しかし記録フィルムなんか見ても、フランス人に袋だたきにされてるドイツ兵なんかよく見ますし、西側降伏兵も悲惨だったようですね。東部戦線のドイツ兵が考えていた以上に現実は冷酷だったんですね。


  3. ソ連領内に進攻したドイツ軍将兵の意識には捕虜になった場合に人道的な扱いを受けられないという非常な恐怖感があったといいます。独ソ戦後半では空軍パイロットたちも万一撃墜されて捕虜になった場合を恐れて愛機への撃墜マークの記入を控えたそうです。ソ連側でも自軍の捕虜が帰還した場合、敵が放ったスパイとして扱ったようです。対ソ戦を正当化するナチスの東方生存圏拡大構想の根底にあるドイツ人のスラブ人蔑視が捕虜になることへの恐怖感を増大させていたように思います。


  4. 無条件降伏のとき、各部隊に対し米英軍に投降せよ、という命令が出ていたそうです。ドイツ軍上層部もソ連に投降したら兵士がどんな悲惨な目に会うか知っていたからではないでしょうか。ちなみにスターリングラードでは10万人以上が捕虜になりましたが、戦後、生還できた者は1万人に達していないはずです。


  5. ↑(3番目のRes.の者です。)ハンス・U・ルーデル著『急降下爆撃』(朝日ソノラマ)の終章に、無条件降伏の報に接した彼の部隊が目前に迫るソ連軍から逃れ米軍に投降する過程が描かれています。それを読むと米英軍に投降せよとの命令が下されたかどうか判然としませんが、米英軍側は、ソ連軍の占領予定地域のドイツ軍部隊はそのままソ連軍に投降、武装解除することを要求しています。恐らくこの要求にドイツ軍側は困惑したのでしょう。ソ連軍に拘束されたらどうなるかは体験として判りきっているし時間もない。米英軍の意思に反する形で米英軍に投降せよとの命令がどこかで下されたとしても状況から見て当然でしょう。西へ逃れる大量の避難民をソ連軍から保護しつつ、寛大な処遇が期待できる米軍占領地への脱出を目指したというのが実態だったようです。ただしエーリヒ・ハルトマンら第52戦闘航空団の隊員たちのように西への脱出に成功してもソ連軍当局に身柄を引き渡され、10年もの捕虜生活を強いられるケースもありましたが。


  6. もう一つ重要な点は、米軍は降伏した独軍将兵をジュネーブ条約の保護を受けるPOW戦時捕虜として扱わず、報復のために、何の権利もないDEA武装解除した敵兵、という区分を作り上げ、食料の供給も停止していました。そしてこのDEAの中には老人、女性、幼児までが含まれ、戦勝国への抑留と強制労働も実施されていました。フランスで袋叩きに合う独兵はこの時現地で釈放された人々の映像のようです。


  7. また、意外なことに膨大な捕虜を終戦とともに即時釈放していたのがパットンの第3軍でした。数十万の捕虜が第3軍の支配下で例外的に釈放されています。



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